総括
そして陽が暮れる





自動車絶望工場の中にこんな一節ある、
「いくらやっても疲れる。慣れることはない。ひとつの動作だけみれば、そうたいして疲れる労働ではない。その長い継続のためのエネルギーの持続と単調さが疲れさすのだ。」


自動車工場、とりわけライン作業はこの一節に凝縮されていると感じる。 工場に向かう途中、「また今日も、あの単調な作業を500回近くも繰返すのか・・・」と溜息が出る。ラインが動き始めれば、休憩時間までのカウントに入る、「あと1時間、あと30分、あと5分」、たまに時計を見るが時間が遅く感じることはあっても早く感じることはない、ひたすら時間を潰すだけの行為を延々とラインが停まるまで続けるのは徒労感と嫌悪感に満ち溢れている。


仕事だから疲れるのは当たり前だが、別に身体も脳も疲れているわけではない。定時終了後に1時間ぐらい軽く走ってこられるし、何なら三角関数で式を変えないでsinθ cosθの値を求めることも厭わない。故に、何に何が疲れているのかが分からなかったが、”6ヵ月もこの単調な作業に従事しなければならない”との考えが徒労感と嫌悪感を生んだのだと気付く。そういえば初めて現場に入って、社員の後ろで作業を見学していたときに軽い眩暈を感じたのはこのせいだろうか。




大量生産には標準化・専門化・分業(細分)化の3要素が必須条件となる。期間工にすると、「標準化」は正に標準作業、誰でも短時間に修得できるシステムが存在する。簡単に手に入れたものは飽きるのも早い。「専門化」、これはスペシャリストではないが、期間工は一つの工程を満了まで延々とこなす。ロボットに近い。そして「分業化」は膨大な工程の中の一つしか見えないため期間工から作業意欲を削ぐ。機械化・情報処理化が進んだ今日では単純労働は人件費のムダ以外の何ものでもないが、トレンドの変化が激しい業界・業種にあっては、下手に設備投資するよりは・・・、である。機械化するより生身のロボットを年500万程度で動かしていた方が経済的で効率が良いのだろう。


いわば期間工は健康診断で作業に異常をきたさないか産業医に検査され、社員から作業をインプットされ、故障すれば安全衛生に運ばれ、使い物にならなければ倉庫に保管。契約期間が来たら放出される割のいい産業用ロボットに他ならない。




19世紀初頭、E・ホイットニーが大量生産の礎を築き、アメリカを農業国から工業国へと転換させ、20世紀に入りH・フォードが合理化を追求し完成させたシステムは、アメリカを大国へと推し進めた。ならば、それを極限まで追求したトヨタが世界一になる日が近いのも頷ける。


しかし、トヨタが巨大企業に突き進む頃、すでに欧米では転換期を迎えている。アメリカではライン作業は「非人間的な作業」とされ、欧州では仕事しながら技能を学び想像力を発揮せさ労働意欲を高めようとの模索が始まる。そしてスゥエーデンのボルボ社が工場からラインを撤去し、グループを作りクルマを組立てるリフレクティブ作業が70年代初頭に導入される。鎌田氏がライン作業に音を上げる同時期の話だ。


一方、日本の自動車産業が諸外国と比較してまったく変わっていないかと云えば、そうでもない。特に顕著なのは、産業用ロボットの導入を日本は積極的に推し進めた事だろう。ロボットが工場に侵入してくることは労働者から仕事を取り上げる行為だとして遅々として進まなかった諸外国と比べると日本のメーカーは先見の明があったと思う。もちろん、その産業用ロボットに期間工もカウントされるべきだろう。


最近では、この期間工や契約社員にみられる、企業が必要なとき必要なだけ労働者を雇用する”期間限定”の単純労働が問題になっているが、ともすればトヨタのJIT(ジャストインタイム)の人間版である。なにが問題かと云えば、雇用の不安定、労働者の使い捨て、労働年数の割りに知識や経験が乏しくなる、等と言ったところだろうか。長年続けれらてきた終身雇用が崩壊しつつあるので問題になるのもわかるが、余剰部品を倉庫に眠らせて利益を削る行為と、終身雇用のためクビに出来ず窓際に追いやり飼い殺しする行為は同一であると思う。「給料が貰えれば飼い殺しで良いよ」と思ったあなた、それは裏を返すと短期雇用の期間工と変わりありません。市場の動向、経営者の力量もあるが余剰人員を抱えて赤字を出してリストラクチャリングに踏み切り、大量の社員が路頭に迷う事を考えれば、期間工として働く存在意義も大きいだろう。企業にも社会にも雇用にも貢献しているのだから。




長々と書き連ねてしまったが、上記のような問題はエコノミストにでも任せておいて、そろそろまとめに入ろう。
マイナス点ばかりを論ってしまうのは不公平な感が否めないので、フォローを少々。トヨタは”乾いた雑巾をさらに絞る”と云う言葉がある。確かに無駄を省くところは省くが、必要な事には時間とお金を掛けているようにも感じる。特に事故や安全に関わる事案は上司・社員に言うと改善してもらえる率が高かったのには驚いた。某自治体の「すぐやる課」ではないが、昨日EXとちょっと話していたことが今日現場に入ったら改善されていた、といった具合に行動率とそれに対する意識はかなり高い。使い捨てに等しい労働者の戯言を真摯に受け止め、尚且つ行動に移せる上司が世の中どれほどいるものか?

 もう一つは、コスト管理である。ある部品をボルトやナットを用いて締めるわけだが、ボルトやナットは規格品であり、1つ1つの単価などタカが知れている。試しに近所のホームセンターなどで見てみると分かるかと思うが、ボルト1本10円前後ぐらい、トヨタあたりでは大量に購入するので1本当たり数円の世界だろうと思う。
 ここでは、ダメになった(頭をなめてしまった等)ボルト1本に至るまで、その損失分を記録している。経常利益1兆円を叩き出す企業が、下手すると単価1円にも満たない部品をチェックする。経費削減は大事だが、これを聞いて「費用対効果が釣り合わないのでは?」と思う方もいるだろう、私もそう思った。
 そのチェックするEX曰く、「たかが、ボルト1本だが、記録からはそれ以上のものが得られる」との事らしい。つまりこうである、そのボルトが製品として使えなくなってしまったのには、何かしら原因がある。作業者が不注意で落としてしまった、インパクトの不良、納入や小分け運搬中の欠損、そもそもそのボルトが不良品(実際にあった)だった・・・、と原因はさまざま。そこから更に追求して改善を促す分けだが、頭が下がる思い。何よりも、ただ単に「ボルト1本だからと云って無駄にするなよ!」と声高に従業員に促すより、そういった上司の姿を見せる事による意識の定着こそがもっとも効果があるのではないか?と実感した。
いろいろ含めて多分に良い経験になった。ただ雑巾を絞っていただけでは、ここまで成長はしなかっただろうし、こういった現場のいち管理者までしっかりとした意識が根付いているようなので、トヨタの天下はしばらく続くだろうと思う。



世の中の大半の仕事は日々の繰り返し、当然プライベートも日々の繰り返し。以前、何かの本で読んだが「仕事とは歯を磨くようなものだ。毎日しなければならないが、取り立てて騒ぐようなことでもない。」と云う一節を覚えている。多分トヨタの社員の方達もそんな考えなのかも知れない。仕事が主でプライベートが従、またはその逆などという区分けなどはしておらず、作業を生活の”しなければいけない”一部としてサイクルに組み込んでいるのではないかと思う。そう考えないと、とてもやっていけない気がする。このルーチン作業の極みに、達成感が「ライン終了の音楽」からしか得られない現実、作業中に自分の動けるスペースは幅2メートル足らずの狭い空間に、1日の1/3を費やすことを”任意”で受け入れるには、深く考えてはいけないのだ。



20代前半の人間ならば、学校の延長みたいなもの。8時間ぐらいつまらない授業を受けなければならないが、周りには同年代の同僚も多く、寮に行けば気軽に遊べる、そんな環境であり、20代後半からは将来や現状について深く考える事から現実逃避できる。目を瞑っていては何も進展しないが、期間工と云う閉鎖された環境は目を瞑るには最適な環境だと思う。


考えることがあるとすれば、働いている限りは例え2万点近いクルマの一部品・一工程に携わっているだけでも「私が日本の基幹産業を支えている」と考えた方が健全的である。そう、時間同様にひたすら自分を騙し本質に目を向けず、目の前を通り過ぎる”物体”が何であるのかを深く考えない。期間工と云う雇用形態で働くことは、仕事について何も考えないことに尽きると本末転倒な結論に至る。

最後に次の文で締めくくろう。



慣れてしまえばこれほどラクな仕事はない、なぜなら明日も明後日も同じ場所に立ち同じ作業を続けるだけだからだ。やがてそれは苦痛に満ちてくる、なぜなら明日も明後日も同じ場所に立ち同じ作業を続けるだけだからだ。

                                                     

2005.7.31
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