heterodoxyのお話2

 

洗濯

 

*おかあさん

なあに

おかあさんっていいにおい

せんたくしているにおいでしょ

しゃぼんのあわ〜のにおいでしょ

 

 

つい口ずさんだ歌に

朋輩の奇異な

視線が向けられている。

それに、気づいたとたん

うっと押し黙ってしまったリンに

ますます変な気がしたのか、

すぐ隣で、同じように自分の

洗い物をしていた小湯女が

心配そうに顔を覗き込んできた。

どうやら、熱でもあるのかと

思われたらしく、リンは

慌てて手と首をぶんぶんふると

「何でもない、何でもない。」

とにかっと笑ってみせる。

小首をかしげて、それでも

すぐに興味がそれたらしく

今日の客の話題で

盛り上がる朋輩らの会話に

参加していってくれたことに

ほっとしながら、リンは

そんな姦しい小鳥たちの

鳴き声のような会話をバックに

ぼんやりと手を動かし続けた。

従業員宿舎の一角の

手洗い場兼洗濯場にたむろって、

自分のものを洗っていた

小湯女たちが、だんだんと用を終え

女部屋に戻っていくのを見ながら

リンは先ほどの歌を心の中で口ずさむ。

 

・・・おかあさん、か。

 

腹かけを小さな手で懸命に

洗いながら、小声で歌っていた

あの子の姿を思い出し

リンは小さく笑う。

 

『リンさんはお父さんや

お母さんいないの?

おうちはどこなの?』

『あぁ?んなもんねえよ。』

『え?』

『チチオヤなんてもんには

お前よりちっこいころに

別れて以来あってねえし

ハハオヤには、さっさと

家を出ていけってんで

オン出されたからなあ。』

『え?喧嘩して家出したの?』

『違うって。親なんてもんとは

自分でやってく力がつけば

縁が切れるのは当たり前だろ。』

『そうなの?すごいね。

リンさんって何才なの?』

『女に年を聞くもんじゃねえぜ。』

 

ちっちっと指をふってにっと

笑ってやったら、あの子の顔にも

やっと笑顔が戻って、密かに

ほっとしたことを覚えている。

子離れも親離れも生きるのに

必要最小限の時期に

すんでしまう獣と違って、

人間は親子の関係が死ぬまで

続くという、そんなことを思い出し

あの子の背中をばしんとどつくと

元気付けの意味もこめて

今歌っていた歌はなんだなんだと

問い詰めて教えてもらったのだっけ。

将来、宴に上がれるようになったら

稼げるだけ稼いで、さっさと

こんなところから出て行くのだと。

そのために珍しい人間の歌の

一つや二つ覚えておいたほうが

受けるかもしれないし。

そんなことを言ってやると

素直なあの子どもは、

リンさんらしいと笑って

繰り返し繰り返し

歌ってくれたのだ。

 

 

*おかあさん

なあに

おかあさんっていいにおい

せんたくしているにおいでしょ

しゃぼんのあわ〜のにおいでしょ

おかあさん

なあに

おかあさんっていいにおい

おりょうりしているにおいでしょ

たまごやき〜のにおいでしょう

 

・・・おかあさん、か。

 

必死になって呪いを解き

両親を助け出して

元の世界に戻っていった

あの子は、今頃

ハハオヤやチチオヤに

甘えているのだろうか。

すでに親の匂いさえ忘れてしまった

自分たちとは、全く異なるニンゲンという種族。

・・・か弱いくせに、強い・・・

人間の強さの根本を見せ付けて

元の世界に戻っていった

あの子の後姿。

冷徹な帳簿係の手をとって

満面の笑みで宙を飛ぶかのように

駆け去っていったあの姿を見送りながら

喜びの中に、ほんのわずか

羨んだ気持ちが混じっていて。

 

リンはぶんぶんと首を振る。

 

せん、見てろよ。

おれも、直にここを出て

独立してみせる。

お前にできたんだから

俺もがんばってみせるぜ!

 

うっし、と拳を握って気合をいれ

洗ったばかりの自分の腹かけを

パシッと小気味よい音をさせてのばす。

そうして、明日への活力を

得るべく、足取りも軽く女部屋に

戻っていったのだった。

 

おしまい

 

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千尋をしのぶリンさんです。

リンさんは14歳くらいの姿で描かれていましたが

本当はいくつくらいなんでしょうね。

獣は人間よりずっと早く大人になって

独立するので、案外千尋と

似たような年だったりして。

それとも、油屋の魔法で実年齢は

かなりのもんだったりするのかも?

年を数えることなど忘れさせてしまう

湯婆婆との契約で、もう何十年も

あの姿で働かされていたりして。

したたかで、たくましくて

でも

哀れで、悲しい。

そんな雰囲気が漂うような気がする油屋の女部屋から

リンさんは、出て行くいくことができるのだろうか。

 

*「おかあさん」(田中ナナ作詞・中田喜直作曲)