「日々是好日・・・森の秋編」

(拍手用小話18より)

 

きゃあ

千尋の悲鳴が森に響く。

書院の間で執務中の森の主は

ふと顔をあげ一瞬目を光らせると、

すぐにほんのりと微笑んだ。

いくら千尋に対する愛が海淵の底より

深い!!コハクヌシであっても、広い神の

宮の表と奥に位置している昼間の時間に

直接の声が聞こえたわけではない。

が、そこはそれ。常に千尋の気配を

体で感じていなくては落ち着かない

龍神は、密かにアンテナを高く

張り巡らせているのだ。

もちろん、そこに恐怖だとか驚愕だとか

いった負の響きが混じっていれば、

即行、千尋の元に赴いていただろうが

どちらかというと、千尋の悲鳴に感じた波動は

楽しくて嬉しくて幸せで、といった

浮き立つような思いの篭ったもので。

コハクヌシは、唇の端を小さくあげたまま

中途半端だった仕事を仕上げると

傍らの眷属に指示をだす。

そうして主の突然の上機嫌に心の中で首を

かしげている遊佐をそのままに、森の主は

午後半ばの休憩をとるべく部屋を出たのだった。

 

「由良ちゃん、篭をこっちにちょうだい。早く早く。」

「ちー様、私がいたしますから。ほら枝が

弾かれると危ないですぅ。」

「ハシバミがこんなにたくさん。今年はいい秋ね。」

慌てたように側に来ようとする付き添いの木霊に

うきうきと話しかけた瞬間、手の中から枝が滑り落ちる。

きゃあ

撥ね上がった枝を間髪でよけた千尋は

キャラキャラと笑いを零しながら頭上を見上げた。

「やん、せっかく手繰ったのにぃ。」

懲りない千尋は手を伸ばしてもなかなか届かない

位置に行ってしまったツノハシバミの枝をつかもうと

ピョンとはね飛ぶ。2回3回と挑戦する千尋を

傍らで篭を腕の中に抱き込んでいる木霊は

半分あきらめ顔で、かつはらはらと見守っている。

 

森の主は、ほんの少し離れた場所にあるブナの木の

高い梢の上から、そんな光景を覗き見る。

周囲は秋の色に彩られ、暖かい午後の日差しが

差し込んでいて、そんな光と色彩で全身を

染めながら、龍神はくすくすと笑いを

零しそうな顔で愛おしい娘を見つめている。

視線の先ではやっと枝をつかんだ千尋が、

片手でハシバミの実をもごうと手を伸ばしていて、

そうして、木の実の汁でほんの少し染まった指先に、

森の主は何かを思い出すかのように目を細めた。

 

今よりももっと小さく幼かった指先。

『あれって食べられるのかなあ〜。』

『あ〜ん、届かない。』

残念そうな幼い少女の呟きに風のふりをして

枝を揺らし、木の実を落としてやったのだったと。

ラッキーっと満面の笑みで中の木の実を口にして

微妙な表情をした少女にこっそりふきだしたのだと。

気づいてもらえぬ切なさとそれでも少女の笑みで

満たされていたあのときの複雑な思いまで

そのまま甦ってくるかのようで。

 

 

 

「そなたは、この実は苦手だったのではないの?」

突然姿を現して何かしらのちょっかいをかけてくるのは

いつものことで、手を重ねるようにして枝を押さえた夫を

見上げ、千尋はまるで今まで続けられていた会話を

続けるかのように嬉しそうに微笑んだ。

「あら、煎って食べるとおいしいのよ。生で食べても

しぎしぎしてほんのり甘いし。」

目の前までたわめてくれた枝から今度は

両手を使って実をもぐと、千尋は楽しそうに続ける。

「ヘーゼルナッツと同じようなものなんですって。

クッキーと一緒に焼くと香ばしいのよ。」

あっちの枝も下ろそうかという夫にううんと首を振り

あとは森のものだからと、パタンと篭のふたをしめた。

ちらりと覗いたそこには、鬼ぐるみやら山栗やら

トチノミやら、山ボウシやズミの赤い実やらが

少しずつ、しかし篭いっぱいに詰まっていて、

千尋が過ごした午後の様子と森の豊かさが

見て取れて、コハクヌシは満足そうに笑んだ。

そうして、もう一つ、ふと思い出した内容に

心のうちでひっそりと笑んだ森の主は、妻の

手を取って歩みながら何気に話を続ける。

「異国では、魔法使いの杖にこの木を使うことがある

のだそうだよ。これは魔力を秘めた木なのだとか。」

「魔力?」

「そう。ハシバミは直感を磨き真実を

あらわす力があると言われているのだ。」

「ふ〜ん。はくっていろんなことを知っているのね。」

「一応ね。これでも魔女の弟子をしていたこともあるから。」

苦笑しながらの言葉にそういえばそうね、と

千尋はくすくす笑う。

そんな笑顔を眩しげに見やった龍神は、

そっと身を屈めると声を低めて小さな耳に囁いた。

「この木には、もう一つ秘められた力があるのだ。」

意味ありげな囁くような声に、訝しげに見上げてくる

あの頃と変わらない無邪気さと、愛し愛される

ことを知ったがゆえのどこか艶めいた色を湛えた

瞳に、龍神は密かに息を呑む。

「もう一つ?」

そうして、耳を食んで来る夫に応える声も掠れていて。

「快楽と豊穣のシンボル。」

次の瞬間、千尋は夫の腕の中で宙を飛んでいた。

そうして頬を撫でる風を感じながら千尋は

まるで神託のような夫の声に頬を染めたのだ。

 

コヲノゾムフウフハ、

ネヤ二コノエダヲカカゲルノダヨ、と。

 

 

おしまい

 

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この前、とある物産店で初めて見つけました。

ハシバミの実。

試供品をぽりぽり食べてみましたが

けっこう香ばしくっておいしかった。

ちーちゃんもきっとこの後、炒って塩味かなんかつけて

ハク様の御酒のおつまみにしたのかもね。

・・・なあんてことを考えるととっても楽しい。