越前の思い出

 朝早く目覚めたので、ベッドの中でラジオをつけると、日本海でのズワイガニ漁解禁のニュースが流れていた。日本海と聞いてかつて生活したことのある福井、越前海岸が脳裏を過ぎる。冬の越前海岸の風物詩といったら、先ず”波の華”海岸線の岩礁に打ち寄せられた波が白い泡に化し、風に吹かれて舞い上がり、まるで花びらが舞っているかの如き様を見せる。また、どんよりとした日本海特有の冬の空に、突如、閃光が走り、”雪起こし”と呼ばれる季節外れの雷が鳴り響き、程なく、みぞれが、追って雪が舞い始める。帰路を急ぐ車のヘッドライトの灯りも閉ざされるような地を這うような雪が舞い、本格的な冬の訪れを知らせる。
 越前にも、色とりどりの花々が咲き乱れる春から夏にかけての景色、海水浴客で賑わう夏の景色、周辺の山々が紅葉に染まる秋の景色など四季折々の見るべき景色があるが、何故か厳しい冬の景色が印象に強くまた、越前には冬の景色が似合うと思っている。越前海岸以外の冬の景色として印象深い景色が二つある。その一つは、大野の山中に雪に覆われ静かに佇む宝慶寺の景色。もう一つは、若狭は小浜の津々と降りしきる雪に覆われた明通寺の景色。宝慶寺は、開祖道元禅師の侍者であった寂円が、道元の死後、大伽藍化した永平寺の俗化に反対し、永平寺を出て大野の山中に建てた寺である。司馬遼太郎がその著書「街道を行く」の中で、越前を訪れた際、永平寺をおいて先ず宝慶寺を訪ねているが、それが何故なのか知りたくて同寺を訪ねた。大野の町から深い山道を車で途中まで行き、後は雪道を踏みしめながらゆっくりと登る。登りきったところに雪に覆われた山門と堂が目に入る。その姿は、枯れてはいるが、道元の風を慕って永平寺を去った寂円の思いが伝わってくるような清楚な建物で、清々しい気持ちにさせられるとともに一目で気に入り,何故、宝慶寺なのかとの思いが消えた。明通寺は、鎌倉時代、頼禅法師が中興した当時の遺構で本堂と三重塔は国宝に指定されている。写真でその姿を見て、雪で覆われたその姿を勝手に想像し、それはさぞかし素晴らしいだろうと思い巡らし、機会があったら是非とも見たいものと思っていたが、雪国福井でも嶺南に位置する小浜地方ではあまり雪は降らないらしい。ところが、平成12年2月、この嶺南地区に珍しく大雪が降った。折りしも、同地を訪れる機会があり、雪が津々と降りしきる中、同寺を訪れ、頭に描いていたとおりの景色に出会え、感激する。その時に撮った写真が今でも思い出の一葉となっている。
 話は変わるが、ズワイガニの味わいも冬ならではの味覚である。食べるといっても黄色のタグが付いたブランド「越前ガニ」は高く、めったに口に出来ないので、当時は、足なりはさみが欠けて店に並べられないカニ(いわゆる問題ありカニ)や、内子を持ったせいこカニ(ズワイガニの雌で体も小振りで雄に比べ値段が安い)、水カニ(別名、ズボ蟹。ズワイガニとは別種)、はたまた北海道から冷凍で送られてくるものなどを多く食したのであるが、これはこれでまた旨いものである。ベッドの中でまどろみながら、暫し、越前に纏わる冬の景色と味わいに思いを馳せる。

「エッセイ目次へ」