本田技研工業
1996年頃

 ホンダの面接は3対1、内容はトヨタと大して変わらない、面接会場までの交通費が多めに支給され、採用通知は電報だった事が、かなり時代を感じさせる。

 赴任は平日、工場向かいの会館が集合場所。最寄駅は近鉄名古屋本線の白子駅からバスか鈴鹿線平田町駅から徒歩のどちらか、名古屋からなら時間的にトヨタまでと変わらないところが興味深い。交通手段は案内書に書かれているが、トヨタのように送迎はしていない。もっとも一度に集まる人数が50人を超えることはないからだが。
 
 その日から勤務扱い(給与の支給対象)そしてその日のうちに寮に入る。寮は3〜4つあるが、私は工場から徒歩通勤の住吉寮だった。徒歩通勤とは云っても正門まで20分ぐらい掛かる。その当時は、部屋が不足していたので原則2人部屋。1人部屋との不公平感をなくすため、月10,000円の住宅(相部屋)手当が支給された。

 部屋は8畳和室、あるのはエアコンと押入れのみ、TVどころかテーブルやポット・冷蔵庫すらありません。トヨタの田中和風が酷い酷いと言うが、その当時の住吉寮に較べれば相当恵まれています。相部屋で金庫もあるわけではないので、相方を信じるしかなかった。ちなみに鈴鹿サーキットまで徒歩20分ぐらい、8耐やF1開催時には寮まで爆音が響いてきた。

 健康診断と教育を3日間、人数が少なかったためかトヨタよりメリハリがあったような。定時後、体力が有り余っているので近鉄平田町駅に向かって娯楽施設を探しに行くが、ほとんどなく絶望したのを覚えている。

 トヨタが数ヵ所の工場に分散しているのに対し、ホンダは鈴鹿市に工場が1ヶ所だけ。当時はかなり広いと感じたが、トヨタの堤や元町と同じぐらい。正門くぐってロッカーで着替え、休憩所までたどり着くのに早くても20分ぐらい掛かった。

 仕事は塗装と運搬。防護服を身にまといガスマスクと防護メガネを付けて作業にあたる、ほとんど自衛隊の科学特殊部隊みたい。塗装とは云っても、錆び止めとかコーティングなどの透明な溶剤。本当のカラー塗装はロボットがやっていた。あとは部品等の運搬、もちろん手押しで。なんと云うかホンダでは期間工の割合は少なく、雑用に充てられたような気がする。

 食事は工場休業日を除いて3食タダ、トヨタに来てこのありがたさを感じた。寮では「食事カード」なるものを見せ、食事と引換にハンコをもらう。工場では社員カードで決済する。おかわりナシ、どうしても食いたければ2食目は有料となる。工場のメニューは定食A・B、麺類などのようにあらかじめ決まっており、食べたいメニューに並ぶ。寮食堂は1〜2種類ぐらいしかない。

1勤(06:45→15:15) 朝飯は工場、昼飯も工場、夕飯は寮
2勤(15:05→23:40) 昼飯は寮、夕飯・夜食は工場

 ここらへんはトヨタの方が食事の自由度が高いと思う。寮にはカップ麺の自販機もあるし、コンビニで買う人もいた。夜食は基本的にバイキング形式が多く、それを良いことに食い逃げやパンやデザートを大量に持ち帰る輩が多かった。そういえば私が居た頃はかなり食い逃げが流行っていたような・・・。

 ホンダの従業員は全員が営業マン。そんな言葉があったと思うが、工場勤務の社員も家族・親類・友人などにホンダ車を勧める活動があった。下のハガキは社員から「トゥディ(安い軽のこと)でもいいから買え!」と渡されたもの。もちろん買わなかったが。

 遅刻は班長(トヨタで言うGL)の判断である程度融通が利いた。事前に「遅刻しそうな時はカードリーダーに通すな」と云うありがたい助言を受ける。私は2回ほど遅刻を抹消してもらいました、ありがとう班長。当時はまだ携帯電話が貸出式で珍しく、遅刻をすると”班長→寮務員→部屋に起しにくる”といった感じで連絡が来て、住吉寮では遅刻は500円の罰金を徴収された(その徴収金は寮の自治会費に充てるそうだが・・・)。

 若かったので、相部屋生活もそれほど苦にはならなかったが、彼が1勤の時は私は2勤と逆の勤務だった、2勤終了後に寮に帰っても彼は寝ているので、そっと寝るだけの生活。半年後、相部屋の人は満了し晴れて1人部屋になるが、ちょっと寂しくなった。なぜかその後も住宅手当ては支給され続ける。

 当時ホンダは絶好調、ステップワゴンは納車3ヶ月待ち。それ故に1勤は隔週土曜出勤、残業は毎日2時間、6ヵ月以上は有給休暇が付与されるが、取る暇はなくすべて買い上げとなる。それだけラインをフル回転させているため、整備・保全・清掃は工場休業日に行われ、そのアシスタント(単なる雑用)として期間工が任意で徴集される。私も「2勤→土日徴集→1勤→土曜出勤」と連続13日勤務を達成し、死ぬかと思った。この月は手取りで30万を越えた記憶があるが、とても割りにあわない気がした。

 盆や正月の長期休暇は当然給料の算定外だが、帰省旅費または在寮手当て(5万円)が支給される、当然旅費が往復5万円に満たない者は帰郷しても在寮手当てを申請するため、休んでいてもカネが入る素晴らしい制度。最後に振り込まれたお金は、満了金+有給買上+最終月給料で90万近くが一括で入り、帰郷後に通帳記帳したら300万ほど印字された。恐るべしホンダ

 鈴鹿市の近くに、亀山〜天理を結ぶ国道25号線(名阪国道)、通称「無料ハイウェイ」があるが、そこで260km/hで走るNSXが出没するという噂が奔る。ホンダも期間工の自動車・バイクの持込は禁止されていたが、黙って持ち込み寮の近くで駐禁を切られたり、事故が後を絶たないため、半年以上在籍者に限り持込が許可された。ただしクルマは駐車場のキャパの関係で抽選、バイクは自由だった。

 結局ホンダは、当初6ヵ月契約+2ヵ月延長+2ヵ月延長+1ヵ月延長の計11ヵ月勤務。トヨタと違ってかなり延長期間の融通が利いたのを覚えている。

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