龍神シリーズ・小話集

 

7、 天敵

ドアを開けると、そこには予定外の光景が繰り広げられていた。

「よっ、おじゃましてるぜ。」

視界のまん前にいる、男物の しかし色は女らしい朱鷺色の直衣を纏った

麗神が 気安く手を上げながら 威勢のいい掛け声をかけてきた。 

視線を僅かにずらすと、そんな相手にたいして 

輝くような笑みを与えている千尋の姿があって。

思わす握り締めた手を、目ざとくみつけた女神は 

にやっとわざとらしく笑いかけてきた。

「相変わらず、仏頂面だな。そんなに露骨にいやがるなよ。」

「・・・何の用だ。」

秀麗な顔立ちの青年は部屋の入り口にたち 目を眇める。

小首をかしげ そんな視線を さえぎるようにしながら 

千尋が立ち上がって近付いてきた。

「はくったら。リンさんはこの前のことを報告に 

わざわざきてくれたのよ。」

突っ立っている夫の手をとり、ここに座ってと ひっぱって

いく妻に、表情を僅かに和らげると、青年は素直に従う。

と、そのまま腰をさらってくるっと向きを変えると、

自分の膝の上に すとんと座らせてしまった。

「やだ、離して、はくっ。」

あまりの素早さに一瞬何が起きたのか分からなかった 

いまだ 少女のままの妻は、顔を真っ赤にして、

逃れようとじたばたもがいたが しょせん無駄な抵抗で。

リンはそんなふたりに、もう慣れてますとばかりに、

呆れた視線をやると、

飲みかけのお茶をずずっとすすった。

「今更 照れるなよ、せん。俺は平気だからさ。無駄な

あがきはやめて、好きなようにやらせとけば。」

「ちょっ、リンさんったら。はくが 

ますます調子に乗ったらどうするのよ。」

「そんときゃ、見ないふりしといてやるよ。」

ポンポンと交わされる、よく考えればかなり恥ずかしいはずの 

そんなやりとりをまるで聞こえないとばかりに、

涼しい顔をして、千尋を抱く手に力を込めると、

琥珀主はリンに顔を向けた。

「で?」

「ああ、例のあれさ。おかげさまで 

うまくいったって報告しておこうと思って。」

「・・・」

「ま、あんたにゃ、どうでもいいことか。

まあでも一応、礼儀として挨拶にきたんだよ。」

リンは肩を竦める。

「信也君と沙良さんの結婚式はいつ?」

琥珀主の腕の中から、身を乗り出すように聞いてくる千尋は、

やはり女としてこういう話に好奇心がくすぐられるようだ。

リンは、その夫をちろっと見やると

この際、不機嫌な森の主を無視して 話を続けることにした。

「ん、一応、もう、信也をこっちの籍に入れちまったから 

俺としては 結婚式の形式なんてどうでもいいんだけどよ。

今、それで大もめの最中なんだ。」

「もめてるの?」

心配そうに聞いてくる千尋は気付いていないが、

眉を顰めている仏頂面の龍神は 

妻が余計な事に気を取られるのが気に入らないらしい。

そんな様子を やれやれという気分で見やったリンは 

視線を千尋に戻し 話を続ける。

「ほら、信也んとこは寺じゃん。信也を婿にやったはいいけど、

式くらいは仏前式をやるって信也のおふくろさんが言い張っていてさ。

神前式が当たり前の新波の家と、もめてるわけさ。」

もっとも、あんまりごねるようなら俺が一喝して 

まとめてやるつもりだけどよ。

そういうと、リンはお茶の残りを飲み干した。

千尋は 夫の腕の中から 手を伸ばすと、器用に急須を取り、

りんが注ぎやすいように寄せてくれた湯のみ茶碗に 

茶を注ぐ。そうして、

「結婚式かぁ。小さい頃 いとこのお姉さんの結婚式に

1回だけ出たことがあるけれど、

花嫁さんがとても印象的で、今でも覚えているわ。

きっと沙良さんも、

綺麗な花嫁さんになるでしょうね。」

千尋の懐かしげな声に ほんの少し憧れが混ざっているのを 

聞き取ったリンは すかさず本当の

目的を果たすべく 話を持ちかけた。

「まあ、どんな式になるかはわかんないけどさ。

せん、 お前も見に来ないか?

沙良には赤ん坊の時に会わせたきりだろ。

あいつの花嫁姿を見て 祝福してやってくれないか?」

「え?でも。」

突然の申し出に驚いている千尋に畳み掛けるように続ける。

「信也も喜ぶだろうしさ。あいつにも 

6歳のあの時以来会ってないだろ。」

「ん。でも、もう 私のことなんか

忘れているんじゃないかな。」

リンは 首をかしげながら言ってくる千尋に 

呆れたように両手を広げた。

「な〜に言ってやがるんだ。龍神の森の女主人。おまえ、

信也の初恋のお姉さんだろ。あいつ未だに ちひろの

ことを言ってるぜ。まあ、他の連中にはおまえの事は

見えないだろうけどあいつらなら 見えるだろうし、 

なにより、屋敷守として、

沙良にお前の祝福が欲しいんだ。」

冗談にまぎらせながら本気を込めて 千尋の目を見つめる。

そんなリンに対し 千尋はどこからコメントしてよいものやら、

顔を赤らめながら困っていると、ずっと黙っていた琥珀主が

低い声で口をはさんできた。

「・・・信也とやらが、何だと?」

リンは してやったりとばかりに にやっと笑う。

「だから、せんは信也にとって初恋の

あこがれのお姉さんなわけよ。

おっと、やきもちは必要ないぜ。

今は うちの沙良にぞっこんだからな。」

『あんた、まさかそんな理由でせんが出かけるのを

止めないよな。かっこ悪いもんな。』

そんな意をこめ、挑戦的な視線を龍神に向けると、

案の定 千尋の頭上から 睨み返してきた。

「リンさ〜ん。」

抱きしめてくる腕の力が強まったのか、そんな

会話の矛先は 結局 千尋にいくわけで。

困ったような千尋の声にリンは とうとう、笑い出した。

そうして、思わず滲んだ涙を 拭いながら、

しみじみとした調子で、

「『ハク様』は相変わらずってか。

でもよ、信也はともかく龍神をそこまで骨抜きにして 

大切にされている お前にあやからせてやりたいんだ。

沙良はその価値がある女だからさ。」

そう言うと、リンは 徐に椅子から立ち上がり、

リンの行動に あっけにとられている

千尋の前に跪(ひざまず)くと、その右手をそっと取り

自分の額に当てた。

そうして、正式な申し込みを行う。

 

「ニギハヤミシルベノコハクヌシの妻にして神人、

秋津島の上位神の守護を受けし千尋殿。

しがない 屋敷守の稲荷神たる 

わが身を省みず お願い申し上げます。

我が守護を与えし 新波沙良に このたびの結婚にあたり、

祝福の言霊をちょうだいいたしたく、

式にお招き申し上げます。

ぜひ、よきご返答を。」

 

リンの思いがけない行動に 困惑し 

しばらく固まっていた千尋は 

真剣な思いを感じ取り、傍らの夫を そっと見上げる。

「はく?行ってもいい?」

龍神は 千尋の顔を見つめながら 

深いため息をついた。

「・・・そなたの望みどおりに。」

そういうと 見上げてくる千尋の頬を 人差し指の

こう側でなで 触れるだけの口付けをする。

そうして いまだ、跪いて千尋の右手を

押し戴いているリンに視線をやり、

低い声で示達(じたつ)した。

「千尋をやるからには それなりの威儀を正せ。

式は氏神の御前にて行い 古来の儀式に

則(のっと)ってやるように。

千尋の言霊はその式で与える。」

「承りました。」

わざと威儀を正して そう言うと、

リンは千尋を見上げてにっと笑った。

「んじゃ、やつらをたきつけて、完璧に式の準備をさせておく。

ああ、楽しみだな〜。

式の後、俺んちに来てくれよ。ひさしぶりに

 ゆっくり 女同士の話をしようぜ。」

「いいの?」

握った手はそのままに立ち上がったリンは 

眉を上げながら龍神に視線を向ける。

「もっちろん。いいだろ、『ハク様』。たま〜に出かけるときくらい 

友達とゆっくりしてきていいよな。

もちろん、俺が責任持って送りとどけるし。」

「はく、リンさんのところにもお邪魔してきていい?」

龍神は 瞳をきらきらさせて 見上げてくる妻に 

内心でため息をついた。

してやられた・・・か。

 

「リンさん。楽しみにしているね。」

目的を果たし、ご機嫌なリンは 龍神の館の玄関先で 

千尋の見送りを受ける。

「ああ、こっちこそ。よろしく頼むな。にしても、せん。

お前この森を一人で出るのってどのくらいぶりだ?」

「えっ?ん、と沙良ちゃんを見に行った時以来、かな。」

内緒話をするかのような小声で聞いてくるリンに、なんで?

というかのように目蓋を瞬かせながら答える。

「んじゃ、16年ぶりかよ。ハクのやつ、

ちょっと横暴すぎないか?」

「そんなことない。はくは いつも優しいよ。

一人で出かける機会がないだけで。

はくと一緒にだったら 出かけることもあるし。」

そんな千尋に 思わず脱力しかかったリンは 

気を取り直して千尋の肩に左手を乗せる。

「んじゃ、これからは俺が誘いにくるからさ。女同士 

一緒に遊ぼうぜ。やつらをおさまる所

に治めてしまえば俺も少しは、気が抜けるからさ。」

「うん、ありがと、リンさん。気をつけてね。」

「ああ、またな。」

 

標道を颯爽と歩くリンは 見送るせんの視界から

はずれたころ  徐に 後ろを振り返った。

「で、ハク様。言いたいことあるなら聞こうじゃんか。」

と、標道の何体めかの石人の前に 

白い紙の人型がふわっと現れ 

琥珀主の姿に変わる。

しばらくの間、互いに視線でねじ伏せようか

とばかりに にらみ合った。

半透明な琥珀主が 口火を切る。

『千尋の優しさにつけこみ、利用しようというのなら 

そなたとて容赦はしない。』

けっとばかりに腕を組み 仁王立ちに

なったリンは すかさず言葉を返した。

「な〜に言ってんだか。

そういうことはせんの前で言えっつうの。」

気の強そうな瞳が 式の向こうにあるであろう

本体を睨みつける。

『このたびは、千尋のたっての頼みゆえ手を貸したが、

再々同じ事ができると思うな。』

「はん、切羽詰ってなけりゃ、だれがあんたに借りを作りたい

なんて思うもんか。見くびるなよな。信也を手に入れた以上、

当分はあんたの世話になる予定はないね。」

龍神は 啖呵を切ったリンに、

すっと人差し指を伸ばして通告した。

『その言葉、忘れるな。』

と、今度は、リンから切り込んでいく。

「ちょっとまてよ。今 言っとくけど、俺、せんとの

付き合いを止めるつもりはないぜ。

あいつは、俺にとっても大事な妹分で親友なんだから。

女同士の付き合いにまで 口出すなよな。」

『・・・千尋の望むことならば、とめはしない。

だが、千尋の心を乱すことは許さない。

余計な厄介ごとを持ち込まぬと約束するのなら 

認めてもよい・・・だが・・・。』

まるで湯屋で上司だった頃のように 無表情でいながら

冷たさを感じさせる秀麗な顔は リン以外の

ものが見たら 震え上がったかもしれない。

しかし、リンも負けるつもりはなく。

いつか言ってやろうと思っていたことを突きつけた。

「はぁ〜。あんたねぇ。せんを大事にすることと 

束縛することは 全然 違うぜ。

そのことわかってるのか?」

腰に両手をあて、けんか腰で挑んでくる稲荷女神に対し 

一段と冷たい声で返答があった。

『そなたには関係ない。話をすりかえるな。』

式神とはいえ、あくまでも表情を崩さない龍神に 

マジできれかかる。

「ちっ、卑怯なんだよ。なんで式をよこすんだ。本体なら

思いっきりどついてやったのに。

せんの気持ちに付け込んでるのはあんたの方だろうが。

森に閉じ込めて 誰にも会わせようとしない 

あんたのやり方見ていると 腹が立つっつうの。」

地団太を踏むようにしながら言うと、ぎっと睨みつける。

そうして

「とにかく、せんと俺の友情に口出しは無用だ。」

きっぱり言い切ると、半透明の龍神も鋭い視線を突き刺してきた。

『ならば、我と千尋の生き方にも口出し無用と言わせてもらおう。』

互いに一番言いたい事を言い合うと 琥珀主の姿が

人型に戻ると同時に、リンも踵を返し森から去って行った。

 

龍神は、館内の自室で 顎に手を当て机に肘を突く。

あの稲荷神の勇気と自信はどこから来るものなのだろうか。

神力も神格も格違いだというのに

リンは自分の考えをけっして琥珀主に迎合させようとはしないのだ。

もっとも、それゆえ千尋を任せられる相手として

 リンを認めている面も確かにあるのだが。

龍神は苦々しい思いをかみ締める。

 

あやつに言われなくても 千尋に対する執着は、

傍から見ているとおかしいくらい

なのは分かっているのだ。

千尋の望みは全てかなえるつもりであるのに・・・

ましてや 束縛など するつもりはないのだが・・・

 

「はく?どうしたの?」

書斎の椅子にこしをかけ、じっと一点を見つめて動かない夫に

心配げに声をかけてくる千尋に、はっと我にかえる。

「いや、なんでもない。それより、千尋。沙良とやらに

言霊を与えるのはいいが一人で大丈夫だろうか。

一応 リンの社のある地の守護神には 渡りをつけておくが

私が出張ると 余計な騒動を起こしてしまうゆえ。」

言いながら 抱き寄せると 再び膝に座らせる。

と、今度は千尋も抵抗しなかった。

「ん、わかってる。大丈夫よ、リンさんもいてくれるし。

お祝いの言葉を言うだけだから。」

「終わったら、早く帰っておいで と言いたいのだが、

リンのところに寄るのだろう。」

「・・・はくは、いや?」

心配げに聞いてくる千尋に首を振る。

「いやというより、そなたがこの森からでて 

私の元から離れている事が心配なのだ。」

そのまま、どこかに消えてしまいそうな、

誰かに攫われてしまいそうな、そんな心配が湧き上がる。

なんのために、上位神の加護をいただいたのやら。

この秋津島で千尋の意にそぐわぬ事が起きるなど 

ありえぬように 徹底的に根回ししてあるというのに。

 

龍神はため息をつく。

「はくったら。」

そんな夫に対して くすくす笑いながら

擦り寄ってくる千尋に いつもながら 

荒れた感情が次第に穏やかになってくるのを感じ、

その髪に頬を寄せる。

と、千尋が 手をのばし そっと琥珀主の頬に添えてきた。

「はくがどうしてもいやなら行かないけれど、

わたしが帰って来る場所は

ここしかないって知っているくせに。」

だから、少しだけリンさんのおうちに寄らせてね。

龍神はそんな妻を抱きしめると、

息を奪うような口付けをしたのだった。

 

成金趣味ながら どこか古風な屋敷の一室に 

リンは屋敷守として祀られている。

どのような仕組みになっているのだろうか。

人間が作った そんな社を通り、

リンは自分の住いと定めた 小さな家に 戻ってきた。

バーン!

何もかも計画どおりにいって、上機嫌なはずの主は 

ドアを八つ当たりするかのようにたたきつけた。

 

くそっ。

何が腹が立つって、あんなやつに

せんが惚れきっているっつうことさ。

 

リンは まだ眷属にしたばかりの幼い白蛇の化身の

手をかりて着替えると

畳敷きの部屋に乱暴に座り込んだ。

控えようとする眷属を手を振って下がらせ 

腕を組んで考え込む。

 

せんを利用・・・か

ちぇっ、痛いとこ 突いてきやがる。

俺だって 俺以外のやつがせんに

おんなじことをしようとしたら 腹がたつかもな。

けどよ、せんを抱き込んで離さないやつにも 

問題があるっつうの。

もう少し息をさせてやんないと 人間出身のせんが 

コワレっちまったらどうすんだよ。

はあ〜。

分かっちゃいるさ。余計なおせっかいだってことはさ。

分かっちゃいるけどよ。

まあ、今度の沙良の結婚式に 

せんを引っ張り出せただけよしとするか。

なにしろあの龍神は 出雲の集いにでさえ 

妻を森から出そうとしないのだから。

もっとも、せんのあの人の良さは、

隙の多さにも通じるかもな。

かおなしの例もあることだし、変なやつに

付け込まれないように、気をつけてやらないと。

 

千尋に関しては 冷静さを失うという点で、

この龍と狐は似たもの同士なのかも・・・しれない。

 

目次へ

う〜ん、力及ばず。なんか中途半端。

精進しまっす。

 

なお、友林のところのリンさんは 琥珀を ののしれる貴重な神様、です。

新波沙良さんと高野信也君については 拍手小話でそのうちに取り上げられる

・・・かも?

結局、ここで一番書きたかったのは、千尋の天然っぷりだったりして。