龍神シリーズ・小話集

その17、 飛翔

 

表の宮の謁見の間といわれる、

応接間のような役目を持っている

広い部屋の隣には、こじんまりとした

書院の間と呼ばれる部屋がある。

琥珀主がその神力を顕わにし、その

勢力内にあまたの神や霊を従えたことで

主神(ぬしかみ)としてのお役目が

重さを増してきた数十年前より、

公のお役目を果たす場所として

表の宮殿が作られている。

その中心にある書院の間は、琥珀主が

主として他の神々との駆け引きやら

取引やらに関する書類関係の

仕事をする場所として機能していて、

今日も朝食の後より、森の主は

この部屋に詰めているのだ。

 

「主様、いかがなさいましたか?」

この部屋付きの眷属は遊佐(ゆさ)と

いう名の「小法師」と呼ばれる水妖で

琥珀主が琥珀川の神であった頃から

仕えている遊馬とは親子の間柄である。

ファニーフェイスの遊馬とは異なり、

すらりとした長身は琥珀主より僅かに

低いくらいで、その整った造形から、女官の

役目をいただいた表の宮に使える

女霊(めがみ)たちにかなり受けがよい。

琥珀主の公的な秘書のような役目を

持っているためか、あるいは

尊敬する主を真似ているためか

そんな女霊たちに対しそっけない所も、

人気を博す理由のようだ。

「主様?」

今まで、真剣に書類と向き合っていた

森の主がふと顔をあげ何かを見つめるかのように

一点を凝視していることに気づいた遊佐が

再び声をかける。が、次の瞬間には、

ふっとかき消すようにその姿が消え去って、

遊佐は思わず立ち上がった。

 

「主様!」

時を経ずして、焦ったように書院の間に

飛び込んできたのは、主席眷属として

主夫婦の私的な面を司る玉と

呼ばれる男性型の木霊だった。

「あれ、遊佐、主様はどちらにお出でだ?」

一瞬で主の留守を見て取った玉が遊佐に向き直る。

「それが、たった今、お姿を消されてしまって。」

今の今まで執務されていたのですが・・・

遊佐は困ったように玉を見やる。

「そうか。」

ホッとしたような玉に首を傾げていると

「いや、いつもだったらお庭にいらしている

姫君のお姿が見えなくなってしまってな。」

「ええ?た、大変じゃないですか。」

玉はわたわたしだした遊佐に肩を竦めると、

「んにゃ、大丈夫だろ。何処にいらっしゃる

にしても、今ごろは主様が見つけられてる。」

「今日はおそらく、主様もこのままお戻りにならない

だろうから、お前も上がっていいぞ。」

さすが、最古参の眷属らしくこのような事態も

慣れているのか、落ち着いたそぶりで

そう言うと、ひらひらと手を振って、来た時と同じく

あっという間にその姿を消したのだった。

 

その日もいつもと変わらない1日だった。

千尋は、はくを『お仕事』に送り出してからいつものように

庭に出る。このところ、急に秋めいた陽気になり、まだ

紅葉は始まっていないものの、庭の花々は華やかというよりも

落ち着いた風情のものに変わってきていて、確実に

夏は去ったのだということを肌で感じさせてくれている。

『そういえば、鷹男くんから南に渡る鳥たちを

森に寄らせるから励ましの声をかけて欲しい、

とお便りをもらったのに、まだ森に到着していなくて

大丈夫なのかしら。夏も終わって

しまって、朝晩だいぶ涼しくなっているのに。』

渡り鳥は、もともと秋津島のみの理に

縛られているわけではないらしく、その分

自由にあらゆる世界のことを見聞できるのだ。

この夏、病を癒しにこの森にくるまでの数年間、

光を失っていた鷹男尊は季節ごとに渡ってくる鳥たちの

話を聞くのが唯一の気晴らしだったのだとか。

千尋は、枯れた花を摘む手を休めて、空を見上げる。

森の木々に囲まれているこの庭は、しかし日当たりと

いう点では抜群で、ぽっかりと切り取られたような

青空を見ることが出来るのだ。

もしかしたら、渡り鳥の影でも見えないかしら。

伸び上がるように眺めても、

しかし、そこには、はるか上空にかかる

薄い雲がただようばかりで。

もっとも千尋は知らないことではあったが、

たとえ空を自由に行き来する鳥や精霊であっても、

龍神の結界に囲まれているこの森を上空から

見下ろすことなどできはしないのだ。

千尋はため息をつくと、視線を花に戻す。

と何かの小さな気配を感じて、千尋は足元を見やった。

そこには、黒茶色のつややかな小さな虫がいて。

千尋は膝を折ると、飛んできた秋の虫を

そっと手のひらにのせる。

チチチチチチチ・・・

警戒心の欠片もなく可憐な鳴き声を聞かせてくれる

蟋蟀にくすりと笑うと、葉っぱの上に乗せてやる。

気が付けば、其処彼処で秋の虫が恋の歌を歌っていて、

命を燃え尽きさせた蝉たちにかわって森を賑やか

してくれているのだ。千尋は、にこにこしながら

作業の続きをしようと、立ち上がった。

と、また別の気配を感じて、今度は思わず首を竦める。

まるで誰かにじっと見つめられているような、

何かを請われているような森の木々の間を

縫うように漂う強い強い気配。

 

この気配は・・・・

前に一度だけ感じたことがあるような・・・

なんか、呼ばれている?

 

千尋は、その気に導かれるまま、

森の中を歩き出したのだった。

 

透明な膜を通り抜けるような感覚。

木々の終わりには細い自然に出来た小道が

通っていてその向こう側にある人間の

社会との境になっている。少しだけ躊躇った千尋は

好奇心に負けてその一歩を踏み出した。

久しぶりに出た森の外。

千尋がかつて住んでいた家を境に団地が

広がっていた場所は以前見たときとは

だいぶ景色が変わっていて。

それでも千尋は懐かしげに周囲を見回す。

両親亡き後、更地にされた家の跡には、どういうわけか

新しい建物が建つこともなく、いまではちょっとした

広場として、子ども達の遊び場になっているらしい。

千尋は、地面に落ちている古ぼけた

野球のボールを見るともなしに見つめる。

・・・かつて、わたしの家があった場所。

ほんの数年だったけれど故郷というべき地を

わたしに与えてくれた大切な思い出の地・・・

「どうかいつまでもこのままで。」

他の人が住むなんてホンの少し嫌かもしれないから。

「なんて、わがまま、かな。」

千尋は小さく笑うとボールを拾おうと背をかがめた。

と、そこに誰かの影がさしてきて。

 

「久しぶりだな、龍の嫁。じゃなくて千尋姫命か。」

慌てて立ち上がった千尋をすぐ側から見下ろして

いるのは明るい緑がかった青の直衣に白い袴を

身につけた若く精悍な顔立ちの男神だった。

千尋は小さく首をかしげる。

「あの?お会いするのは初めてでは?」

男神は苦笑すると、千尋の黒々とした瞳を見つめる。

「忘れたか?油屋でのお披露目の時に

やつとやりあったのだが。」

千尋は目を見開くと狼狽したかのように一歩さがる。

「あの時の?あ、では天馳様のご一門ですか?」

「で、でも以前、天馳様に、いえ、上位神に、気をつけるように

はくにご忠告してくださった風の神様ですよね。」

頷く男に、千尋は、下げた足をそろえると深深と頭を下げた。

「あの、その節はどうもありがとうございました。いつかお礼を

と思っていたので、お会いできて嬉しいです。」

よろしければ、森までおいでくださいませんか?

無邪気に顔を綻ばし、誘いをかける千尋に

わかってないなあ、というように苦笑すると、

「いや、遠慮しておく。それに今日は、

俺も頼まれただけだから。」

「?」

「ほら。」

そう言って風神が指差した方向を見やると、

そこには電線を埋め尽くさんばかりの

ツバメの大群がとまっていたのだ。

「やつら、この森の気が強すぎて入れないそうだ。

そなたに挨拶したくてもできずに困っていてな。

数日前から、この森の周囲を周回していたらしい。」

「・・・もしかして、鷹男君が言っていた南へわたる御使者?」

呆然としたそんな千尋の呟きが聞こえたのか、

中の一羽が千尋の元にやってくる。

思わず手を伸ばすと、その指先に

とまってきて、千尋はこそばゆさに

思わず指を揺らしてしまった。

ぱっととびあがったツバメはそれでも千尋の

側から離れず、その様子を見ていた風神は

ちらっと笑うと、千尋の手をとり指をそろえて

小さく曲げさせると、ツバメを見上げた。

「このままじっとしてろ。見かけより重さがあるから

指より手の甲にとまらせてやるといい。」

その言葉どおりにツバメは直ぐにやってきて

今度はうまく千尋の手の上に着地したのだ。

「と、そろそろ、かな。さて、無事引き合わせてやった

ことだし、お前ら例の話、来年の春、忘れるなよ。」

風神はツバメを見ながら、千尋の手をそっと離す。

そうしてなんのことか分からず

首をかしげてツバメと風神を交互に

見ている千尋にふっと笑うと、

その柔らかな頬にそっと手を伸ばしてきて。

しかし、手が触れる直前に思い直したように

指を握りこむと、そのまま半歩下がり膝をつく。

「千尋姫命様には無礼な呼び出しに

応じてくださりありがとうございました。

風の役目はここまでですので、

このまま失礼させていただきます。

この小さな天鳥一族の使いの健気さに免じて、

標殿に、どうぞよしなにお取り成しくださいますよう

伏してお願い奉り申しあげます。」

そういうと、もう一度顔をあげて

唖然としている千尋を見つめる。

「・・・こう警戒心が薄いんじゃ、

やつの苦労も耐えないだろうな。」

苦笑しているかのように顔を歪め

呟くような低い声で言うと、はっとした

ように千尋の背後に視線をやる。

「時間ぎれ、だな。じゃあ、またいつか。」

「あ、あのよろしければ、お名前を教えてください。」

「・・・風馳。」

その言葉とともに小さな風が千尋の髪を揺らし、

次の瞬間には風神の姿は消え去っていたのだ。

 

かなり時間が過ぎたように感じたのだけれど、

実際には風馳との邂逅はほんの数分のことだった。

彼が去ったときの風にのって舞い上がった

ツバメたちもまた、元通りに電線に止まる。

そうして、ピピピピ、チュチュチュチュ、ジーと

急に、姦しく騒ぎ出した。

千尋はそんなツバメの声に

視線を下ろすと右手をそっと持ち上げた。

「あなたが、この群れのリーダーさん?」

そう微笑みかける千尋に小さく囀ったツバメは、

そのかわいらしい頭を横に傾げる。

と、再び今度は千尋の手に影がさしてきて。

ツバメのリーダーは、急に差し出された指を

なんだろうというように眺めると、

ちょんちょんと、横跳びをして飛び移っていく。

千尋は、見慣れた、けれども、いつみても

胸にときめきを与えてくれる顔を見上げる。

「はく、きてくれたの?」

嬉しそうに笑いかけてくる千尋に小さくため息を吐いた

龍神は頷く。そうして、手の上のツバメをねめつけた。

「お前達が、千尋を森の外に呼び出した元凶か。」

言葉とは違ってさほど怒ってはいないことが分かっている

千尋はくすくす笑うと、電線にとまったツバメ達を見上げる。

「はくったら、この子達森に入れなくて困っていたみたいよ。

鷹男君に約束していたから、わたしも心配だったの。」

南の国へ行くの何日も遅くなってしまったけど大丈夫かしら?

そう言って、最愛の夫の顔を見上げる。

そこにはツバメへの気がかりと琥珀主への

全幅の信頼の光が満ち溢れていて。

琥珀主はまさに先ほどの風神と同じような

苦笑ともつかない顔で小さく笑うと、

手の上のツバメを空に放つ。

 

『千尋を結界の外に呼び出した償いとして

そなたらに役目を命じる。桃都山(とうとざん)の

甲來(こうらい)殿に全員目通り願え。

そうして、かの地で見聞きしたことを

必ず伝えに来るように。この役目を果たし

終わるまで我の加護をそなたらに与えよう。』

龍神の言霊が空気に満ちる。

すべてのツバメがその言の波(ことのは)を受け、

小さく身体を震わせるのを見届けると、

琥珀主はその支配下に下ったものたちに

今度は、千尋に分からないよう厳しい声で命じた。

 

『行け。』

次は風の精などに助力を頼むこと許さぬ。

ましてや、千尋を結界から連れ出すなど。

我の寛容は2度は与えられぬこと覚えておけ。

 

龍神の加護を背負った小さな使者たちは

一斉に飛び立つと二人の上を旋回し、今度はまっすぐに

南へ向って飛び去っていったのだった。

 

「みんな、無事帰ってくるかしら?」

「ああ、必ずね。そなたが待っているのだから。」

「ん、はく、ありがとう。わざわざ来てくれて。鷹男君に

加護を与えてくれって言われてもどうすればいいか

分からなかったから、はくが来てくれてよかった。」

でも、すごいよね。

あんな小さな鳥が何千キロも旅をするなんて。

まだ、空の彼方を見やっている千尋を

琥珀主は背後から抱きしめる。

「はく?」

「・・・・・・。」

切なげに囁かれた言葉に、千尋は瞳を閉じる。

・・・ああ、わたしまた考えなしのことをやってしまった?・・・

「千尋。」

「なあに?」

「千尋。」

千尋は胸に回された

はくの腕を両手で抱え込む。

「はくったら、どこにも行かないから、心配しないで。」

「・・・わかっている。」

なのに、腕の力は少しも弱くならないのだ。

千尋はそっと空を見上げる。

「はく。」

「・・・なに?」

「はく。」

秋の高い空に、優しい日差しがきらきらと降り注いでいて。

「はく。」

「・・・わたし赤ちゃん欲しいな。」

そういったときの夫の顔は見られなかったけれど、

千尋を抱く腕にいっそう力が込められる。

ピピピピピ、チィー

どこからか聞こえる小鳥の声と木々を揺らす風の音。

そうして、千尋は背後の夫が

頷いたのを確かに感じたのだった。

 

 

目次へ

 

 

罪作りちーちゃんをもっと、との声に

お応えして風馳君に登場してもらいました。

ちょっとへタレだったのは、かつて

はくの逆鱗に触れた経験のせいかも。

ほんの数分、無許可で会っただけでも、

風神と取引していたらしい、ツバメを

支配下に置いちゃうっつう

いやがらせをするような狭量な龍が相手じゃね。

いや、しかし、ちーちゃん、ついに、ですか?

友林的にここまで、いくつもりなかったんですが。

もう、小話じゃないな、これ。

さてさて、続き、どうしよう。

 

元ネタは、ひと月ほど前、ある谷あいの村の道を

走っていたときにみかけた、ツバメの軍団です。

電線いっぱいにとまっていた小鳥が

すずめじゃなくてツバメだったことにめっちゃ、びっくり。

ああ、これからみんなで南の国に帰るのね。

と、「幸福の王子」やら「親指姫」やら、

昔読んだ懐かしい童話を思い出してしまいました。

 

閑話休題

桃都山の甲來様、最初の頃からいらしていただいた

方も覚えているかな。小話2「琥珀の災難」つうのを

ほんの一時期出していた時に出てきた異国の神様です。

琥珀とはちょっとした因縁の持ち主だったりして。

小話の範疇に治まりきれなくて引っ込めたんだけど

実は友林のお気に入りで、ついつい出しちゃったよ。

まあ、気にせず読み流してね。