「食」に関する文庫本紹介


 昔はどちらかと言えば「本らしい本」ということでハードカバーの本を読むことのほうが多かった。それに、文庫本自体、一昔前までは、いわゆる古今東西の名著や小説などの類のものが多く、比較的新しいものや軽いジャンルのものは少なかったように記憶している。ちなみに最近では、新刊本(ハード本)が刊行されて程なく文庫本も刊行されるようになってきており、そう時をおかずに手軽に読めるようになってきている。
 一時、電車での通勤を余儀なくされた頃からだったろうか。嵩張るハードカバー本からコンパクトで持ち運びやすい文庫本にシフトするとともにその内容も「食」に関するもの−この手の内容は、エッセイ風に短文でまとめられておりどんな時間帯でも区切りをつけて読み易い−を中心に読み続けている。店頭でたまたま目に触れて特段の脈絡もなく読むものもあるが、多くは読んだ本の中で紹介されている本とか、「解説」の中で触れられている同著者の他の本などを糸を手繰るように読み拡げていった。また時には、食べたい料理のレシピ、釣った魚の調理法を探し求めて、また、美味しい店を探す手立てとしてなど次から次へと読んで、気がついたら「食」絡みの文庫本がかれこれ500冊近くになる。昔、読んだ本をときに思いついたように開くと、当時のしおりや新刊案内が、ときには路傍で拾った落ち葉が、また、映画の半券やレシート類が挟まっており、それぞれにいろいろの思い出が蘇ってくる。こんなことでか愛着が生じてなかなか捨てがたく、今でも本棚の大半を占拠している。こんな「食」に関る文庫本(新書版サイズも一部包含)の中から印象に残っているもの、シリーズで長期間にわたって刊行されているもの、さらには再掲、引用されているもの、親子、夫婦で刊行しているものなど謂わば姻戚関係にあるものなどを、今後、おいおいご紹介していこうと思い立った次第である。ご覧いただき忌憚のないご意見、ご示唆をいただければ幸いである。
 

●印象に残こる著作

●「食通知ったかぶり」 著者 丸谷 才一 昭和54年12月25日第1刷 文春文庫
 冒頭に石川淳の序あり。あとがきによると、著者が「文藝春秋」で食べ物の話を連載することになり、その題について石川淳に相談したところ、「食通知ったかぶり」がいいということで決めたとある。あわせ題せん(書名を記した紙片)を頼むとともに序をせしめたとある。「文藝春秋」の昭和47年10月号から昭和50年5月号までに連載された「神戸の街で和漢洋食」から「春の築地の焼鳥丼」までの16作品を収録している。各地の美味しい店、食べものについて丸谷流のユニークな視点で評価を展開しており、新鮮な思いで読む。特に、わがふるさと信州の馬刺しと蕎麦について記された「信濃にはソバとサクラと」は印象深い。
 本著の中で、氏は「戦後の日本で食べもののことを書いた本を三冊選ぶとすれば、邱永漢氏の「食は広州にあり」と檀一雄氏の「檀流クッキング」と吉田健一氏の「私の食物誌」ということになろう」と書いており、同著作はともに文庫本化されており、まさに傑作であり、この後紹介していきたいと思っている。なお、邱永漢氏の「邱飯店のメニュー」(中公文庫)の中の「”食通知ったかぶり”紳士録」で丸谷才一との交流振りに触れているので読まれたい。ちなみに、邱永漢氏の「食は広州にあり」(中公文庫)の解説は丸谷才一が記している。


●「食は広州にあり」 著者 邱 永漢 昭和50年6月10日初版 中公文庫
 冒頭、「洋楼」・「中菜」・「日本老婆」の文字が目に飛び込む。西洋館に住み、中国料理を食べ、日本人の妻を娶ることを快適生活の象徴とし、如何に中国人が第一義に生活のことを考え、食べることを大切にしてきたか、「食」を切り口に文化・文明評論が随所で展開される。本書のタイトルは、中国古来の言葉「生在蘇州、衣在杭州、食在広州、死在柳州」に発しており、広州では食べものの種類が多いばかりでなく、それらがとりわけ美味であることにはじまる。30章に及ぶ中で、広州料理を中心に中国料理全般、また、茶について、最後には人生論まで次から次へと豊かな文才で語りかけてくる。これら作品群は、昭和29年から雑誌「あまカラ」に連載されており、単行本は昭和32年に刊行されている。「本随筆の中に秘められた彼の教訓とは、人間は国が亡んだとて生きてゆけるということである。」とする丸谷才一の解説は是非一読されたい。


●「檀流クッキング」 著者 檀 一雄 昭和50年11月10日初版 中公文庫
 「春から夏へ」、「夏から秋へ」、「秋から冬へ」、「冬から春へ」の構成のもとに、都合92品に及ぶ料理の調理方法を紹介している。もともとこれらは、昭和44年2月から昭和46年6月までサンケイ新聞に連載されたものである。まえがきで本人が「私のような、まったくの素人の、料理の方法を公開して、いったい何になろうかと疑わしいが、しかし、また、素人の手ほどきほど、素人に通じやすいものはないだろうから、何かの役割を果たしているのかもわからない」と書いているが、単なる料理指南書に終わることなく、みずから食べ味わうものを作ることの愉しみ、料理の在り方を教えてくれる。カレー作りに凝っていた頃、本書で檀流カレーライスにチャレンジしたことがあるが、[メリケン粉を茶碗に半杯ぐらい加える。一緒によく炒め合わせた挙句に、カレー粉も加えてスープか水かで、丹念にときのばす」とある。茶碗といったっていろいろなサイズがある、何ccとか何Kgといってくれなければ判断に迷う。また、カレー粉は一体どのくらい加えればいいのか分からず難儀したことがある。このことについて、あとがきで荻昌弘氏が「この完全な数字無視は、調理指南書としての本書の、最も闊達な親しみやすさの特色で、元来調理者と会食者が各自決めるべき調味料の分量まで「砂糖小さじ1・1/2パイ」などと書かねば気が済まぬ(中略)日本の料理書、料理記事、料理放送のバカバカしさにあきれ果てていた者には、溜飲が下がる思いで調理への主体性を抑圧から解き放ってくれるポイントのひとつである。」と書いている。何はともあれ、痛快な料理指南書である。


●「食卓の情景」 著者 池波 正太郎 昭和55年 4月25日発行 新潮文庫
 著者はあの「鬼平犯科帳」を書いた池波正太郎である。「鬼平犯科帳」は好きで放映される折は、欠かさず見るようにしている。劇中、よく軍鶏の臓物鍋や菜飯・田楽などいろいろな食べものを味わう場面が出てくるが、そのたびに食指を動かせられる。これらの料理については、「鬼平料理番日記」(阿部 孤柳著 小学館文庫)に詳しい。収録されている作品群は、昭和47年から週刊朝日に「食卓の情景」として連載されていたもので、佐藤隆介氏の解説にあるようにその簡潔を極めた一篇一篇の香気高い文章の底に人生が感じられ、味わい深い。文中に数多くの名店が登場するが、行ったことのある店は銀座三丁目の「煉瓦亭」、神田の「藪蕎麦」、室町の「砂場」ぐらいのもので今も残っていれば是非訪れてみたいと思っている。また、「鵠沼の夏」の中で子母沢寛の著書「味覚極楽」が紹介されており、後刻、中公文庫で刊行されているのを探し、読む。これまた、名著である。


●「御馳走帖」 著者 内田 百閨@昭和54年 4月10日発行 中公文庫
 本文庫は昭和21年に出された「御馳走帖」と昭和40年に改訂増補して出された「新稿御馳走帖」の二著に、昭和40年以後の随筆を加え編集されたとある。冒頭、序に代えて掲載されている昭和20年夏の日記の抄綴は、戦時中のまさに物がない時期の食生活の状況がつぶさに記されており、飽食の時代に生きる身として、生きること、食べるということについていろいろ考えさせられる。「お祭鮨 魚島鮨」の中で、岡山で生まれ育った著者が子供の頃、食べた思い出をもとに東京の家でお祭鮨を作り知人の宮城道雄に届けるにあたり、宮城に色取りを見て味わってもらうわけにはいかないので、中に入れた具の目録を書き並べてそれを家の人に読んでもらって箸の先の手引きとしようとする件を改めて読み、数年前、岡山にいた頃、知人からよく御馳走になった祭鮨の味を懐かしく思い出すとともに、百閧フ人に御馳走する時の篤い心に感心する。また、「餓鬼道肴蔬目録」、戦時中、食べるものがなくなったのでせめて記憶の中から旨いもの、食べたいものの名前だけでも探し出して見ようと思いついて目録を書き出している。笑える話ではない。好きな時に好きなものが食べられる世の中に感謝。二度とこのような時代を迎えることのないようにとの思いを強くする。


●「私の食物誌」 著者 吉田 健一 昭和50年 1月10日初版 中公文庫
 金井美恵子は「食物についての文章を書くということは、簡単のように見えて非常に難しいことなのである。一冊の読むに耐え得る本当の書物であると同時に、それが現実のわたしたちがすぐに味わってみることの可能な食物について書かれたものであることが、この本の一番の魅力と言える。・・・吉田健一氏がわたしたちに語ってくれるのはそうした食物の持つ本質的で陽光に充ちた豊饒さである」と解説している。本書では「長浜の鴨」に始まり「日本の米」まで土地、土地の旨いもの等100品についての紹介と食に関する随筆が6篇登載されている。この中で特に印象に残っているのは「近江の鮒鮨」と「佐久の鯉」の二篇。鮒鮨の味について「こういうものになるとその味をどう説明したものか考え込む仕儀になる。先ず言えることはこれは尾を除いて頭からそこまで食べられて、その頭が殊に結構である。・・・これを茶漬けに使う時は塩の他に海苔も足すべきで、この茶漬けで食べるやり方の方がただの飯でよりも晴香にく鮒鮨の味が出るから初めから茶漬けで食べた方が楽しめる」と。また、鯉について「鯉の泥臭さも脂っこさも又独特の匂いも凡て佐久の鯉にあって鯉こくにして食べていて、これだ、これだという感じになる。その内臓と思われる部分が殊に結構で頭の所に運よく当ればもう言うことはない。」ここまで触発されたら食べるほかないのである。


●「システム料理学」 著者 丸元 淑生 昭和57年6月25日第一刷 文春文庫
 本書が文庫本として書き下ろされ出版されたのが1982年、昭和57年だから、かれこれ四半世紀前になる。読んだ時は、その内容にかなり触発されたことを記憶している。やれタラコだチリメンジャコだと意気込んで築地の場外に買出しに行ったり、また、俄かに鰹節と削り器なども用意した。当時は、何事もシステム思考が流行でタイトルの「システム料理学」と本書の帯に書かれていた「あなたの食生活は果たして正しいか? これまでの料理ブックはまちがいだらけ 本書で家庭料理に改革を!!」の言葉に意気込んでいたような気がする。芥川賞候補作家だけに、明晰な論理と簡潔な文章で自らの実践に基づく料理法が記されている。現代栄養学をベースにした料理の真髄が随所にちりばめられており、今でも、その幾つかの事柄は自然体で実践し重宝している。冒頭で四半世紀前に刊行されたとしたが、その内容は時を経ても全く陳腐化していない。まえがきにある「男女厨房に立つ」に共感できる方は、是非座右の書としていただきたい。


●「料理歳時記」 著者 辰巳 浜子 昭和52年1月10日初版 中公文庫
 本書に収められた作品は、昭和37年から昭和43年にわたって「婦人公論」に書き綴られたものをベースとしている。自然が産み出した食材本来の味わいを見抜き、慈愛の気持ちを持って真摯に料理に取り組んだ著者の姿勢が行間に滲み出てり、単なる料理指南書にとどまらない「本質」の書である。荻昌弘氏が解説で「日本が、第二次大戦後のある時期、つまり昭和40年代の前半まで、その国土のなかに、どんな豊かな、幅広くそして深い「味の食材」を生かし蓄えていたか。そして、心と実力ある日本の母たちは、いかにその豊かな国土の素材を、丹精こめて育み、手しおにかけて夫や子供たちに食べさせる独自の文化を所有できていたか。これはその証言なのである。日本は、あの激烈な高度経済成長のさなかまで、このように香り高い海の幸山の幸をたわわに守りとおし、国民を大きくやしない育てていたのだ、という驚きを本書に読みとるとき、私たちは、羨望や懐旧以上に、悔恨と痛憤にこそ胸を焼かずにいられなくなる。そして今後、不幸にも私たちは時が経てば経つほど、本書に記された日本の素材からは、遠ざけられ、ひきはなされ、その純正の味も香りも忘れはてるような、索漠の食世界に生きる確率を、強めてゆくことになるだろう。私たち一人一人がよほど根源的な回心と転生でこの大事な列島にいのちを吹き込み返さないかぎり、辰巳夫人がここに証言された味の生きものたちは、ふたたび甦ることはないだろう。」と記しているとおり、多くの人に思い知ってもらいたい一書である。ちなみに、辰巳芳子(中公文庫「味覚日乗」の著者)は、浜子女史の愛嬢である。


●「男子厨房学入門」 著者 玉村 豊男 昭和60年4月25日第1刷 文春文庫
 文庫本としての発刊は昭和60年であるが、もととなる単行本「男の旅立ち、いざ厨房へ」(昭和56年12月KKベストセラーズ刊)を改題、発刊したもので、先に紹介した丸元淑生の「システム料理学」より半年あまり先行して世に出されている。視点、対象とするレベルは異なるものの「男子厨房に入らず」に対するアンチテーゼから書かれているところは両著共通する。文庫本の発刊時期は別として、先ず「男子厨房学入門」から入り「システム料理学」へと読み進めるのが望ましい。本書はまだ一度も台所に立ったことのない者の料理入門書として書かれている。その序章「失われたパン−料理は男のサバイバル」では、夕方家に帰ったら誰もいない、腹が減っていて、しかも給料日前で外にメシを食べに行くカネもない。冷蔵庫を開けても何もない。あったのは古く固くなったパンが一枚。これを使ってフランス料理”失われたパン(パン・ペルデュ)”−映画「クレーマー クレーマー」でダスティン・ホフマン演じる父親が苦闘するあのフレンチ・トーストである−作りを試みる。二章「料理の作風−何をどう作るかが問題」では、鍋ものの作り方、ご飯の炊き方、味噌汁の作り方を、三章「旅立ちの愉しみ−料理はパズルだ」では、メニュー作りの発想法を、そして終章「台所の後始末を−新クレーマー氏のための料理論」では、料理は愛情ではない、料理は必要悪である、料理はパロディーであるとの持論を展開する。なかなかユニークな料理論で一読の価値はある。


●「青魚下魚安魚讃歌」 著者 高橋 治 平成7年6月15日第1刷 朝日文庫
 初出は、「クロワッサン」昭和61年3月10日号〜62年2月25日号で、本書はそのあとがきに記されているとおり、安く、味豊かに、人間の命を養ってくれる非高級魚”青魚下魚安魚”への讃歌である。冒頭の「鰯の味と、鯛の味」に始まり「鯛よりボラ」、「鯛よりブリ」などの中で、高級魚、鯛も形無しの体である。「沖アミをふんだんに撒き散らすいわゆる”コマセ漁法”が爆発的に全国に広がったせいで、畜生の悲しさか、鯛が動き廻らなくなってしまった。それはそうだろう。海底で待っていれば、栄養過多で海底を脂焼けさせ、腐らせるほどの沖アミがどんどん降って来るのだから。要は、鯛がブロイラー同然になり果ててしまったのである。そこへ全国で鯛の稚魚を大量に放流する。この方は餌づけされて育つのだから、インスタント食品を美味いと信じこんでいる現代っ子同様で、沖アミほど結構なものはないと思いこんでいる。かくして、私の住んでいる相模湾の鯛は、養殖ハマチとどっちが不味いかという、魚の味の最下位を争うほど情けないものになり果ててしまった。」と、同じ釣りを楽しみ、また、食いしん坊としてまさに同感である。また、「魚の王者といえば、誰でも、先ず、鯛を考えるだろう。・・・鯛は年間この時期は駄目だという期間が極端に短いが、味の最高峰を争うということになると、万年大関なのである。では、横綱はどんな魚なのか。横綱は無数にいる。下魚の最たるものと考えられている鰯でさえ、横綱に踊り出て来ることがある。それが旬というものなのだ。冬、真鰯の旬である。ためしに、鯛と鰯と刺身を食べ較べて御覧になるとよい。眼を閉じて、全神経を舌先に集めて、口の中にひろがる脂のこくが違うことに気づかれるだろう。鯛は無難な味だが、真鰯には一種の魔力がある。」と、かように普段、不当に冷遇されている青魚たちを是非見直すべきとの熱い想いが全編に溢れており、想いの強さが伝わってくる。ただ、近頃、不漁のせいかこの愛すべき青魚、特に鰯が安い魚ではなくなりつつあるのが気に掛かる。


●「大地からの贈物」 著者 太田 愛人 昭和60年12月25日印刷 中公文庫
 あとがきに、本書は信州での生活を基にして書いた「辺境の食卓」を読み「羨ましいが、都会に住んでいる者にはとても無理だ」との批評を寄せた人、過疎地の信州から過密地の横浜に居を移し「どんな生活をしているのか」と興味を持つ人々に対して、その回答のつもりで書いた原稿を中心に他の原稿を加えて一本にまとめたものであると記されている。移り住んだ横浜の地でも居宅の近くに畑地を借り、大地とのつきあいを続け、台所の戸を開けると畑に通ずる”地続きの台所”で「大地からの贈物」としての地の糧を、直接口にする豊かな食卓を楽しんでいる。全編を通じて都市化社会の中で見失いがちな視点を心豊かに語りかけてくる。「歩いたあとで」では、松本はなによりも散歩に堪えうる街で、女鳥羽川の彼方の常念岳の肩に、槍ヶ岳の穂先が見える日など歩いただけで楽しくなると、また、マルモでコーヒーを飲んだ後、川風に吹かれていて、何気なしに川面を見ると、何とクレソンがぎっしり生えているではないか。元町のユニオンで一把八十円するクレソンが川に密生しているのを見ると、心豊かになってくると松本の良き印象についても記している。今でもマルモはあるのだろうか、クレソンは生えているのだろうか。これからもこれら良き松本のイメージが損なわれることなくずっと続いていって欲しいと願うのみである。前出の「辺境の食卓」と、その続編として出版された「羊飼の食卓」(羊飼はべつに牧師の名称。なお、一部の作品は「辺境の食卓」より年代的に前に書かれている。)もともに中公文庫から刊行されており、あわせ読まれることをお勧めする。


●「土を喰う日々」 著者 水上 勉 昭和57年 8月25日発行 新潮文庫
 その副題に「わが精進十二ヵ月」とあるように、著者が仕事場としている軽井沢の住まいの一隅にある野菜畑(3畝というから約300平方メートル)で育てた季節の野菜を材料に精進に徹した料理を工夫した様を1月から12月に章立てして綴っている。九歳の時に禅宗寺院の小僧として入寺し、そこで精進料理を覚える。何もない寺の台所で、その時、畑でとれる野菜とあとは豆腐か油揚げを使って料理を工夫する。何もない台所から絞り出すことが精進で、料理は畑と相談してから決められる。このことから著者は精進料理とは、土を喰うものだと思うにいたり、旬を喰うこととはつまり土を喰うことととらえ、土にいま出ている菜だということで精進は生々してくると言う。何でも手に入る軽井沢での生活の中でも、少年の頃、寺での生活で培われた洗い水も惜しみ、芋の皮一切れだって無駄にせず、その材料を親しく見つめ、細かいところまで行き届いた心で扱う姿勢が貫かれている。文中に道元禅師の「典座教訓」の文章が紹介されているが、まさにその教えを実践している。月ごとに紹介されている料理は、身近で素朴な素材を使った精進料理であるが、読んでいて自分も作って味わってみたくなるほど旨そうで、解説で丸元淑生氏が「一人の生活に根ざした料理人の書き上げた一冊の生活料理書であって実に学ぶところが多いのだ。(・・・しかもそこで開陳される知識が著者九歳の体験に基づいているあたりが、この本のすごいところで、あえて料理人といったのは、実際、十代の水上先生は、食事にうるさい禅寺のなかで、すでにひとかどの料理人だったと思われるからである。)」と記しているとおりである。


●「冒険家の食卓」 著者 C・W・ニコル(松田銑訳) 昭和61年11月25日初版 角川文庫
 本書に収められたエッセイは、角川書店刊「野生時代」の昭和54年5月号から昭和55年10月号にわたり「ニックの特別お料理講座」と題して連載されたものである。読んで、冒険家とはいえ、まあ、よく何でも食べるものだとあきれる。二コルは「わたしはどんな民族の食物でも楽しんで食べることができ、冒険家として暮らしてきたおかげでさまざまの風変わりな食物を味わう機会に恵まれた」と言う。そして、命をつなぐことが問題である場合には、食べられる物は何でも食べる。料理法についても、手に入る材料は何でも使うとのたまうが、女の子に振舞うミートソースの肉に窮して猫の肉をつかうのは別だと思うが如何だろうか。それはそれとして、南氷洋での試験捕鯨船上で食された「京丸巻」(白いしゃりの上に鯨の赤身の片が載って、頃合のわさび、その上にはほんのり黄色がかった白い皮、そして濃緑の海苔がくるりと巻いてある。京丸巻は著者の命名)は何とも旨そうで、何時か機会があったら是非食べたいと爾来ずっと思い続けている。本書を読んだ後、紀州・太地の鯨取りを題材に書かれた「勇魚」を読み、作家としての力量を再認識するとともに黒姫の地で熱心に自然保護活動を行っている著者に日本人より日本の自然、文化を愛しているのではとの感を抱く一人である。


●「食は胃のもの味なもの」 著者 小泉 武夫  平成9年1月18日発行 中公文庫
 食べられるものなら何でも食べる(食べてきた)と標榜している「冒険家の食卓」の著者C・W・二コルに匹敵し双璧といえる御仁は知るかぎり小泉武夫をおいて他にない。本書は、その「あとがき」に代えてに述懐しているように少年時代から貪欲なまでに食に興味を抱いてきた著者が、何でも食べてやろうの発想から編み出した独創料理の作り方と食べ方を紹介するものである。その数、60品、それぞれ楽しくなるような料理名が付けられお遊びと受け取られかねないが、奇食珍食の類ではなく、理に適って実に旨そうでかつ簡単なので今すぐにも作って食べてみたくなる。この中から一つ、実際に食べてみて推奨したい「天狗印茶漬け」をご紹介する。材料は、くさやの干物(またはビン詰めの焼きくさや)、トロロ昆布、三つ葉芹、番茶、ご飯。作り方であるが、ドンブリに熱い飯七分目を盛り、この上に焼きたてのくさや半身分をほぐして全体にまく。さらにその上に、トロロ昆布を適量まいてから、少々の塩とうまみ調味料で味をつけ、これに沸騰した熱湯で煎じた番茶を上から注いで全体を浸し、薬味に三つ葉芹を刻んだものをまくだけで出来上がり。実に簡単でではあるが旨い。くさやの代わりに鮒寿司を使って、同様な方法でつくる茶漬けも絶妙である。何故、天狗印茶漬けと名づけられたかは、本書を読んでいただきたい。


●「甘口辛口足まかせ」 著者 渡辺 文雄 昭和62年2月10日初版 廣済堂文庫
 昨年8月、享年74歳で亡くなられた。今でも、テレビの旅番組の中で味わいのある語り口で語りかけてくるような錯覚を覚える。「くいしん坊!万才」の初代レポーターとしてまた、「遠くへ行きたい」の旅人として、いろいろな人、食べものなどとの出会いを紹介してくれた。あとがきに著者が「年をとったのかと思う。甘口辛口ほど良き匙加減で仕上げてやろうと思って書き始めた文章も、出来上がってみればなにやら頑固爺の繰り言の如きブツブツ、グチャグチャの辛口仕立て」と記しているが、本書は、単なる旅で出会った美味しい食べ物の紹介にとどまらずその食べ物に係わる人々、風景にも目を配り、また、素直な気持ちで自らの思い上がりを省み、人間と食べ物の本来の有り様について考えさせてくれる印象深い一冊である。「身がってな人間様」の中で米、鶏卵を例に挙げ「人間というのは実に身がってなものである、と思う。不足、不自由、不便ということになれば、どうしたんだ、実態をはっきりさせろ、なんとかしろと喧しいのに、満ち足りた時には、誰がどんな努力を、その実態はどうなっているのか、などということはひと言も言わない。考えてみようともせぬ」とぐさりと言及し、他の生命体や、あるいは生産現場に対する深い認識と理解がなければ、本当の意味での、味に対する認識と理解は出来ないとの著者の考えを展開する。テレビの世界ではかいま見れない渡辺文雄の思いを知り、共感いただきたく一読をお勧めしたい。


●「男の手料理」 著者 池田満寿夫 平成元年10月10日発行 中公文庫
 本書に収録されている作品群は、産経新聞土曜版に「池田満寿夫の男の手料理」として約一年間にわたって掲載されたもので、手軽で機知に富んだ62品に及ぶ料理が軽妙洒脱な文章とともに紹介されている。最初の「コロンブスの卵丼」を読んだ時には、あまりの芸のなさに期待をはぐらかされた感を抱いたが、読み進むうちに、これはいける、食べてみたいと思う料理が次から次へと登場し、最後まで一気に読み通した。見聞きしたり出された料理から思い付いて作られた料理が数多く登場する。芸術家だけにただそれだけで終わらさせず、それをもとに新たな発想、創造に繋げていく、凡人にはなかなか真似できないことである。簡単であるが故に、実際に試したものも多く、マヨネーズを使ったフライもどき、チーズのステーキ、揚げないコロッケ、フライパンのタコ焼きなど枚挙に遑がない。このてのものを料理と称してよいのかどうか議論のあるところではあるが、最後に細君の佐藤陽子がフォローしている。「何はともあれ、自ら公言しているように、この本には料理の機知が一杯つまっている。ちょっとしたヒントとエッセンス。料理の本としてでなくても、あくまでエッセイとして楽しめるはず」と。

 

●「食味歳時記」 著者 獅子文六 昭和54年1月25日第1刷  文春文庫
 著者は明治26年の生まれ。本書主篇の「食味歳時記」が「ミセス」誌に連載されたのが昭和43年、著者75歳の時である。解説で神吉拓郎が「この本には、いろいろな読み方あるだろう。二十代の読者には,珍しい世界をのぞく興味がある。むしろエキゾチックな匂いを嗅ぐ喜びがあるかも知れない。三十代も、それに近いだろう。四十代は、一行一行に心を奪われるかも知れない。食に通じた人の、何気なく語られるひとことの含蓄に驚くだけの下地が、そろそろ出来かけているはずだから。そして、五十代に入った人は、このなかの食物の選ばれかたに、まず頷くだろうと思う。歯医者に通う回数が増え、舌が変わると共に、この本が、見事に身近な書であることがわかってくる。・・・そしてこの本が、食味の歳時記であると同時に、一種の老人入門であることに気がついた」と、世代で異なる味覚の変化を見事に把えた一書であるとしている。三十代で読んだ時の珍しい世界も、この歳になって読み返すと身近で共感する部分が多く、書かれている中身も時の隔たりを感じさせず、新鮮な味わいがある。立会川のカニ舟から買ったカニの茹でたて、桜の若葉が出る頃のギンポの天ぷら、長良川産の鮎の塩焼き、読んでいるだけでつばが溜まってくる。近代化社会というものと引き換えに失ってしまった昔のものの味の貴重さをまさに痛感する。「鮎の月」の結語「季節のものがウマいのは、人間が季節の中にいるからである。人間の諸条件が、体も、心も季節の中にあるからである」は、けだし名言である。


●「芝居の食卓」 著者 渡辺 保 平成13年1月1日第1刷発行 朝日文庫
 本書は、柴田書店刊行の雑誌「専門料理」に連載されたものをまとめたもので、単行本は平成6年に刊行されている。芝居といってもいろいろあるが、本書で取り上げられているのは「歌舞伎」である。あの荒唐無稽な筋書き、立ち振る舞い、加えて何を言っているのか俄かには理解できない仰々しい物言い、正直言ってこれまであまり馴染みがない世界である。林望氏が解説で「どうも歌舞伎に対して冷淡至極なる人間になってしまっていたのである。しかし、ここに、そういう私をして、うーむと唸らせた書物がある。なるほど、歌舞伎を見るについて、そういうところに、こんな風に注意してみるべきであったか、といたく反省せざるを得なかった。それがこの「芝居の食卓」という本である。この本を読んでから歌舞伎を見ていたなら、きっと百倍面白かったにちがいないと、今さらながら残り多いことに思われる」と記しているが、まさに同感である。人間にとって食卓は単なる生存のための条件なのではなく、食こそが人間が人間であるための、文化のかたちに他ならないとする著者が、芝居の中に出てくる料理、食事を切り口に、芝居の筋書き、裏にあるもの、登場する食べ物が意味するところ(その多くは芝居の重要な要素になっている)を分かりやすく、かつ深い洞察力で紐解いてくれる。その楽しみかたが少し分かったような気がする。もともとその昔は、歌舞伎も庶民の現代劇であったわけであり、難しく考えることなく、役者の演じる持ち味(芸風)を、食べ物と同じように味わえばいいのかも知れない。


●「食いしん坊の民俗学」 著者 石毛直道 昭和60年10月10日発行 中公文庫
 本書の作品(4編を除く)は平凡社刊行の雑誌「太陽」の昭和53年7月号から昭和54年6月号に「食いしん坊の民俗学」として連載されたものである。民俗学という堅苦しいタイトルがつけられているが、著者があとがきで「本書を民俗学的方法による料理文化論というよりは、食いしん坊の民俗学者が書いた料理に関するエッセイ集として受け取っていただくほうが、気楽である」と記しているように、肩を凝らせることなく楽しく読める。それにしても類い希な食べ物に対する好奇心と実際に自らの足と舌で確かめた豊富な知識は流石である。「馬さしの周辺」では、信州人の馬肉好きに触れ、昔、松本、諏訪、伊那は「馬場所」と呼ばれ、牛耕ではなく、馬に犂(スキ)を引かせる馬耕地帯で、山地での運搬は牛車ではなく、馬の背にたよらねばならなかった、その意味でわが国で馬をいちばん利用していた信州で馬肉がよく食べられるのは、当然のことであるとしている。この後の文章で「ハチの子、ザザ虫、イナゴ、コオロギ,カイコのサナギなど動くものはなんでも食う信州人のこと、さすがに馬肉のうまさを心得てござる」と記している。ハチの子、ザザ虫、イナゴ、カイコのサナギは食べたことがあるし、実際に美味しい。しかし、コオロギは食べたこともないし、また、食べるという話も聞いたことはない。本当なのだろうか、知ってる方がおられたらお教えいただければと思う。日本文化論としても面白い本である。*コオロギについて、オリーブオイルと香辛料を使ってソテーすると、サクサクとした食感でナッツの味がして美味しいという話は聞いたことがある。


●「もの食う人びと」 著者 辺見 庸 平成9年6月25日初版発行 角川文庫
 これまでに読んできた食に関する著作で印象に残るものを紹介しているが、多分、本書が最も心に引っかかっている著作で、この本を抜きにしては「食」を語れない気がしている。どのような経緯で本書に出会ったのか定かな記憶はないが、そのタイトルから世界には様々なものを食う人々がいる程度の関心であったかも知れない。著者はあとがきで「人間社会の正邪善悪の価値体系が、主として冷戦構造の崩落により割れちらばり、私たちはいま大テーマのありかを見失っている。現在のなにを描いても、浮きでてくるのは、体系なき世界の過渡的一現象にしかすぎないのではないか。この漠然とした認識のもとに「もの食う人びと」という、丈が低く、形而下的で、そぞろに切ない、人間の主題を私は見つけた。高邁に世界を語るのではなく、五感を頼りに「食う」という人間の絶対必要圏に潜りこんだら、いったいどんな眺望が開けてくるのか。それをスケッチしたのが、この本なのだと思う」と語る。また文庫本の後書きの中で「「食う」というテーマは、その意味で測鉛のようなものであった。自他の胃袋の闇にそれを垂らしてみれば、人の世界の謎の深さが少しは見えてくるのではないか」と記している。本書は、「生きる」ということ、「食べる」ということの根源の意味を様々な現実を通じて問いかけてくる。どんなに辛く切ない状況に置かれていても食べるという行為は繰り返し続けられる。明日に向かって生きるために食べているというより食べているから生きているに近い。ファルヒア(*)は辛うじて生きてはいるが、もう食べられない、いや、立つことさえできず、声も涙も出ない。食べることを楽しむ、より美味しいものを食べ求めるということの対極にあるこのような現実を自分の中でどう収まりをつけていったらよいのか、読むたびに考えさせられる。世の中というものは、解説でも触れられているがまさに「実存は本質に先行する」であることを実感するばかりである。*内戦さなかのソマリアの首都モガディシオの避難民収容所に収容され栄養失調と結核に苛まれ明日をもしれない14歳の少女


●「男のだいどこ」 著者 荻 昌弘 昭和51年5月25日第1刷 文春文庫
 本書は、昭和44年から昭和46年にかけて、「別冊文藝春秋」に掲載されたものを纏めたものである。荻氏といえば、映画評論家としての活動が印象深いが、この書を読んで、その食に関する博識ぶりとエネルギッシュぶりには感嘆させられる。何せ次から次へと話題が展開するのである。また、その文調は戯文調で映画を評論する時の氏とは別の一面を伺えるもののどうも似つかわしくない。そのせいか読んでいて、何か落ち着かない感じが纏わりついて離れない。本人もあとがきで「本書をつらぬくものは、戯文のこころである。お笑い以外の何ものでもない。しかし、これを私が、ふざけて調子をゆるめて書いたか、とおもわれると、おもうほうは自由としても、書いたほうは若干ちがうので、私はむしろ、本業以外の領域でこういう徹底的戯文性を貫通すると、なんと自分はのびのびと自分自身でいられるのだろう、と実感しながらこれを書きつづけた、と終りに白状しておきたい。てれくさい言い方だが、私は本気でジョークをいっていた」と言い訳ともつかぬ心の内を記している。続けて「私がここで言いたかった主題、それはたった二つである。ひとつは、食をかたり、食の実作に手をそめることは、男にとって、恥でも何でもありはしないではないか、という提言。いまひとつは、それにしては現今、われわれをとりまいている日常の市販食品は、何と、うさんくさいものではござらぬか、御同役、という問いかけである。私は著者として、この二主題への、一人でも多い同意者を希求する」と何か借り物の空々しい言葉だけが残り、言わんとするところが響いてこないのである。
 やっと最後に「そして、結語」の締めで「拙宅で、真の批評家は、猫であるだろう。これは、私の製品が本当にウマいときは、私が食いおわるまで、涙がたまるような巨大な目を見ひらいて、じいっと私の唇を凝視しており、逆にマズければ、なげすてるように前肢の一本をふって、即座に冷然と遠ざかる。虚飾も包み隠しもないこと、いっそ、溜飲がさがるばかりの確信と洞察である。ああ私も、ああいう批評が書けたらなア、と今日も、また、われ、猫とともに、食う、か」に本音というか心情を垣間見て安堵する。昭和の終りに62歳で惜しまれて人生を閉じたが、もう少し生きていていただいて「鍋もの大全」を著して欲しかったと思うのは私一人ではないと思う。


●「たべもの歳時記」 著者 平野 雅章 昭和53年12月25日第1刷 文春文庫
 養殖・栽培・保存技術の進展、食に対する嗜好の多様化、さらには都市化により自然が身近から消え季節感が薄らいできていることなどから、食物についての”旬”感覚が失われつつあることを痛感している。いや、「旬(しゅん)」という用語すら死語になりつつあり嘆かわしいことこのうえない。ちなみに「旬」を辞書で紐解くと「しゅん【旬】」と「じゅん【旬】」とがあり、前者は「魚介・野菜などの最も味のよい時季」、後者は「10日。特に、一カ月を三分した各10日の称。上(初)・中・下に分ける」とある。著者もそのまえがきで「書名も本来なら「しゅんもの歳時記」とすべきでしたが、今日では、もはや「しゅん」といっても、若いひとたちには、通じにくいというので、止むなく「たべもの歳時記」と変えました」とある。その意味で、本書は「旬」の食材を知り味わううえで重宝な一冊である。数ある旬ものの中から各月ごとに20品ずつ旬ものを取り上げ、その原産地や名の謂われ、エピソード、料理のヒント、買い方・選び方のコツなどを俳句や歌を配して解説しており、季節の折々に店先に並んでいる食材と重ね合わせて楽しく読めるだけでなく、何を食べようかタネに窮した時など大いに参考になる。また、巻末には「しゅんもの一覧表」が掲載されており、一覧できて便利である。著者は北大路魯山人に師事し、料理、美術を学んでおり、食物文化に造詣が深く本書の他にも「食物ことわざ事典」、「熱いが御馳走ことわざ事典U」、「日本の食文化」、「旬の味手控帖」、「魯山人御馳走帖」などの著作(文庫本化されたもの)がある。


●「食は三代」 著者 出井 宏和 昭和60年8月23日発行 新潮文庫
 著者は、銀座の関西割烹「出井」の二代目で、本著は文庫書き下ろしである。書名とされている「食は三代」は、中国の故事にもとづく言葉「富貴三代、方知飲食」(住は一代、衣は二代、食は三代)で、その意味は「一代で金持ちになった人は、自分の住む家に凝ってお金をつぎ込む。しかし、着る物の良さがわかるのは、金持ちが二代続いてからである。食に至っては、孫の代にならないとその味はわからない」ということのようである。なかなか含蓄のある言葉で、著者の思いは「住は一代、衣は二代・・・」に綴られている。世界各地への旅や料理修行を通じて得た知識と経験をもとに文化としての料理が語られており、これが「東西食文化考」と副題を付けた所以で、興味深く読まさせてくれる。アメリカには美味しいものがないとよく言われるが、実はアメリカ的な食べ物、ピュアーハンバーグ、オレンジジュース、ピュアーなメープルシロップをかけたホットケーキ、さらにはカリフォルニアの砂漠地域で食べたチリソースビーンズなど結構魅力的なものがあり、要は「味は風土」であると語る。最後の「料理は文化」では「現在我々は、幸いにも先進国の仲間入りを果たし、高い水準の文化生活を送ることが出来ています。そして一握りの人々によって伝承されて来たすばらしい日本料理を享受しています。そしてこの後、二世代、三世代と、この高度な文化生活を続けることが出来れば、日本人は必ず人類史上最高の料理文化を築き上げることが出来るはずです。・・・各国がお互いにその文化を尊敬し合い、認め合っていけば、地球上は相互理解のすばらしい世界となり得るのです。平和であれば、人類は文化の発展を競い合い、より豊かな生活を享受することが出来るものと信じています」と熱い思いで結んでいる。なお、本書には随所にカラー写真が掲載されており目も楽しませてくれる。

●「料理ノ御稽古」 著者 嵐山 光三郎 昭和61年7月20日初版1刷 光文社文庫
 本書は、「イーツ」昭和57年第1号から同61年第17号までと「ターブル・ドゥシェフ」昭和59年3月号から同61年3月号に連載されたものに、加筆、再構成したものである。うまいものは自分で作るに限る、料理は想像力であるをモットーとする著者が、その半分以上どこの料理店にも料理本にも出ていないユニークな料理を紹介してくれる。
 食べかすが歯に引っかかるあの焼きトウモロコシを、生の状態で一粒ずつ外して、フライパンで醤油をかけて焼く醤油モロコシ、キリボシダイコンを煮立った油の中に入れ三秒後に取り出すだけの三秒間キリボシ揚げ、植木鉢になったままの高山の小ナスをヌカ味噌に漬けてしまう漬物の活きづり、また、干しダラを三時間水で戻し、水気を切ったその身を昆布じめした干しダラの昆布じめ(石毛直道氏がアフリカの砂漠の真ん中で同行者に干しダラを水に戻して刺身にして振舞ったのをヒントにしたそうな)などなどユニークな発想だけでなく実に旨そうで食べたくなる品々が数々登場する。このほか、「タコ退治料理」では、邱永漢氏に教えてもらったという姿干しダコと豚バラ肉、レンコンを煮たスープが紹介されており、何とも食欲をそそる。近いうちに日間賀島産の姿干しダコを使って試作してみたいと思っている。斯く斯く左様に楽しい一冊である。

●「大江戸美味草紙」 著者 杉浦 日向子 平成13年6月1日発行 新潮文庫
 著者はもともと漫画家として独特の画風で江戸の風俗などを描いていたが、平成5年に引退し、その後江戸風俗研究家として活躍していたものの、昨年、享年46歳の若さで惜しまれつつ死去。本書では、「誹風柳多留」を初めとする江戸の川柳集から川柳を引用しながら四季折々の江戸っ子の食に係わる生活ぶりを紹介している。「初鰹ラプソディー」で引用されている川柳を3つ、4つ紹介する。「初鰹そろばんのないうちで買い」−身代を築く金持ちというものは、概して倹約家であるから、かように法外な鰹なんぞに手出しはしない。収支決算、家計簿などに縁のない、日銭で食う職人が気前よく買うことになる。「寒いときお前鰹が着られるか」−女房を質に置いても食べたい初鰹、初夏の陽気に後押しされて、冬物を一切合切質に入れ、鰹を買った馬鹿亭主。山の神のごもっともなご意見。「意地づくで女房鰹をなめもせず」−女房殿、無駄遣いに精一杯の抗議、そっぽむき。「初鰹にわかに安くなるさかな」−祭りは一陣の風のごとし。ひと月もたたぬうち、五十分の一の値段となる。ほんにあきれるあとの祭りである。
 馬鹿げていると言えばそれまでであるが、江戸っ子の「粋」と言うか「意気地」ぶり、江戸川柳の「洒落心」が楽しい。江戸時代の人々の思いをうかがえ楽しめる一冊である。ちなみに美味草紙は「むまそうし」と読む。

●「料理に「究極」なし」 著者 辻 静雄 平成9年6月10日第1刷 文春文庫
 本書は、著者が平成5年3月に急逝するまでの10年ほどの間に、あちこちの雑誌に寄稿したものや対談、講演などをまとめた最後のエッセイ論集を文庫本化したものである。著者はご存じのとおり辻調理師学校を創立し、校長として料理教育に従事するとともにフランス料理の研究、普及に尽力していたが、60歳でこの世を去ってしまった。晩年、氏の内臓はあくなき美味の追求のため、相当疲弊していたと何かで聞いたか読んだ記憶がある。大岡信氏は解説「にもかかわらず「究極」を求める人」の中で、「辻さんの死は、料理という底知れぬ探求の戦場において壮烈な戦死だったという思いが、その逝去時にも、いやたった今でも、変わらずに私につきまとっていて離れない。この本、「料理に「究極」なし」を読む人は、彼の、どこまで行っても終点というものがない追求欲に驚かされるだろう」と記す。また、あとがきに代えての中で、ご子息が「料理というものには、「究極」とか、「わかった」などとはいいきれない、あるもどかしさや不確かさがつきまとうということ。さらにはその「料理」を学び、教え伝えることのむずかしさ。などといった、一見、ペシミスティックに過ぎるのではないかと思われる言辞の数々がちりばめられています。しかし、逆にそれらが、辻静雄のフランス料理研究への情熱の根拠となっていたのではないかと、私には思われます」と記している。全編を通じて著者の「常に根本へかえり、物事のなりたちを究めようとする精神」が貫き通されている。収録されている丸谷才一の弔辞を引用するまでもなく、まだまだいろいろと語り伝えてもらいたかった氏の早世は寂しいかぎりである。

「食のページ」メニューに戻る