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2010.6.19 「完全復元伊能図全国巡回フロア展in 水戸」
Exhibition of Japanese map around year 1800 by INOU Tadataka at Mito

副題;日本一周、300mの旅、210年前の日本列島を体感しよう。
20106.17-6.20 水戸市青柳公園市民体育館 入場料500円、靴下無しの人は靴下代+100円

2:15-3:00の45分間。なかなか盛況でした。駐車場も一杯でした。
会場には、会場ボランティアの人々がざっと50名。入場者は300名くらいでは。

コンピュータ復元した原図をそのまま体育館の会場にはり、その上にビニールを被せて、
上をあるけるようにしたのが良いアイデアです。それから、壁に貼った各種の測定機器、測量模様、説明図など資料も充実してました。

実際に地図を見ると、伊能忠敬地図が、沿海地図で、鎖国下での国防を目的としたものであることがよく分かります。それと地図作成隊は大規模なものです。

<ご参考>
伊能忠敬 INOU Tadataka  1745年〜1818年 江戸八丁堀にて73歳で逝去、伊能忠敬の墓は浅草源空寺にあります。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~tkeizo/photo/pic-070301j.htm

1828年に禁制品の伊能地図をオランダに持ち出そうとして発覚したシーボルト事件が有名ですが、その主のライデンのシーボルト・ハウスの写真です。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~tkeizo/photo/pic-051127j.htm

<伊能忠敬・関係年表>
1745 伊能忠敬,上総国・九十九里に生まれる
1795 隠居して幕府天文方・高橋至時に弟子入り
1800 蝦夷地図作成開始
1809 間宮林蔵、樺太が島であることを確認(後にシーボルトが間宮海峡と名付ける)
1818 伊能忠敬死去
1821 大日本沿岸輿地(よち)全図完成
1828 シーボルト事件発生

水戸市青柳公園市民体育館 鳥瞰図



地図の上をあるく人々






水戸市青柳公園市民体育館屋上からから見た水戸芸術館方向 那珂川の流れがみえる



伊能忠敬肖像画 INOU Tadataka  1745年〜1818年5月17日 江戸八丁堀にて73歳で逝去



間宮林蔵 MAMIYA Rinzou 1780-1844




測量の模様




測量の模様 大部隊である



第一次測量ルート



照沼村 村松村 新川 測量地図



展示している地図