heterodoxyのお話1

 

あんまん

 

・・・違う。これじゃない。

 

『今日のおやつは、あんまんにしてね。』

という娘のおねだりに、あんた、そんなの好きだっけと

不審そうだった母はそれでも、仕事帰りに

近所のコンビニからあんまんを買ってきてくれた。

「わ〜い、ありがとう。」

期待に瞳をきらきらさせながらあつあつのそれに

かぶりつく娘を若干のあきれを含んだ目で

見ると、母は夕飯の仕度をすべく、背中を向ける。

なので、一口齧ったその白いほわほわの菓子に

みるみる落胆した千尋の顔を見ることはなかった。

「やだ、半分も食べてないじゃない。」

「だって、このあんまんじゃないの。」

そうして、配膳をすべく食卓に向かった母は

皿に残されていたあんまんに、

やっぱりという顔をして、千尋を軽く睨む。

「あんまんなんて、どれも同じでしょう。」

「違うもん。前にすっごくおいしいあんまん

食べたでしょう。あれがいいの。」

「いつのことよ?」

あんまんなんてものに、とんと縁のない

生活を送っていた母は首をかしげる。

「誰か友達のうちでご馳走になったんじゃないの?

あんまんなんて、あんたにあげた覚えないもの。」

「え〜っ?そうだっけ?じゃあ、

あのあんまん、どこで食べたんだろ。」

「のんちゃんちじゃないの?あんたよく

遊びに行ってるじゃない。望ちゃんに

どこで買ったものか聞いたら?」

「う〜っ。違うと思う。あのあんまんを手渡して

くれたのって、お母さんじゃなかったっけ?」

反対に首をかしげた千尋は具体的なことを

思い出すべく頭をひねる。

あんまんそのものの形や匂い、口に含んだときの

その独特の感触と甘さまで思い出せるのに

いつ、どこで、だれが、といった肝心のことは

霧がかかったように頭に浮かんでこないのだ。

「あ〜ん、あれ食べたいよう。

作りたてですっごく大きくてほっこりしてて、

皮が少し甘くて、中のあんこがすっご〜く

おいしかったんだよ。」

顔を真っ赤にして力説している娘に、

母は付き合ってられない

とばかりに肩を竦める。

「ほら、もう夕飯になるんだから

いつまでもくだらないことで騒ぐんじゃないの。

ちょっとは手伝ってちょうだい。」

「は〜い。」

千尋は、ちらっと残してしまったあんまんを

見るとやっぱり違うよねえ、と首を振り

母の言いつけに従うべく、立ち上がる。

そうして、あの幼い頃の不思議な体験を思い出す

よすがになりそうな、散りばめられた断片は

そんな日常の中に埋没していってしまったのだ。

 

それでも・・・

それでも、千尋が大人になってからも、

ふとした拍子に思い浮かぶ、

『ああ、いつか食べたあのあんまん』

という思いは、まるで焼け付くような郷愁と

似たような感情を伴いながら、心の奥底からは

決して消え去ることはなかった。

 

 

おしまい

 

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シチュエーションは忘れてしまっても

匂いや味は忘れないってことありませんか?

千尋がリンさんにもらった『あのあんまん』

すっご〜くおいしそうだったし。

えっ?そんなことない?

・・・作者が食いしん坊なだけ?