「タロ」・「ジロ」のこと

 昭和34年1月、南極、昭和基地で「タロ」、「ジロ」が生存していたことをニュースで知り、国中あげて感激したことは今でも鮮やかに思い出される。しかし、前年2月、第一次越冬隊とともに活躍した15頭の犬たちが諸般の事情から南極基地に置き去りにされたことは、当時どの程度報道されたのか知らないが世間ではあまり話題にならなかったような気がする。後に読んだ「犬たちの南極」(菊池徹著)によれば、犬たちを置き去りにせざるを得ないとの判断が下された後、宗谷には「物言わぬ隊員を絶対に殺すな。万難を排して連れて帰れ」、「犬の恩を忘れたのか。若し犬を残すなら十一人と永田さんは帰るな」などの電報が多く寄せられ、極寒の地で犬たちと苦楽を共にした隊員たちの心中をいたく悩ませたようである。また、最後の引き上げの際にも犬たちを安楽死させるために毒まんじゅうを落とすための飛行を何とかやれないかなど模索したようである。救出することは勿論、安楽死さえもさせられず置き去りにした隊員たちの気持ちは如何ばかり辛かったか察するにあまりある。緊急事態の中で宗谷に運び込める量に制約があり、先ず第一は人間の生命(これに異論は無い)、第二に越冬中に得たサンプル・資料をとるのか犬の生命をとるのか、隊員間でも意見が分かれたと聞く。置き去りは南極観測隊員としての苦渋の選択であったのであろう。同著に、隊員の苦衷の叫びが記されている。「さようなら、オングル島!そして十五頭の犬たちよ!美しい夢を結んでくれたまえ、お前たちの生命がもしそのまま昭和基地に消えるとも、お前たちの名誉は永遠に歴史に輝くであろう。さようなら、さようなら・・・・・お前たちは偉大だった。君たちは立派だった。よく働いた。だのに、そのお前たちへの最後のはなむけが置き去りとは、私は気も狂わんばかりだ。さようなら、犬たちよ!さようなら、さようなら!」と。
  第二次越冬隊の要請で首輪に繋いだままにして置き去りにしたため、七頭(「ゴロ」「ペス」「モク」「アカ」「紋別のクマ」「ポチ」「クロ」)は首輪に繋がれたままの状態で死亡していた。残りの八頭は繋がれた鎖を解き放ち生き延びる道を選んだのだろうか、うち六頭(「雄シロ」「デリー」「風連のクマ」(タロ、ジロの父親)「アンコ」「リキ」「ジャック」)は行方不明に、「タロ」と「ジロ」だけが生きて発見された。どうやって一年もの間、人間のいない南極で生き延びることができたのであろうか。いろいろ推測されているが未だにナゾの部分が多いとされている。他の犬たちの死を思うと「タロ」、「ジロ」の生存を単純には喜べないが、それにしてもよく生き延びていたもので、置き去りにせざるを得なかった隊員たちにとってせめてもの救いであり、暗かった気持ちに一筋の光明を与えてくれたことであろう。ちなみにその後、「タロ」は昭和35年7月に昭和基地で病死。「ジロ」は昭和36年4月に帰国し、札幌の植物園で余生を送り、昭和45年8月11日、14歳で死亡。最後に基地で生まれた子犬八匹とその母犬シロは宗谷に収容され連れて帰られたことを忘れずに付記しておきたい。

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