「名古屋食べもの考」



 名古屋在住も通算で3年を過ぎるが、まだこれはという旨いものに巡り合っていないせいか、会う人、会う人に名古屋には旨いものありませんと半ば愚痴っている次第である。それでは、名古屋には旨いものはないかと言うと、そんなことはない。知る限りでもそこそこ何でも揃っているし、一応のレベルにはある。もともと名古屋の人に言わせるとあまり食べものについて拘らない風土が昔からあり、東京や大阪のような食文化が育たなかったのではとのことである。よく、東京人なり大阪人は問われるまでもなく自分の出身地を名乗るに対し、名古屋人は問われてはじめて出身地を明かすと言われている。また、「東京人は現在に生きる。京都人は過去に生きる。大阪人は今日の夕方に生きる」と言われるが、名古屋人についてどう言ったらいいのか思い当たらない。ある著作の中に「愛知県民は柔軟性に富む面と保守的な面とをともに持ち合わせており、それを情況によって使い分けている。そのような愛知県民の気質を最も強く持つのが名古屋人である」と書かれている。名古屋の食べものも柔軟性に富む面と保守的な面の両面から生まれ育まれているということなのだろうか。そんな名古屋の代表的な食べものを紹介する。


● ひつまぶし

  名古屋の旨いものについて語る際、必ずあげられるものの一つに「ひつまぶし」がある。ひつまぶしは、細かく刻んだ鰻の蒲焼きをタレをかけたご飯の上に載せ、お櫃に盛り付けたもので、三通りの食べ方で味わう。先ず一杯目はそのままいただき、二杯目は、添えられた刻みネギと山葵などの薬味を載せて混ぜて味わう、三杯目は刻みネギと山葵を載せた上に煎茶をかけてお茶漬けにして食するといった三つのバリエーションで鰻を楽しむ。ひつまぶしを食べさせる名店として「あつた蓬莱軒」と「いば昇」の二店があり、前者は大女将の主人と仲居頭が創意工夫の下に編み出した元祖であることを謳い文句にしており、「ひつまぶし」は同店の登録商標となっている。後者はもともと先々代が、冬に固くなってしまう鰻を美味しく食べる工夫として最初は店の賄い食として考案したもので、わが店がひつまぶしの発祥の店であるとしている。どちらが元祖、発祥であるかはどうでもいい。食べ方についてどうも違和感がある。あのどちらかと言えば甘く煮詰めたタレを付けて焼いた鰻、加えてタレをまぶしたご飯に山葵を載せ、お茶を掛けて茶漬けで食べるという嗜好、何回か食べるもいただけない。山葵を載せてお茶漬けにして食べるなら白焼きの鰻にすべきと何時も思うのである。このあたりは、味噌カツや味噌煮込みうどんの食味に共通しているかも知れない。嗜好の違いだけの問題ではないような気がする。


● 味噌煮込みうどん

  ひつまぶし同様、名古屋を代表する食べものの一つである。関東の醤油(濃口)の色そのものに汁に浸かったこしのないうどんしか知らなかった人間が、讃岐の色は薄いがダシの効いたこしのあるうどんに出会い、うどんは讃岐に限ると思い込んでいる者にとって、名古屋の味噌煮込みうどんには抵抗がある。とにかく、麺が固いのである。あの麺の固さは、味噌の風味を損なわないために生のまま短時間煮込むためで、好きな人にとっては、この麺の固さも美味しさの一つであるとされている。かって、最近でこそ若い人たちはあまり味噌煮込みうどんを食べなくなってきているが、ある世代までの名古屋育ちの人々の体の中にはこの味噌煮込みうどんを希求するDNAが受け継がれていてそれがため今でも愛され続けているとの話を聞いたことがある。また、最初にこのうどんが登場した時は、客の中に麺の固さについて苦情を言う者もいたが、店主も頑なにその固さを守り通し、お客も二度三度と味わううちにその美味しさを理解するようになり愛好者が増え現在に至っているとの話も聞いた。DNAや名古屋人のこだわりを持ち出されては何も言えないが、これまでいろいろな人の話を聞くにつけ、なかなか他所の人間には理解しがたい味わいであることは間違いない。勝手なことを言わせてもらえるならば、あの味噌味の汁と讃岐のこしのあるうどんを合わせて食べさせてくれる店があってもいいような気がするが如何なものだろうか。柔軟性に富む名古屋人のことだから意外と実現するかも知れない。


● あんかけスパゲッティ

  名古屋に来て暫くしてから、話題にでもと冷やかし半分で、地元の老舗であんかけスパゲッティを開発したとされ評判の錦にある店に出掛け初めてあんかけスパゲッティを口にした。カウンター越しに厨房を見ていると、先ず、既に茹でて固まった太目のスパゲッティの山から所定の量を取り分け、フライパンで炒める。次いで炒めたスパゲッティの上から胡椒味の効いたスパイシーなあん(ソース)を掛ける。そしてソースの上に別途炒めたウィンナーソーセージ(これがまた例の赤い色をしたソーセージ)と野菜を載せ、出来上がりである。アルデンテに茹でたスパゲッティのシャキシャキした歯ざわりなんぞとまったく縁がない。昔、薄暗い喫茶店で食べたいわゆる和製のナポリタン、ミートソースのようなスパゲッティまがいのものと変わらない味わいである。そんなことで、スパゲッティが食べたくなると茹で上げスパゲッティの店を探して食べに行き、暫く、あんかけスパゲッティからは遠ざかっていた。最近になって、住まいの近くにイタリア料理店を見つけ、お勧めと書いてあったイカ天スパゲッティを食べた。スパゲッティにイカの天ぷらとは妙な取り合わせで如何なものかと思ったが、食べてみるとなかなか旨いのである。これは、後で分かったのであるがあのあんかけスパゲッティであったのである。あんが妙に後を引く味わいで、その後何回か通っていろいろなメニューを楽しんでいる。店によるのかもしれないが、あんかけスパゲッティの味、少し見直しつつあり、捨てがたい存在になってきている。


 手羽先

  名古屋に赴任し、何回目かの飲み会の折にその会場となったのが、名古屋では有名な手羽先を食べさせる店であった。かねがね、市内を通り過ぎる際、目立つ看板だけは目にしていたが、訪れたのはこの時が初めてである。その看板には「世界の山ちゃん 名古屋名物 本家 幻の手羽先」と仰々しく書かれている。同店は市内だけでも30店近くあり、広く関東、北海道地区にも進出し、なかなか繁盛しているようである。席に案内されて、暫くすると山盛りになった手羽先(空揚げされている)がテーブルに置かれる。手羽先と言えば、これまでも焼き鳥屋でコースの一品として食べたことはあるが、特段気に留める存在ではなかった。出された手羽先はどちらかと言えば小振りで食べられる部分もそう多くない。一つ、二つと主に腕の部分の肉を歯で噛みとるように食べ続ける。胡椒が効いた醤油味でことさら旨いというわけではないが、後を引くのか累々と骨の残骸が積み重ねられていく。箸袋に手羽先の食べ方なるものが絵入りで紹介されている。これによると、先ず腕の部分と掌の部分を関節のところで捻ってちぎる、後は手掴みでそれぞれに肉の部分を食べ、しゃぶる。そうすればきれいに骨だけが残るとある。解説するほどのことではない。その昔は、せいぜいスープをとる食材として使われるだけだったものを、それなりに美味しく調理してかつ安く食べさせてくれるのだから文句を言う筋合いはないのだが、世界のとか、幻のとか標榜するのはちとおこがましい気がするのだが如何なものか。その後は、面倒くさいことが嫌いな性分のせいもあって、手羽先を知らない人が来た時に、物珍しさで案内することはあっても自ら食べに出掛けることはない。文頭にあるとおり、名古屋在住の人が外来の人に何はともあれ先ず紹介する食べものではなく、ご当地にはこういうものもありますよという意味合いで紹介する名古屋の名物である。

 

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