龍神シリーズ・小話集

 

8・おまけ・・・その後の話  

 

「むかつく。」

去って行く龍神の後姿に向かって、呟いた若い風神の

苦々しげな声は、その近くにいた父神の耳にしっかり届いた。

風の神は、息子を横目で見ると、にやっと笑う。

「何に むかつくというのだ?

かつて、顔を合わせ いがみ合った事のあるお前を

歯牙にも引っ掛けないあの態度か?

おお、確かに 眼中にもはいっていなんだのう。

それとも、お前が惚れていた娘への溺愛ぶりにか?

いやいや、そんなことは今更であるしな。

ならば、小一時間もせぬうちにあの禍つ気を完璧に

押さえ込んだあの神力にか?」

「てめえの態度にむかつくんだよ!」

いやみっぷりもまさに上位神といった父神に

ぶち切れた風馳は 思わず怒鳴りつける。

「子どもだのう。」

そんな末っ子に 呆れたような視線をよこす父神に よく似ている

という短気っぷりを発揮して、風馳は父である風の神につめよった。

「あの程度の陰気、俺達の力で充分浄化できたのに、

なんで、あんなやつを呼びやがる。だいたい、

あいつの嫁の御霊鎮めの気だって、すぐに消えちまったんだから

もう一度 俺達だけで立て直す事だってできたはずじゃないか。」

「ほ、だから子どもだという。」

「どういう意味だ。てめえ、あんなやつに

俺達 風雷族が なめられても いい っつうのかよ。」

まさに、子どもが癇癪を起しているかのような

末子のようすに、風の神はせせら笑う。

「真っ先に、あの娘の気に 中(あ)てられたやつが何を言うか。」

その言葉にぐっとつまった風馳を じろっと見やると

風の神は 首を振りながら諭すように続けた。

「まったく、お前は力ばかり一人前でも、いつまでも

子どもだのう。もう少し思慮というものを働かせてみたらどうだ。」

そうして、風の神はそれまでと異なる笑みを浮かべると、目を細める。

その様子は、どこかぞくりとするような気配を纏(まと)っていて。

風馳は、息を呑んで、上位神の独り言のような低い呟きを聞いた。

 

「あのものは、なまじっかの事では森から動かぬに 

僥倖(ぎょうこう)であったわ。ふふ、やはりあの娘に渡りを

つけておいて 正解であったのう。」

そうして、自身の右腕である飛揚を振り返り、太く笑む。

「あの龍の力、遊ばせておくにもったいないと思わんか。

いま少し 秋津島の 浄化に役立ててもらわぬとのう。」

利用できるものは 利用できる時に 利用せねばな。

 

上位神の上位神たる所以(ゆえん)をみせつけられ、風馳は奥歯をかみ締める。

「・・・やっぱ、てめえ、むかつく。」

そう言い捨てると、焼き付けるがごとく視線を飛ばし、

くるっと背を向けて、父神の元から立ち去った。

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

『おい、そこの女。』

『お前だ、お前。龍の嫁。』

突然聞こえてきた声に、立ち止まった千尋は

森の中をきょろきょろと、見回した。

ざわざわとした、木の葉のざわめく音の中、

どんなに、見回しても声の主の気配もつかめなくて。

「えっと、どなたですか?どこにいるの?」

おずおずとした、問いかけに 苛立たしげな返事がある。

『んなことは、どうでもいいんだよ。いいか、龍神に伝えとけ。

こんな忠告、一度しか言わないからな。

上位神に付け込まれるような隙をみせるんじゃねえ。

己と己の神人が大事なら、簡単に神気をみせびらかす

ような真似をするな。油断すると、いいように使われ

ることになるぞってな。いいか、必ず伝えろよ。』

「・・・どういう意味?」

『やつに聞け。』

「きゃっ!」

怒鳴るような最後の言葉と同時に突風が吹きぬける。

千尋の髪を 大きな手でくしゃくしゃにかき回していった

ような、悪戯な風がやんだ後は、しーんとした気配だけが残されていた。

 

・・・・・・・・・・・・・

 

「はく!!!」

「えっ?うわっ と、千尋 何?」

突然、怒鳴るような大声で寝室に飛び込んできた千尋は

ベッドでうつ伏せに寝ていた夫の傍らに

飛びのるような勢いで、膝をつくと 肩を乱暴にゆすった。

まだ、寝起きで現状を把握できていない琥珀主は

あまりの勢いに そのまま仰向けになると

目を瞬(しばたた)かせて千尋を見る。と、怒っていますと、

言わんばかりの顔は、しかし今にも涙が零れ落ちそうで、

琥珀主ははっとして、千尋を胸に抱き寄せると

そのまま勢いよく上体を起した。

「ど、どうしたの?千尋、何があった?」

「どうしたのじゃないもん。」

「千尋?」

困惑しきった夫の声に、とうとう涙がポロリと零れ落ちて。

「千尋!本当に、どうしたの?」

この神人しか聞くことが出来ないであろう このいつも無表情の

龍神の焦った声に、小さな しかし憤ったような声が返る。

「はく、夕べ何をしたの?」

「えっ?」

千尋の表情と言葉に固まった琥珀主は、一瞬の間に

どうやら、昨夜の己の所業がばれてしまった事を悟った。

ほろほろと流れる千尋の涙は、この龍神の一番の弱点で。

「ち、ちひろ。そなたが心配することなど 何もなかったのだ。」

しどろもどろの言い訳は、もちろん涙目の千尋には通用しない。

「・・・はくの、ばか。やっぱり、何かしたのね。」

「変だと思ったもの。天馳様から3日渡りの嵐だから気をつける

ようにって、お知らせがあったのに、今日はこんなにいいお天気で。

それに、はく、すっごく疲れているみたいだったし。」

勢いで言い募ってきた言葉がだんだん細く頼りなくなって、

千尋は俯いて、ぽつりという。

「・・・・私が、あんなこと言ったせい?

だから、嵐を止めるために 何かしたの?」

 

『この嵐のせいで、深く傷つく人がいませんように。

全ての生き物が無事嵐をやり過ごせますように。』

 

ああ、わたしってなんて偽善者なのかしら。

はくが無理をするならば、こんなこと言わなかったのに。

 

「お願い、私が考えなしに不用意に言った事で 無茶をしないで。」

きらきら光る明度の高い水晶の雫を頬にこぼしながら

訴えてくる妻に、堪らず口付けをすると、そのまま体を押し倒す。

そうして、上から千尋の瞳を覗き込むと、思わず微笑んだ。

「なんで、笑っているの?」

わたし、怒っているのに。

 

・・・我を心配する そなたの想いが嬉しいなどと、

言えばますます怒らせてしまうだろうか。

 

「うん、すまない。だけど、本当にそなたが

心配するようなことなど、していないよ。」

「昨夜は、急に天馳様からのお使いが来て、

取引を申し出てこられたのだ。だから、

そなたの言葉のせいというわけではないんだよ。

穢れを払うために、ちょっとしたお手伝いはしたけれど。」

だから、泣かないで、千尋・・・

目のふちにたまっている涙をそっと指で拭い取る。

そんな夫の仕草に、照れて目を泳がせながら 

千尋はそれでも、言葉を繋げる。

「取引?で、でも隙を見せるといいように使われるって。

だから、油断するなって。」

「・・・・・ふ〜ん。そなたの髪に触れていったお節介な

風の精の言伝(ことづて)、かな?」

 

ああ、昨日の今日で我も油断していた。昨夜の結界の緩みを

修正して、そなたに『会う』ために森に来る余計な

輩(やから)が迷うように、呪(まじな)いをかけなおせねば。

 

千尋の髪を手で持ち上げると、唇を寄せて、気配を探る。

「どなたか、分からないの。お姿は見えなかったから。でも、

はくのこと心配していたよ。自分が大切なら神気をみせびらかすなって。

油断できない上位神って、天馳様のことなのかな?」

「大丈夫だよ。昨夜のことは、収支決算すれば

こちらの 黒字になるからね。」

 

・・・それに、どうやら、この言伝(ことづて)の主は

私ではなくて そなたを心配しているようだ。

 

「・・・やはり、失敗だったかな。」

 

・・・御霊鎮めに そなたのピアノを中天に響かせ

 気を渡らせるなど もったいなかったか。

このように、そなたに気を引かれた輩がさっそく来るのだから。

 

「はく?」

翠瞳を戻すと、心配げに見上げている 

涙を湛え黒々と潤んだ瞳と、ぶつかって。

そんな千尋に微笑むと、千尋の己に対する

想いのつまった涙を唇ですくう。そうして、

開け放されたままだった閨のドアを指先の気で閉じて

結界を張ると そのまま己自身の思いのたけを

妻に注いでいったのだ。

 

・・・・・・・・・

 

このあと、嵐を鎮めたお礼に、この地方の霊霊から、

貢物が届き、結局、ピアノの件もばれてしまったとか。

別の意味で千尋が怒ったことは、いうまでもない。

 

おしまい

 

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へ、へんだな。

ちーちゃんにたたき起こされて、しかられるはくの話を

書きたかったはずなのに。

結局、情けなさ全開のくせに はく様 美味しいとこ取り?

それに比べて 風馳くん、男気だねぇ。

変にひねているどこぞの龍神より、ずっと素直ないい子じゃないか。

うんうん、君のその若さにかんぱ〜い!!