「日々是好日・・・冬の朝編」

(拍手用小話19より)

 

 

きゃあ

語尾にハートマークが付いていそうな

悲鳴にコハクヌシは、

心地よいまどろみの海から

急速に浮上する。

「ああ、またか・・・」

暖かいはずの褥がまるで

氷の室のように感じるのは

気の持ちようなのであるが、

手の中にあったはずの

温もりが知らぬ間に擦り抜けていては、

心の臓が凍えるようだ、

と何度訴えても、

千尋は早朝の森に出かけていくのを

止めようとはしない。

むろん、自身のわがままが多分に

含まれているのを自覚しているコハクヌシは、

本気で阻止しようと思っているわけではない。

ないのだが、千尋が自主的に、

褥からこっそり抜け出るのを止めて

欲しいという思いは、

千尋が腕の中から消えている

ことに気づいた瞬間、

ひやりと背筋が凍りつくような、

驚愕に心臓の鼓動が動きを止めるかのような

条件反射的な感覚が襲ってくる、

このような朝を迎えるたびに

深まるばかりなのである。

もっとも、コハクヌシが本気でこのような思いを

しているということを知ったのならば、

千尋は黙って腕の中から抜け出す

などという行為を止めてはくれるだろう。

が、そのように千尋を縛りつけるようまねはしたくはなくて。

コハクヌシは矛盾する思いに

ため息を吐くと千尋がいない以上

何の未練も感じないベッドから降りた。

 

タタタタタ・・・・・

 

と、今の今までコハクヌシを鬱屈した思いに

落としいれていた張本人が、

足音も軽く飛んでくる。

そんな千尋の気配を感じたとたん、

上機嫌になったコハクヌシはふっと

笑うとドアを開けようとしていた手を引っ込めた。

「はくっ。」

きゃあっ

そうしてドアを開けて飛び込んできた千尋を

横からさらい上げるようにして抱きしめたのだ。

「おはよう、千尋。」

「も、もう、はくったらあ。まだ、心臓がドキドキいってる。」

よほど驚いたのか、体を竦め、

胸に手を当てている千尋の

髪に口付けををしながら

琥珀主はくすくす笑う。

「私をひとり残して行ってしまった罰だよ。」

「もう。」

驚きのあまり拗ねている千尋の額に

こつんと額をぶつけると、

ごめんと小さく謝って、

千尋の頬を指で撫でた。

ほんのり赤く染まっているそこは

思ったとおりつめたくて。

「何かあったの?先ほど悲鳴が聞こえたけれど。」

「ごめんなさい。もしかしてそれで起きちゃったの?」

済まなそうに見上げてくる瞳は

それでもキラキラと輝いている。

「気にしなくてもよいよ。戻ってきてくれたのだから。」

対するコハクヌシの翡翠の瞳も

手の中に戻ってきた存在に

嬉しげに輝いていて。

その笑みに見とれていた千尋は、

何気なく抱き上げようとする夫に

ハッと心付くと急いで身をひねり

腕の中から抜け出した。

「千尋?」

「はく、一緒に来て。」

そうして不満そうな夫の腕を引っ張って

寝室を抜け出しながら、

戻ってきた理由(わけ)を話したのだ。

 

森の中に冬の朝日がようやく差し込んでくる。

「はくっ、早く、早く。」

寒くないようにといくつもの防寒着を

着せられたコハクヌシは嬉しそうな千尋とともに、

館の玄関を開け放つ。

と次の瞬間

まるで、音をたてるような勢いで、

館中に光が突き進んできて。

ドアを額縁に、目を見張る二人の視界一面を

ダイヤモンドの輝きが覆う。

真っ白く覆われた森は冬枯れの寂しさを

吹き飛ばしたかのように明るい光に満ちていて。

そのあまりの眩しさに

一歩を踏み出すことが躊躇われ

二人はそのまま立ち尽くしてしまった。

呆然とした時がどれくらい続いたのか。

コハクヌシが傍らの妻に視線を落とすと、

いまだ心を奪われているかのように

うっとりと外を見つめていて。

静寂の中、妻の心を奪う光景にまで

感じた嫉妬心に自分ながら苦笑すると、

コハクヌシは声を発した。

「美しいね。」

「ん。」

「これほど積もるとは思わなかったな。」

昨夜からの天の気の動きは

もちろん感知していたものの

脹脛の半ばほどはあろうかという降雪は

龍神が支配する標の森のある

この地方には珍しいものだ。

特別な場合以外、天の運気にまで

干渉することのない森の主は

それでもここ最近頓(とみ)に乱れ始めている気を

ちらっと気がかりに思った。

と、耳に痛いほどの静寂のなか、

ざあっと音が響き渡る。

重みに耐えかねて跳ね上がった枝から

雪が落ちた方向に目をやると、

千尋もはっと心付いたように

小さくため息をついた。

「ね、雪がこんなに積もるなんてめったにないでしょう。」

だから、早く見せたかったの。

呟くように言った千尋はにこっと夫を見上げると

ね、と手を引き、

雪の中に歩をすすめたのだ。

さくさくと、雪に覆われた森に足を踏み出す。

純白な地に点々とつけられていく二筋の足跡。

聞こえるのは互いの白い息と

雪を踏みしめる足音で。

そこに時折混じるピシっと硬質な音は、

凍えた木が身震いをする音で、

その後にはドサッと雪が落ちる音が続く。

 

ほら、うさぎの足跡。

こっちのはきつねかしら。

まあ、見て、カモシカがいる。

 

傍らの夫を見上げては時折見かける森の生き物の

気配をたどりながら、千尋は楽しげに森を歩く。

そうして、春になれば一面に花畑になる

開けた場所にくると千尋は夫の手を離し、

駆け出していったのだ。

両手を挙げて雪の中、まるで舞い踊るようにはしゃぐ

千尋に、コハクヌシは眩しげに目を細める。

 

きゃあ

「もう、はくったら。」

 

突然飛びつくように千尋を抱きしめて、

そうして、共に雪の中に倒れ込んだコハクヌシは、

笑いながら雪の中にごろりと横になり、

自身の上に妻を乗せる。

「やん、わたしも雪の上に寝る。」

「だめ、風邪を引いたら大変だろう。」

それでもなんとか夫を下敷にしている体勢を

変えようともがく千尋に

しかたないなあというかのように起き上がると

そのまま膝の上にちょこんと座らせ、

そうして背後から抱き寄せた。

「はく、冷たいでしょう。」

「いや、そなたをこうして抱きしめていると熱いくらいだ。」

背中に感じる夫の温もりに

ほうっとしながらも千尋は、雪の上に

直に腰を下ろしている龍神を気遣うが、

かえって身動きがとれない

くらいに抱きしめられてしまって。

そうして、凍てつく空気が

日に輝いて舞い落ちる中、

森の主夫妻は互いの温もりを

いつまでも感じていたのだった。

 

 

おしまい

 

 

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え〜っと、拍手小話15と対になったお話ということで。

あ〜あ、あついあつい。

う〜ん、しかし、ダイヤモンドダストってたしか気温が

マイナス15度から20度くらいにならないと

できないはずなんですが。

(厳冬の北海道によく見られる現象ですが、

一応千と千尋の舞台って関東のお話ですよね。

国道21号線と中岡ってあったし。

車は多摩ナンバーだし?)

ま、熱々カップルへ雪の精霊たちからの贈り物ってことに

しておきましょうか。

しかし、マイナス20度って。

あんたらいくら神様でもいい加減にしないと、

そのまま凍っちゃうんじゃ・・・