龍神シリーズ・小話集

4・幻想の森

「お父さんのばかあ〜。」

近所中に響き渡る絶叫を残して、

6歳の信也は行方不明になった。

 

まったくもう、お父さんのわからずや。

大嫌いだ。

もう、お家に帰ってやんないからね。

 

信也は、怒り覚めやらぬまま、立ち入りを禁止されて

いる森の中をずんずん歩いていた。

石畳が引かれ、きちんと整備されている道を

無意識のままたどっていく。

途中においてあるずんぐりしている変な顔の

石の像に、ますます怒りが掻き立てられたのか、

「変な顔。お前なんか怖くないぞ。」

怒鳴るように言い募る声が甲高(かんだか)い。

どうやら肌で本能的に感じる不安を

怒りに変換しているらしい。

が、そこはまだ6歳の子どもであろう。

次に見つけたものに、今まで感じていた

不安も父への怒りも忘れてしまったかの

ように感嘆の声をあげた。

「トンネルだぁ。」

入り口に立ちはだかるように立っている石像に

手を当て、寄りかかると、ポカンと口をあけて

トンネルを腹に抱えた赤い建物を見上げた。

 

竜神の森に、こんな建物があるなんて。

おんぼろの変な建物。

中に入れるのかな。

 

どうやら、入り口らしきものはこのトンネルだけのようだ。

信也は、唸りを上げてトンネルに吸い込まれていく風に

誘われるように、中へ入ってみようと一歩を踏み出す。

と、そのときである。

「だめよ。」

優しい声にびくっとして振り向くと、

長いふわふわの髪を風になびかせた高校生くらいの

娘が立っていたのだ。

 

これだから、大人は。

なんでもかんでも、僕のしようとする事を

とめるんだから。

 

「なんで、だめなんだよ。」

信也は父への怒りを、目の前の娘に

向けるように睨みつける。

「ん〜。なぜって、そこに入ったらお家に帰れなくなっちゃうから。」

「いいんだよ。もう、うちになんか帰らないんだから。」

娘は、怒鳴るように言う幼い子供に向かって 

あらあらというように肩を竦めると ふっと笑いかけた。

「あら、じゃあ、お姉さんのうちに遊びにこない?」

思いがけない誘いに、面食らいながら、それでも

信也は今まで、教わってきた警告を思い出す。

「知らない人に誘われても、ついて行っちゃいけないんだぞ。」

そんな、生意気な言い分に娘はくすくす笑った。

「そうね。それは正しいわ。それじゃあ、お友達に

なりましょうよ。そうすれば、知らない人じゃなくなるでしょ。」

そういうと、信也に近付き、目の前の視線に

合わせるように 地面に膝をついた。

「私は、千尋というの。あなたはのお名まえは?」

「・・・信也。」

警戒心がなくなったわけではないが、目の前の

娘が悪い人ではないと、本能で感じたのだろう。

「じゃあ、信也くん。お姉さんのうちでお茶にしましょうよ。」

そう言って、差し出してきた手をおずおずと握ると信也は

手の主を見上げた。

「ちひろのうちは遠いの?」

「ううん、直ぐ近くよ。」

優しい笑みに、瞬きをすると 信也は

導かれるまま歩いていったのだ。

 

「すっげ〜。お城みたいだ。」

案内された家は いままで、ゲームや本の世界でしか

見たことないような大きな洋館だった。

サンサンと日が差し込んでくる居間には

其処彼処に花が飾られ 珍しい置物や

綺麗な絵が掛かっている。

片隅にあるピアノには楽譜がたてかけられていて

ふたが開いているのは、つい先ほどまで

千尋が弾いていたからだろうか。

テレビやDVDや電話がなかったのに気付いたのは

ずっと後になってからで、その時の信也は

初めて入った家だというのに物怖じもせず、

カウチソファーに座って 好奇心のまま辺りを

きょろきょろ見回していた。

千尋のほかに人がいないかのような大きな家は

だが、ちっとも寂しそうではない。

どこか、安らぎを感じさせるような雰囲気に満ちていて

いつのまにか信也もすっかり寛いでいたのだ。

 

「信也君、お待たせ。」

千尋が持ってきたお盆の中には

手作りらしいケーキやクッキー、サンドイッチや

紅茶が所狭しと乗っていて、信也は思わず

歓声をあげた。

「うわぁ。うまそう。ちひろが作ったの?」

「そうよ。遠慮なくどうぞ。」

「いただきま〜す。」

とたんに感じた空腹に促されるまま、菓子を

ぱくつく信也を嬉しそうに見ながら、千尋も

カップを傾ける。

おなかがいっぱいになり、すっかり満足した信也は、

ころころと良く笑う千尋と、何やかやと話をするうちに

怒っていた理由やら父への不満やらを

打ち明けていたのだった。

そんな信也の言う事に真面目に耳を傾けていた

千尋は、微笑みながらも真剣に言う。

「そうね。でもお父様がおっしゃったことを

守らなくてはだめよ。」

千尋の言い分にむっとして口を尖らした

信也は不満げに答えた。

「なんでだよ。この森なんて全然怖いとこじゃ

ないじゃんか。ちひろの家もこの森の中に

あるしさあ。おまけにさっきのトンネルだって

面白そうな所だったのに。」

そういう信也に困ったような顔を向け、

千尋は何事か考えながらゆっくりと言った。

「あなたがここに来れたのも、トンネルに

たどり着いたのも、偶然だったのよ。今日は

はくが留守にしていたから、そのせいだったのかも

しれない。もっとも、こんなことは初めてのことなのだけれど。

普通は、この森に入ると迷ってしまうの。

何日も迷って、やっと出られるのよ。

だから、お父様もこの森に来る事を禁止していらしたの。」

 

変なの。わけわかんない。

 

信也はオトナの意見にむっと、頬を膨らませた。

千尋は眉を寄せてう〜んとうなる。

そうして、信也をなんとか説得しようと

言葉を選びながら続けようとした。

「えっとね。この森は神様の森なの。」

そんな千尋を遮るように信也は言う。

「そんなの知っているよ。竜神の森だろ。」

「えっ?竜神の森?鎮守の森じゃなくて?」

「何言ってるんだよ。この森は竜神の森っていうんだぞ。」

偉そうな信也の言葉にどこか嬉しそうな

笑みを浮かべた千尋は

「そう、竜神の森って言われているの。やっぱり

人間にもわかるのね。」

呟くように行った後、強く そして、

慈しむような視線で信也を見た。

「な、なんだよ。」

それに圧倒されたように信也は口篭もる。

千尋は背筋を伸ばすときっぱりとした口調で言った。

理解できるか分からないけれど、真実は真実なのだから。

「信也君。ここはあなたの言うとおり、竜神様の森なの。

人間が犯すことは許されないのよ。

あなたが、なぜ結界を破って標道に来られたのか

わたしにもわからないけれど、お父様のおっしゃる

とおり、この森に はいってはいけないわ。

神様の罰は容赦ないものだから。」

そういうと、千尋は信也に手を差し出す。

「さあ、もうお帰りなさい。送っていくわ。

きっとお父様も探していらっしゃるわよ。」

強い口調ではないが、どこか反論を許さない

気高さを湛えた千尋に 信也もそれ以上何も

言えずに、黙ってその手を取ったのだった。

 

『一週間行方不明だった信也君が無事発見されました。

怪我もなく、元気そうな様子で、

たった今病院に到着したところです。』

テレビから流れるレポーターの興奮した声を聞き流しながら

ベットに無理やり寝かされ不満そうな息子をながめる。

先ほどから息子が言っていることは、おそらく森で

迷っているうちに見た幻想だと片付けられるだろう。

「そうか、それでお姉さんが送ってくれたのか。」

「そうだよ。ぼく、またちひろのうちに遊びに行きたい。

いいでしょ。お父さん。」

「何言っているの。あの森には誰のおうちもないのよ。

もう、絶対 あの森に近付かないで。お母さん、

どれだけ心配したか。ああ、戻ってきてくれてよかった。

大勢のみなさんがあなたを探してくれていたのよ。

本当に感謝しなくっちゃ。」

泣きながら言い募る妻を宥め、そのまま、

となりのベットに導くと、

「少し休みなさい。信也もここにいるし、もう何の心配も

いらないよ。記者会見は俺がでて、みなさんへのお礼も

俺の方でしておくから。」

「でも、また信也がいなくなってしまうような気がして。」

「大丈夫だよ。神様がきちんと戻してくださったのだから。

さあ、少し眠って。信也、お前 お母さんの側から

離れるんじゃないぞ。」

「・・・うん。」

妻の額にそっと口付けると、やっと目を閉じ 

すぐに深い眠りにいざなわれていくのを

息子とともに見守った。

 

母の眠りを妨げないように神妙に 気をつけていた

信也は、肩に手を置いた父を見上げた。

「ちひろさんはなんと言っていた?」

唐突な父の言葉に戸惑いながら信也は

千尋と別れたときのことを思い出す。

 

『また来ていい?』

『お父様と竜神様が許してくださったらね。』

悪戯っぽく笑った千尋に不満そうに言う。

『だって、ぼくとちひろは友達だろう?』

千尋は少し目を見開いて嬉しそうにくすくす笑った。

『ええ。そう友達。2度とあえなくてもそれは変わらないわ。

でも、わたしの大切な竜神様はとっても

やきもち焼きやさんなの。だから、お許しが出るかどうか。』

『そんなの、大丈夫だよ。ちひろが友達と会うのも

邪魔するようなやつは僕が許さないから。』

『あらあら、そんなことを言うと

ますますお許しが出そうもないわ。』

言っている中身に反して すごく楽しそうな千尋に

口を尖らすと、千尋はそのまま優しく背中を押した。

『さあ、お父様の所にお戻りなさい。

あなたに会えてよかった。

先輩にお元気でと、伝えてちょうだいね。』

『センパイ?』

振り向こうとした時には、口々に何か叫んでいる

大人に囲まれていたのだった。

 

「そうか。」

父はぽつんと呟くとそのまま、病室の窓から

見える竜神の森に視線をやった。

そんな父の様子に不思議そうな息子に 背を向けると

息子の話に動揺し、しかしどこか納得している

自分を感じながら目を瞑る。

『ありがとう、荻野千尋さん。息子を連れ戻してくれて。』

高野空也は、そのまま深い感謝の祈りを

龍神の森に捧げたのだった。

 

とりあえず目次へ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おまけ

ニギハヤミシルベノコハクヌシは嬉しそうに

信也の話をする妻に深いため息をついた。

「親の息子を思う思念がまさった、ということだと思うよ。」

「え?どういうこと。」

小首をかしげて見つめてくる妻を抱き寄せると

その髪に口付けを落し、

森の主の留守を狙って、信也とやらを呼び寄せようとした

ものへ感じた怒りと哀れみを隠す。

 

我の結界を破るほどの思念(おもい)。

ちょうど信也とやらの親に対する反発もあったとはいえ、

ここに来る事が出来たのは偶然ではあるまい。

おそらく、意識してか無意識でか 狭間の向こうの何者かが

信也を呼ぶために思念(おもい)を放ったのだろう。

・・・我が無意識に千尋を呼び寄せたように。

しかし、それ以上に息子を取り戻したいという親の念を

無意識に感じ取った千尋が、神隠しを阻止したのだ。

森の主はかすかな笑みを浮かべる。

信也とやらは運が良かった。

この森で 千尋の意思に逆らえるものはいないのだから。

 

「でね、はく。また信也君をお茶に招いてもいい?」

「・・・だめ。」

先ほど考えていた事と正反対の返事をした龍神は

反論を許さないとばかりに深い口付けをしたのだった。

 

 

 

目次へ

最後はギャグ?

また新しいキャラを出してしまった。

自分ながらいい加減にしなさい、と思うよ。

まさか、信也シリーズなんて続かないでしょうね。(うん、たぶん)

3000ヒット記念にどうぞ。