龍神シリーズ・小話集

注意・小話8を先にお読みください。

9、  ターニングポイント

 

その小さな泣き声は、一人 森を散歩する 千尋の耳に

まで届いた。森の中心近くにいた千尋は その小さく

切実な泣き声をたどっていくうちに 気がつくと標道の

入り口 白木の鳥居のふちまで来てしまっていた。

一瞬、どうしようと、躊躇したのは、今日は、この森の主は

留守で、本当ならば、家にいなければいけなかったからだ。

 

『今日は、結界を強く張っておくけれど、標道を必用と

する霊霊(かみがみ)は、入り込んでくるのだから。』

『だから?』

『だから、今日は館の中にいなさい。』

『・・・・・・』

 

『はくの言う事なんか聞いてあげないから・・・』

もともと 森を歩くのが大好きだった千尋は

当然のように、夫の言いつけを、守らなかった。

なぜなら、千尋は現在 夫と喧嘩中!なのである。

 

先ごろ この地方一帯を襲った大規模な嵐を、

鎮めたのが自分のピアノだったと知ったときの衝撃。

『あまりにも心地よくて、一人で聞くのがもったいなく

なってしまったのだ。そなたに訊ねれば、絶対嫌がっただろう。』

『はくのばかぁ〜。』

まるで、日記を知らぬ間にネットで公開されていたような

ショックは いくら上手だからと誉めてもらったとて

そうそう消えるものではなくて。

それに 第一、

『う〜、ああ、もう。私のピアノなんか、お稽古も中途半端な

ままで、ぜんっぜん だめだめなのに。他の人が聞いている

なんて知っていたら絶対弾かなかったよ〜。聞く人が

聞けば、ペダリングもフレージングもほんっとに自己流で

笑っちゃうような演奏だったのに〜。細谷先生(注、千尋が

人間だった時のピアノの先生です)が聞いたら げしげし

言われて、びしばし潰されて 絶対合格点をもらえない

ような、稚拙なものだったのに〜。もう、もう、はくの

ばかぁ〜〜〜〜〜!!!!!(強調)』

まさに、布団に隠れて じたばたしたいような

心境というのはこのことだろう。

もちろん、琥珀主がさり気に千尋の願いをかなえるために

取った手段であることはわかっているし、結果的には

かなり大きくなったはずの嵐の被害が最小限に抑えられた

ことは、喜ばしいことだし、大勢の神様方が喜んで

お礼にと、たくさんの貢物をくださったことからも

『収支決算すれば、黒字になった』 ことは、理解できる。

(『黒字ってこのこと?』貢物を見ながら 思わず

聞いたら はくは微苦笑していたけれど。)

そう、理解は できる。

できるのだけれど、

でも、やっぱり、自分のピアノが嵐を

鎮めたなどとは 本気にはできなくて・・・

『第一、それとこれとは、別だもん』

という 千尋の嘆きも分かって欲しいのだ。

・・・だって、だって、あのあと、しばらくの間 はくの隙を見ては、

森に来る 小さな神様や精霊や化生のものたちから、

尊敬の眼差しで見つめられ、ピアノをねだられたときの

恥ずかしさといったら もう、・・・

それに・・・

それに 結局 はくは・・・

千尋は小さく唇をかむ。

 

そんなわけで、千尋は琥珀主に対して、未だに怒っているのである。

あの千尋については極甘の夫は、そんな千尋に、あくまで下手に

出ていて、謝ったり、機嫌を取ったりしてくるのだけれど、

そんなことまでをも実は楽しんでいるのは、丸分かりで、本当に

千尋は悔しいのだ。心の底からは 本気では怒っていない

ということまで、ばれているようで、喧嘩中だと思っているのは、

自分だけなのが、ますます つむじを曲げる原因になっている。

『・・・はくの言う事なんて聞いてあげないから。』

我ながらやり口が子どもっぽいとは思うのだけれど・・・

 

 千尋が、森の入り口に来ている所以(ゆえん)である。

 

そのようなわけで、千尋が躊躇したのは、一瞬だった。

「えっと、小鬼さん?」

千尋は、鳥居の向こう側で泣いている相手に おずおずと声をかける。

泣き声を辿ってみつけたのは、標道の入り口で

しくしく泣いている、異形の子であった。

まるで牛鬼様を小さくしたような、そんな子どもは千尋

の声を聞いたとたん、はっと顔をあげる。

「小鬼さん。どうして泣いているの?どこか痛いの?」

鳥居を挟んで呆然と千尋を見つめている小鬼は

そんな千尋に対して 慌てたように

平伏すると同時に 縋(すが)るような声を出す。

「あ、あの、森の奥方様ですか?」

その言い方にちょっと顔を赤くした千尋は、それでもこくりと頷く。

「ああ、よかった。お願いでございます。どうか、標道を

通るお許しをください。主の命で、今日中に、油屋に使いに

いかなくてはならないのです。」

千尋はその言に目を見張った。

「えっ。標道は結界が張られていないはずなのに。」

「はい、霊霊にとっては。ですが、わたし程度の小物には 

これだけでも きつすぎて、中に入ることはできないのです。」

「ど、どうしよう。今、はくは留守なの。私になにかできるかしら。」

結界の強化が、千尋にピアノをねだりに来るものたちを退ける

ためのもの、とわかっている千尋は 申し訳なさに 慌ててしまう。

そんな千尋の様子に力付けられたのか

小鬼は思い切ったように申し出た。

「どうか、お手を。」

「え?」

「鳥居を通り抜けるために、お手をお貸しください。」

そう言って立ち上がると、小さいながら鋭い爪を持つ

真っ赤な手を 鳥居の境界線ぎりぎりの位置に差し出してきた。

以前、何気に他の霊の手を取ったときのことを思い出して

しまった千尋は 困ったようにその手をみつめる。(注、小話1参照)

躊躇(ためら)っている千尋を敏感に感じたのか小鬼は、力なく

その手を下ろすと、再び涙ぐみ始めた。

「ああ、どうしよう。主様にしかられてしまう。」

そういうと、ぺたりと地面に座り込み泣き出してしまった。

「あ、あの、泣かないで。はくは、夕方には帰ってくるから

そうしたら、結界をといてもらうから。ね、それまで待ってちょうだい。」

おろおろしている森の奥方の言に小鬼は、

情けなさそうに首を横に振る。

「ですが、我が主 深鳴淵(ふかなりぶち)の女主である蜘紗さまが

念願かなって 奉洞峰(ぶとうがみね)の若様に このたびお輿入れに

なるのです。その前に、油屋でぶらいだるえすてをお受けになりたい

と申されまして、明日には参るとおっしゃって、その申し込みを

仰せつかっているのですぅ。今日の明日で、ご用意ができるか

分からないというのに、言い出されたら聞かなくて。とにかく、

油屋にねじ込みに行かなくてはならないのに、標道が封鎖されて

いては。ああ、蜘紗様の方が先についてしまったら、どうしよう。」

そう言って、よよと、泣き崩れる小鬼に 千尋はあっけにとられた。

ぶらいだるえすて?  ぶらいだるえすてって、

ブライダルエステのこと?

油屋って、そんなことやっていたっけ?

千尋の警戒心は跡形もなく なくなって、

次の瞬間には 小鬼に手を差し出していたのだ。

「いらっしゃい。一緒に油屋にねじ込みに行きましょう。」

そういうと、鳥居から手を差し出すと さっと小鬼の手を取り

こちら側に引っ張り込むと同時に、標道を駆け出したのだ。

「いそいで。今ならまだ、川ができていないから。

行って 戻る時間が充分あるわ。」

小鬼は目を白黒させながら、それでも嬉しさは隠し切れないようで。

あれほど、強烈に感じていた拒の力の気配が全くないのだ。

思わず、自分の手を取って傍らをかけていく少女の力に感じ入る。

「は、はい。ですがもしかして、奥方様も行ってくださるのですか?」

「うん。今、はく留守だし。油屋に行くのって、リンさんのお祝い

以来だから、すご〜く久しぶりなの。いつの間にエステなんて

やるようになったのかしら。」 それに、

「この時間だと、下手すると、まだだれも起きていない

かもしれないの。釜爺さんに紹介してあげるから、

裏から、入って父役さんに取次ぎを頼むといいわ。」

いつの間にか、狭間のトンネルの前に着いていて、

千尋と小鬼はそろって、トンネルに踏み出した。と、

「ちー様ぁ。どちらへ?」

慌てたように由良が息せき切って飛んできた。

千尋はちょっとばつの悪そうな顔をすると、

由良に向かって、ごまかすように にこっとした。

「ちょっと、油屋まで、この小鬼さんをご案内してくるわ。」

「で、ですが、主様が。」

その言葉にぴくっとすると、千尋はぷいっと顔を背ける。

「いいの。大丈夫よ。久しぶりだけれど、

油屋への行き方も 帰り方もわかっているから。」

「ちー様 なりません。」

「いいの。由良はついてきちゃダメよ。急がなきゃ

夕方までに戻れなくなっちゃう。」

そういうと、小鬼の手を引いて、ずんずん

トンネルをくぐっていってしまった。

 

残された由良は おろおろと親指をかむ。

「ど、どうしよう。」

もちろん、千尋がこんなに強引な事をするのは初めてで。

「よほどお怒りなのだろう。」

いつの間にか背後にきていた玉が、由良の肩をぽんとたたく。

「玉ぁ、でもこんなこと、主様が知ったら、

ちー様が お叱りを受けてしまうよ。」

「大丈夫だよ。今回の事は、どっちにしろ主様の

分の方が悪いと思うな。ちー様が怒っていらっしゃる

本当の理由を、察していらっしゃるのかどうか。

いずれにしても、実力行使にでられた以上、ちー様も

うやむやにする気はないってことじゃないかな。」

そんなことを言う玉に唖然とした由良は 思わず顔をまじまじと

見つめる。そんな由良から、さりげなく 視線をそらすと、

「どっちにしろ、結界から出られてしまったことを

主様が感知なさってお戻りになるまで、さほど

時間がないと思うよ。僕としては ちー様が、たとえ僅かな

時間でも思うことをなさるのを、止めたくないしね。」

「た、玉。お前。」

「何?」

「・・・あんまり、露骨にちー様への気持ちを出すなよ。

ご不興をかったらどうするんだ。」

玉は、そんな由良に肩を竦めて見せる。

「主様は、先刻から僕の気持ちなんてご存知だよ。

なんのためにちー様付きの眷属を仰せつかっていると

思っているんだ。僕は ちー様の御意志を第一に考えたいね。」

そういうと、流し目で由良を見やり にやっとする。

「でも、まあ お一人でいかれるのは心配だから

こっそりお供してくるよ。と、お前はついてくるなって

命じられていたんだっけな。んじゃ、主様がお帰りになったら

仔細顛末(しさいてんまつ)の報告を頼むな。」

そうして、止める間も無く トンネルに駆け込んでいった玉を

言葉もなく見送った由良は ふと一番とばっちりを受ける

役割を押し付けられた事に 今更ながら

気付いて肩を落としたのだった。

 

 

湯婆婆は、はじいていたそろばんの手を止めると

ふと顔をあげた。

「これは、珍しいお客がくるね。」

そう呟くと、徐に傍らの電話を取り、父役をたたき起こして

出迎えの準備を命じた。

 

そういえば・・・

千尋はふと懐かしむ。

・・・この道を歩いて通るのはあの時以来なのね。

あの時は父さんも母さんもどんどん行ってしまって ついていくのに精一杯で。

父さんったら、この岩を飛び越えるのに母さんには手を貸したくせに

私のことは無視?って心の中でぶーたれていたっけ。

『千尋っ、早くしなさい。』

あの時のお母さんの声まで蘇ってくるよう・・・

「小鬼さん、大丈夫?足をとられないように気をつけて。」

「は、はい。」

夏草の生い茂る丘を抜け、船着場の石段を上がると

不思議の町が、奇妙な静けさをたたえて佇んでいる。

・・・あの時と同じね。一緒にいる存在は だいぶ違うけれど・・・

千尋はくすりと笑うと、小鬼に声をかけた。

「小鬼さんは、ここにきたことある?」

「はい。以前 一度だけ蜘紗様のお供をして、遊山に

つれてきていただいたことがあります。」

「そう。やっぱり、霊様方が遊びにくる所なの?」

「それと、穢れを落しに参るところです。」

「そっか。」

そんな会話をしているうちに大きな灯篭が見えてきて

千尋は、ちょっぴり目を見張る。

「あら。」

と、驚いた事に油屋の玄関に出迎えが出ていたのだ。

橋のたもとまで来ると、小鬼は千尋に向かってお辞儀をした。

「森の奥方様、ご親切は決して忘れません。

真にありがとうございました。どうやら、油屋も

開いている様子。これ以上お手を煩わせるのは

申し訳なく。わたしは、このまま主が参るのを

お待ちしなければなりませんので お送りすること

適いませんが、後日 このご恩は必ずお返しいたします。」

千尋はそんな、小鬼に微笑むと、

「うまく予約がとれるといいわね。恩返しなんて気にしないで。

主様に、お幸せをお祈りしています、と申し上げてね。」

「はい、必ず。」

そういうと、小鬼は橋を渡り 出迎えの蛙男たちと

ともに、油屋に入っていった。

しばらく、千尋を気にしていた油屋の従業員たちが 

 誰もいなくなると、辺り一面、静けさが戻ってくる。

と、電車の音が橋の下から聞こえてきて。

千尋は、思わず欄干から身を乗り出して電車を探した。

そうして、まるであの時のように 電車を追って、

反対側の欄干から下をのぞく。と・・・

「え?」

橋の中央に、腕を組んで千尋を見つめる青年が立っていたのだ。

「『ここに来てはいけない。すぐに戻れ。』」

千尋は、思わず緩みそうになる顔を引き締めると

ぷいっと、踵を返して町のほうに駆け出した。

と、数歩行った所で腕を捕まれてしまう。

「『時間を稼いで』くれるのじゃないの?」

そんなことを言う千尋はすでに青年の腕の中で。

「千尋、千尋。どうしたら、許してくれる?

頼むから、いくら怒ってくれてもいいけれど

結界から出ていくことだけはしないでくれ。」

そうして、腕の中でもがいている千尋をさらにきつく抱きしめる。

「結界から気配が消えたとき、どれほど心配したか。

こんなんじゃ、いくつ命があってもたりない。」

千尋はその悲痛な声にため息をついて、もがくのをやめる。

そうして、そっと、夫の胸に手をつくと 

体を少しだけ離して翡翠の瞳を覗き込んだ。

そこにある傷ついたような瞳の色に、

千尋の胸もほんの少し ずきっとして。

千尋はもう一つため息をつくと、己の子どもっぽさを反省する。

「ん、心配かけてごめんなさい。」

そうして、額をこつんと夫の胸にぶつけると

思い切ったように、話し出した。

「でも、でもね、はく。もう少し私のこと信用して。

はくから見ると、私って頼りないかもしれないけれど

あなたが私を心配してくれているのと同じくらい

私もあなたのことが心配なの。私が怒っているわけ

分かってくれている?ピアノのことで怒っているんじゃ

ないのよ。お願い、私の為に黙って何かをしないで。

ひと言でいいから相談して。私、切ないよ。

何にも知らないであなたに守られてばかりなんて。」

話しているうちに 涙が滲んで 夫の白い直衣に染みを作ってしまう。

青年は動揺する。そうして、己の思慮の足りなさに臍(ほぞ)をかんだ。

腕の中の何より愛しい存在を泣かせているのは

ほかならぬ自分なのだ。良かれと思ってしたことは、実は

傲慢な思い上がりであったことに今更ながら気付かされて。

「千尋、すまない。」

今まで何回も聞いていたはずのこの言葉は、今度こそ

千尋の胸の中に落ちてきて、千尋はもう一度顔をあげて

夫の瞳を覗き込む。そこには、後悔と千尋への真摯な想いが溢れていて。

まるで深い森の新緑が日差しに輝くような、澄んだ湖がその底を覗かせるような

翡翠に輝く美しい瞳が 神々しいほど、整った秀麗な顔立ちとともに、

千尋の心に焼きつく。

千尋は、はくを見るたびにいつも感じる愛しさと、

神である琥珀主としての存在への畏敬の念に 息が詰まる。

そうして、心の奥にいつの間にか 蟠(わだかま)っていた 

想いを つい口にしてしまった。

「はく、はく。私 今更だけれど 神様の妻なんて

務まるのかな。いつも、あなたに心配ばかりかけて、

あなたに守られてばかりで。あなたには、大切なお役目が

あるのに。私はあなたの邪魔になってばかりで。

なんの役にもたてなくて。はく、わたし、」

「千尋!千尋!黙って。

本気で言っているんなら 今度は私が怒るよ。」

ああ、そなたは自分を知らなすぎる。

役に立たない?邪魔?

そなたにそんな思いをさせていたなんて。

本当に我ながら、自分を許せない。

千尋の潤んだ瞳は 悲しみと自己嫌悪で曇っていて。

琥珀主は、自身の命よりも愛しい妻を抱きしめる。

「千尋、千尋、愛している。愛している。愛している。

どういえば、そなたに伝わる?私が、私であるためには

そなたがいなくてはだめだということを どうすれば

分かってくれる?私が、なにより恐ろしいのは

そなたを失うことだと、どうすれば理解する?

役に立たないなんて、邪魔だなんて、そなたに

そのような思いをさせるなら、森の主の役目など

神としての役目など、すべて放棄してしまおうか。」

どれほど年月をかさねようと、己は己にすぎないと、

かつて、神としての役目を捨ててまで大切なものを

追い求めた、無責任な子どもに過ぎないと、思い知る。

そうして、それを後悔していない己という存在の恐ろしさ。

ああ、千尋。こんな私を凪(なぎ)せしめることができるのは

ただ一人、そなただけなのだ。

琥珀主は、胸に抱いた少女のままの小さな存在に

その全てをかけて祈りを捧げる。

「千尋、千尋、私の傲慢さを許しておくれ。

そなたが、どんなに悲しんでも そなたがどんなに苦しんでも

そなたを手放してやることなどできない。

そなたが私の妻でいることが いやになったとしても

わたしはそなたをわたしに縛り付け続ける。」

そなたが私から離れていかないためならどんなことでも

しよう。どのような望みでも叶えよう。だから、千尋・・・

 

「はくの、ばか。」

腕の中で琥珀主の血を吐くような独白を聞いていた

千尋は、小さく震える声で呟く。

そうして、涙を溢れさせている顔をあげると

両手で琥珀主の頬をぱしんと包み込む。

「はくのばか。それって私も同じだって、どうすれば

わかってくれる?私があなたを愛している事を、

あなたがいなくては、だめだということを、

あなたを失うことがなによりも恐ろしいということを

どうすれば、伝えられるの?あなたが無茶をして

傷つくくらいなら、ほかのものの存在なんて、どうでも

いいって思っている、そんな利己主義な汚らわしい私を、

ほんとに許せる?わたし、あなたの側に並び立てるほど

綺麗でも、清らかでもないけれど、それでも、

それでも、あなたの側から離れたくないの。」

だから、愚かで穢れた存在だけれど、どうかあなたの

側におかせて。そうして、あなたとともに、全てを

分かち合わせて欲しい。どうか、はく・・・

 

お互いに、相手に対する想いが溢れ出て、その想いに

がんじがらめになって、身動きが取れない、そんな

愚かしいお互いが、本当に愛しくて、おかしくて。

二人は、額を触れ合わせて、互いの瞳を覗き込んだ。

琥珀主は 思わず くすりと笑いながら 千尋に問う。

「千尋、私たちは似合いの夫婦だと思うな。」

千尋も、泣き笑いをしながら答える。

「ん、そうかも。」

そうして、二人は口付けを交わす。

神聖で純粋な誓いの口付けを。

 

「千尋。」

「なあに?」

「今すぐ、そなたを愛したいと言ったら怒る?」

「・・・・はくのばか。」

「うわっ。ちょっとまって、千尋。」

するりと腕の中から逃げ出した千尋を捕まえたとたん、

聞こえてきた声に 二人はここがどこだったか、やっと思い出した。

「お前達、いいかげんにしな。人のうちの

軒先で、痴話喧嘩だかなんだか知らないけど

いちゃつくのは、いいかげんにして欲しいね。

部屋を取る気がないんなら さっさと帰りな。」

呆れたように、二人を睨みつけている湯婆婆に、

腕の中に愛しい存在を捕まえた龍神は、余裕の笑みを見せる。

「それは、申し訳なかった。すぐに、失礼する。」

が、今度ばかりは、龍神の思惑通りに行かないようで。

想いを確かめ合ったばかりのはずの、腕の中の

愛しい娘は、とんでもないことをいいだした。

「湯婆婆お婆ちゃん、油屋でエステを始めたってほんと?」

湯婆婆は、にやっと笑うと龍神をチラッと見る。

「そうだよ。よかったら、やっていくかい?」

「いいの?やってみたい。」

「ち、千尋さん?」

そんな千尋に龍神の情けない声が掛かる。

「だって、今度いつ ここにこられるかわからないんだもの。」

「わかったから、直ぐつれてきてあげるから、今日はダメ。」

「ほんと?約束してくれる?」

「もちろん。だから、一人できてはだめだよ。」

「ん、わかった。お婆ちゃん、予約していったほうがいい?」

そんな二人をニヤニヤ笑いながら眺めていた湯婆婆は

「あんたなら、いつきても大歓迎さ。

珍しいものをみせてくれたしね。」

「?」

「この龍がこんな情けない顔を見せるなんてね。」

そういうと、湯婆婆は我慢がならないと

いうように大笑いしたのだった。

 

 

目次へ

 

ち、力尽きました。ばたり・・・

ちーちゃん、どこまで暴走していくのか分からなくて泣きながらカイタヨ。

いや、このテーマ、いくつかのパターンで書き始めたのだけれど

結局、これにしてしまいました。

なんか、おままごとのような関係だった二人がやっと、一歩大人になったっつうか。

この後、2人の関係はより深まって、酸いも甘いも噛み分けた夫婦になっていくのさ。

と、

最後まで、アップを迷った作品です。

よかったら、感想を送ってやってください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おまけ

「玉。」

「ああ、由良も結局来たのか。」

「うん。帰ろう。」

転変した龍神の背中に乗って嬉しそうに飛んでいった千尋の

後姿を見つめながら、佇んでいた玉に そっと声をかける。

玉は、ため息をひとつこぼすと、由良を振りかえった。

「おま、何泣きそうな顔してんだよ。」

「だって、玉が泣きたいんじゃないかなって思って。」

そんな、由良の頭を小突くと、玉は呆れたように笑った。

「何言ってんだか。ちー様のあの笑顔を見ることが

できたのに、なんで泣かなきゃいけないんだ。」

「玉ぁ。」

「ばっかだな〜。言っただろ。僕が一番大切なのは

ちー様の御意志だって。ちー様が選ばれた道なら

どこまでも、ついていくし、ついていきたいんだよ。」

「・・・・」

「さっ、帰ろうぜ。どうせ、この後 閨にこもられるだろうから

身の周りのお世話をきちんとしなけりゃね。」

そういうと、振り返ることなく草原を下って時計台に

向かっていった。

「由良ぁ、早く来いよ。」

時計台の入り口で手をふる玉に、由良は駆け出す。

報われることを望まないあの玉の純粋な思慕を、いつか

ちー様にもわかって欲しいなと、思いながら・・・

 

目次へ