花木を愛でる日々

 宿舎のベランダでは、爽やかな初夏の日差しを浴びて一気に、種々の花々が咲き始めるとともに新緑の葉を繁らせている。

 [アッと言う間に蔵が建つ樹]でアクラの樹の盆栽のことに触れたが、これまで動きのなかったその幹にも萌黄色の初々しい若葉がすくすくと伸びている。(右の写真) まさに明日へのエネルギーを分け与えられる思いがする。

 今、職場の部屋の窓際(残念ながら北側に面し陽は射さない)に置いてある植木鉢にも幾つかの変化が生じている。一つは昨秋にハナミズキの種を蒔いたプランターから双葉に開いた芽が健気にも一つ顔を出してきた。アクラの種のほうは未だ影も姿も見せない。蒔く時期が悪かったせいかも知れない。この一角に数日前から新しい仲間「鷺草」が加わった。ある方からいただいたものであるが、水苔の中から3〜4cmの芽を覗かせている。(下の写真)。

見るたびに伸びている感じでこれまた楽しみである。朝な夕なの一時、これらの花木に水を遣りつつ、可憐に咲いた花や生き生きとした若葉を眺めるのが日課の一つとして楽しみになっている。そのような時、ふと一首が浮かぶ。

  

「たのしみは朝おきいでて昨日まで無かりし花の咲ける見る時」

この一首は、幕末、福井の歌人橘曙覧の「独楽吟」の中に収められている。「独楽吟」は「たのしみは」で始まり「時」で終わる52首で構成されており、温かくつつましい家族との生活、自然の中に生きる喜びなどが率直に歌われている。

 福井に赴任していた折、初めて橘曙覧を知り、「独楽吟」に出会い、爾来座右の銘の書の一つとなっている。かって天皇皇后両陛下が訪米した際、歓迎の式典でのスピーチの中で時の大統領クリントンがこの一首を紹介したことで、世間によりその名が知られたことは記憶に新しい。まだ、曙覧の境地には程遠いが、「たのしみは日常の中にあり」を実感している今日この頃である。

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