龍神シリーズ第3部3章幸福論

 

その23、そして、望の時がきて

 

 

「・・・ん・・・」

暗闇に一筋の光が差し込める。

針の先ほどのそれは、次第に大きく広がり

徐々に視界全体を覆いつくしていって。

あまりの眩しさに目をあけることもできずに、

自然と右手が持ち上がって手の甲で瞼を隠す。

「・・・ん・・・」

目の上の重さにびくっとなり、

ゆっくりと瞬きをしてみると

睫毛が手を掠る感触がこそばゆく

今まで感じなかった体中の感覚が

次第に意識の上に浮上してきた。

体を包むふわふわと柔らかい感触に

千尋は微笑む。

それは新生児が浮かべる無意識の微笑のごとくで。

まるで、母の子宮で憩うているかのような、

余計なことは何にも思い煩うことのない

自覚されないままの幸福。

絶対の安心感に包まれて、

千尋はゆっくりと覚醒していく。

・・・暖かい・・・

もう片方の手の指が自然に動いて。

どのくらいその柔らかくふわふわした感触を

指でなぞり続けていたのだろうか。

「・・・ん・・・気持ちいい・・・」

・・・ダレ?・・・

「え?」

耳が捉えた音を自分の声だと認識できたのは

発した数秒後で、その瞬間五感が完全に目覚めた。

ぱちっと音がするくらい勢いよく開けられた瞳に

真っ白く輝く光が飛び込んでくる。

「あ・・・・」

あまりの輝きゆえに高さがないかのように思える空間に

しばらく呆然と見入った後、ゆっくりと身を起こそうと肩肘をつく。

「・・・ん・・・」

どこかなじんだ感覚と異なって、重たく感じるのは

長く伸びた髪のせいだと気づいたのは、上体が完全に

起き上がってからで、体中を覆い、さらに腰の横でとぐろを

巻いている髪は、おそらく立ちあがったとしても

全身を覆ってなお余りあるかもしれない。

「いつの間に・・・」

困惑げに髪に落とされていた視線は、

考えても仕方がないというかのように頭を振った後

ゆっくりと上がっていく。

そうして・・・

 

「あ・・・」

寝台から数メートル離れた空間にある椅子に

腰を下ろし、生真面目な顔で千尋を見守っていた龍神は

表情を変えぬまま立ち上がると、静かに両手を広げたのだ。

無限にも感じられる一瞬の時が過ぎた後

目に映る行為の意味がやっと頭に届いた瞬間、千尋は

まるで雪花石膏のような白い体をかすかに身じろぎさせた。

ひたり

視線を龍神に向けたまま素足がゆっくりと床に下ろされる。

そのまま、静かに立ち上がり身の丈に余る栗色の髪だけを

身に纏った千尋は、慎重に足を踏み出した。

しゅる

しんとした空間に髪が床を擦っていく音だけが響いて。

ゆっくりと、まるで花嫁がバージンロードを

歩くかのように、一点だけを見つめて歩いていく。

ひたり

そうして、目的地まであと一歩という場所で足を止めて。

あまりに強い感情はかえって表情を呼び起こせないのだろうか。

互いに表情を変えぬまま、見詰め合う数瞬。

 

「おいで。」

次の瞬間止まっていた時間が動き出したかのように、

千尋の体は琥珀主の腕の中に飛び込んだ。

「はく・・・・」

待ちに待っていたこの時に、琥珀主の表情(かお)が

ようやく緩んで。そうして、深く深く息を吸い込むと、

もう離さないとばかりにきつくきつく抱きしめたのだ。

 

 

互いの瞳の中心に、潤んだ自分がいる。

見詰め合うだけのときが、どれ位続いたのだろうか。

結界の外とは全く異なる空間ゆえ、もしかしたら

外の世界では、何日もたってしまっていたかもしれない。

「千尋。」

「はい。」

呼ばれた名前が言霊となり体中を揺らして。

「我ニギハヤミシルベノコハクヌシの妻、千尋姫命。」

「はい。」

万感の想いが込められた視線が絡み合う中、

ニギハヤミシルベノコハクヌシはゆっくりと片膝をつくと

自分自身よりも愛おしい存在を見上げる。

「千尋。わたしの子を産んではくれまいか。」

「はい。」

まるで妻問いされたあのときを思わせるような

掠れた声に千尋は微笑む。

「そなたの体に我の万全の力を注ぎ、万全の

加護を与えても危険なものとなる。」

「はい。」

「産まれて来る子は、神でも人でもない

異形のものとなるかもしれない。」

「はい。」

「なにが、起きるか私にもわからない。」

まるで、不安に怯えるかのように言い募る夫に

千尋は身を屈めてそっと頬を包み込んだ。

「それでも、あなたの 子を 産みたいの。」

そうして、その額に口付けると小さく囁く。

「お願い、はく。わたしたちの子を、この世界に招きましょう。」

その囁きに、一瞬目を閉じると、コハクヌシは立ち上がる。

そうして、妻に微笑みかけると右手を差し出した。

「共に。」

「はい。」

そうして、ふたりは手を携えて、たった今千尋が

目覚めたばかりの寝台へ向かって歩んでいったのだ。

 

 

 

 

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昨年から1年ほどかけて書き続けてきた第3部を

ここで完成という形にします。

みなさま、長いこと応援ありがとうございました。

 

最後のシーン。

千尋が、はくの妻になるときは、はくに抱き上げられて

龍穴の中につれて行かれていましたが、

今回は、手を携えて褥(しとね)まで共に

歩いていって欲しかったのです。

(はく様まだヘタレっぽいけど・・・

だって、共同作業だし?笑)

(つか、起きて早々、ですか?はく様ってば。)

 

ここに至るまで、100年以上経過しているなんて

のん気なやつらだと思いますが、

新婚当時と今では二人を取り巻く環境が

だいぶ変わっていますね。

 

(つか、構成そのものが当初の予定より

かなり変わっていますね、自分。)←セルフ突っ込み

 

しかあし!!

まだまだ甘いよ、君たち。

現実夫婦もそうですが、子どもが生まれる前と後では

人生そのものがひっくり返るほど、違ってくるのだ。

(ふっふっふっ・・・)

 

これから、この龍神御夫婦がどのような生き方をしていくのか、

新しい家族を交えてどのような出来事がおきていくのか

楽しみなような、不安なような気がいたしますが、

どうぞ、これからも応援よろしくお願いいたします。

(うう、いよいよあっち方面に突入するのか。

どうか、無事完成までこぎつけられますように。)