龍神シリーズ・小話集

12、 夜祭異聞

 

古峰連峰は、標高2000メートル程の、その岩肌が

荒々しい、人を寄せ付けない厳しい山々が連なっていて、

古くから修験道の聖地として、信仰を集めてきた地である。

一番高く 中心にある山の名を古峰山といい、山自体を

ご神体として標高の低い順に下社、中社、上社という、

お社が祀られている。その他にも、いくつもの摂社や末社があり、

近年、その様相も様変わりしつつあり 純粋な信仰よりも、

観光地化され商業主義の影響が及びつつあるとはいえ、

それでもかつてこの島にあった神への信仰が形式的にでも

残されている 稀有な地でもある。

この山の主は、古峰殿と呼ばれる天狗で 、配下に小天狗、

大天狗、鴉天狗といわれる、所謂 天狗族をあまた従え、

秋津島に数人いる 天狗族の長(おさ)の一人である。

配下の者のみならず、その面倒見のよさを慕われて、種族を

とわず、多くの神々と親交があり、そういう点でも稀有な存在

といえるかもしれない。何しろ、この山の主は秋津島だけではなく

竜宮とも親交があり、かつて竜王の秘蔵っ子であった、崑崙出身の

童龍が秋津島に光臨する際、人柄を見込まれて、その山を源とする川に

預かったという経歴の持ち主である。残念ながら、その龍神は

力を覚醒させる前に、人の欲に呑みこまれてしまい 

川から離れざるを得なかったのだが、その定めを変じて

標の森の主となってのちも そのつながりは、保たれているのだ。

もともと、排他的な傾向のある標の森の龍神は、その交友関係が

大変狭いのであるが、古峰主はその一角を占めていて、しかも

童神であった頃と同様に龍神を気にかけ見守っているのも、ひとえに

古峰主のその人柄の良さによるものかもしれない。

なので、この日この場所に、この龍神がいることは、それほど

驚くべき事ではないのであるが、しかし、そのあり方は

大変珍しく、この龍神を龍神としか知らない他の神からすれば

ありえないだろうと突っ込みをいれるような事態であった。

もっとも、リンあたりがしれば、またかよ、といってそっぽを

向く程度ではあったが。

 

「驚いた?」

「うん。私、お祭りって 出店が出て おみこしを担いで 大勢の人が

賑やかに出歩いて っていう印象しかなかったから。」

琥珀主は目を丸くして、目前の光景に

見入っている千尋の返事にくすっと笑った。

「そうだな。それも、ある意味正しい祭りのありかただよ。

祭りというのは、神が人間と遊ぶ日のことだから。」

そんなことをいいながら、古峰神社の上社で行われている

祭礼のようすを、人間に混じって眺めている龍神夫妻は

どうやら、お忍びで (しかも、人間のふりをして?)、祭り見学に

きているらしい。二人ともに浴衣姿で、寄り添っている様子は

大勢いる人間のカップルと変わらず、しかし、見るものが見れば

その正体は顕わになっているかもしれない。

「ほら、ごらん。」

そう言って、長く端正なつくりの指先を伸ばした先には、

炎の上空に輪を連なって集まりつつある、精霊達の姿があった。

 

古峰の火祭りとして有名なこの祭りは、今年900年祭という

節目の年でもあって、その賑わいは最高潮にたっしようと

していた。真夜中近くにも関わらず燃え盛っている

巨大な炎の周りでは、信者とみられる大勢の山伏装束の人たちが 

祈りを捧げていて、その周囲を囲んでいる人垣も十重二十重で、

炎だけでない熱気が山々の上空高くまで昇っている。

その気に誘われて、そこに住んでいる精霊達が集まり、

そうして人間の祈りの力と力を合わせて、この地を浄化し、さらには

パワースポットとしての力を蓄えていくのだ。

双方ともに力を合わせ、地を守るための祭り。そうこの祭りは

(人間の方は一部の能力者を除いて気付いてはいないが)

すでに秋津島で失われつつある、人間と霊霊たちの

理想的な関係が保たれている祭りなのだ。

 

「あれは、火の精霊。もうすぐ、この山全体の精霊達が集まってくるよ。」

琥珀主は伸ばした手を傍らにある千尋の肩に戻すと、優しく抱き寄せる。

「ねえ はく。火の上に立ち昇っているのは、なあに?」

「あれは、人間の祈念が気となって炎に浄化されたものだよ。」

そう言って、もう片方の手をかざし、横に振る。と、その気の

一部がシャボン玉のように丸くなってふわふわと千尋の目の前に

寄ってきた。そっと手を伸ばして触ってみると、熱くそして、体の隅々

にまで行き渡るようなパワーが手から電流のように流れ込んでくる。

「気持ちいい?」

「ぅん。でも、いいの?」

初めての感覚に戸惑っている千尋から、その力玉を

離してやると 残りを、もとの場所にもどるように指で操る。

「ちょっとだけならね。」

そう言って、視線を炎の方に向けた琥珀主を、千尋はそっと

見上げた。炎に照らされた秀麗な顔立ちは神々しいほどで

うまく人間のふりをしているとはいえ、周囲の視線を集めてる

のは仕方がないのかもしれない。千尋の視線もつい、琥珀主に

釘付けになる。長年連れ添ってきた夫ではあるが、時々傍らに

こうしてある事が現実として捉えきれないような感覚がすることがある。

はくの側に寄り添って生きていく事ができる幸せがあまりにも

過ぎて、そう、まるで夢の世界に遊んでいるような・・・

はくに知られたら、じゃあ、現実として再認識させてあげるよ、

と澄ました顔をして、閨に連れ込まれることになるだろうが・・・

 

千尋は、見つめる。

琥珀主は楽しそうな中にも、何か考え込むような表情を

時折見せていて、千尋は心配そうに見つめ続ける。

眷属を増やし、神としての威容を示すようになったかと思うと

突然、今日のように他神の祭りに出かけようと誘ってきたりと

このところ、琥珀主は以前には見せた事のない言動が増えてきた。

 今までも、分かってはいる事ではあったが、はくが神様なのだ

と、意識させられることがたびたびあり、しかも、そんな龍神の

妻として、比売神(ひめのかみ)としての正式な扱いをされる

千尋は なれないこともあり 戸惑ってしまうのだ。

琥珀主自身は、そなたはそなたのままで、自然にしていていいよ

といってはくれるのだが、周囲の扱いは重々しく変わっていくような

気がして。それに、神様としてのはくに疵をつけたくはない、

という千尋自身の想いもあって、気を張ることが増えてきている。

そんな千尋に気遣ってか、今日の他出は忍びだから緊張する

必要はないよ、と言っていた琥珀主なのだが、どうやら、単なる

祭り見物にきたわけではないらしい。

千尋は、夫からふっと視線をはずし、小さくため息をつく。

「千尋?疲れたの?」

そんな千尋の僅かな変化も見逃さず心配そうに声をかけてくることは

前と同じで、そう、よく考えれば千尋に対するはくの言動は

全く変わってはいないのだ。千尋は、もう一度琥珀主を見上げる。

そうして、小さく微笑んだ。

「大丈夫よ。それより、古峰様は、いつお出ましになるの?」

「そうだな。真打(しんうち)は最後に、と決まってはいるけれど

あのお方のことだから、すでにお出ましになって、こっそりと

様子をごらんになっているかもしれないよ。」

そんなことを冗談っぽく言ってくる琥珀主は、それだけ

古峰主に親しみを感じているのだろう。

琥珀主が心を開く事ができる存在が

あるということは、千尋にとっても 嬉しくて。

 

そう、はくにとって良いことなのだろう。森の中で森を守る、

それは主としては当然で、たしかにその勤めは果たしている

はくなのだけれど、千尋と森以外に、心を向けようと

しないあり方は、はくの心の不安定さと 抱えている闇

を示しているような気がして、密(ひそか)に心を痛めていたのだ。

だから、その勢力のうちに他の精霊達を受け入れたり、こうして

他神の守護地の祭りに意識が向くようになったということは

はくの心の闇が、その重さを軽んじてきた証であるようにも思えて。

 

よかった・・・

千尋は、慈しみ溢れた微笑みを夫に向ける。

このような想いを抱けるのは女だからなのだろうか。

千尋自身は気づいていない事ではあるが、琥珀主の妻になって

半世紀あまりの年月を過ごすうちに 大人の女性へと成熟し、

姿かたちこそ、以前と変わらぬままであっても、その魂の輝きは

一段と深みを増している。神であれ、人であれ、

自然と視線が吸い寄せられるような存在として、

琥珀主だけでなく千尋自身も密に視線を集めているのだ。

なので、2人の背後から聞こえてきた声は、

ある意味当然の帰結といえるだろう。

 

「さすがでございますな。こうして思いがけない僥倖にありつくことも

ありますゆえ、出番まで見回ることにしているのですよ。」

振り返ると、琥珀主たちと同様、人間に転化(てんげ)している

古峰主が、ニコニコしながら二人を見ていた。

龍神は、ふっと笑む。

「祭りの主催神がこのような所にいると、知られたら 

いろいろ面倒な事態になるのでは、ないですか?」

「なんの。配下のものたちは、我のわがままには

慣れておりますゆえ。人間のほうは、残念な事に

昨今、我の正体に気付くような能力者は、ほとんど

いないので、ある意味心配要らないのですよ。」

そうして、3人の人間の振りをした神は、人間達に

混じって、祭りの祈りが満ち満ちる様子を見守った。

祭りの熱気はますます激しくなり、山々にこだましていく。

炎の周囲には天狗たちも集いはじめ、山伏と混じって祈りを捧げ、

上空には、種種多多な 精霊たちが気と戯れ舞い踊っている。 

人間も霊霊も ある種のトランス状態で、ともに祭りに参加しているのだ。

龍神が小さくため息をついて、独り言のように呟く。

「このような・・・」

そのまま黙ってしまった琥珀主を、振り返ると古峰主は微笑む。

「おかげさま、なのです。人間達はいろいろ悪さもしますが

そう悪いばかりの存在ではないのですよ。もともと、秋津島は

霊と人間が共存繁栄していた地なのですから。今は、全体

人間の負の力が勝っていますが、この地では 年1回とはいえ

このような様を見せてくれるのです。この地が力を保っているのは、

半分は人間の力によるものと言えるかもしれません。」

そう言うと、龍神に静かに問う。

「ご一緒に祭りに参加してごらんになりますか?」

もしかしたら、お悩みの答えの一端をさし上げられるかもしれません。

龍神が頷くのを見て微笑むと 古峰主は千尋にも視線を向ける。

「姫君も?」

「・・・やり方を教えていただけますか?」

2人の様子を黙ってみていた千尋は、小さく頷き、応えた。

山の主は微笑む。

「勿論です。難しいものではないのですよ。」

こちらへ、と案内していった先はすでに、古峰主の出座を

待っている霊たちが集っていて。

古峰主はその中心の座につくと、周囲に控えている

ものたちを見渡し、両手を上げる。

「標の森の龍神殿が、特別にご参加くださる。今宵このとき

この祭りによって、この地の力は永劫に続いていくだろう。

みなみな、祝え、寿げ、そうして、祈念せよ。」

オオオオオオオ・・・・

主の言霊に従って、声にならないどよめきが山々に満ちていく。

琥珀主は千尋に手を差し伸べる。

「おいで。一緒に祈りを捧げよう。そなたが感じ、

思うことを天に祈って。そして、『今宵の奇跡をともにせん。』」

龍神は 古峰主の導くままに山の中心座の一角、

古峰主の向かいに座をしめると、千尋を傍らに座らせる。

「気を楽に、目を閉じて。」

そう言うと、背後から抱きしめるように 千尋が自然に 

合わせた手に自身の手を添える。そうして、

目を閉じ、気を集中させ、天に向って、力を解放する。

内から出た炎が光となって、空に立ち昇っていく

そのさまは、、かつて一度だけ、無意識のうちに千尋の

部屋で見せた浄化の炎よりも、さらに激しく清冽な炎で。

怒りに任せたあの時とは、まったくその力の質を異にしている。

浄化というより、慈愛と言うべきその力。

千尋と琥珀主が、初めて心意を合わせて発したパワーは、

人間と神が手を携(たずさ)えて地の力を守っていく、それ事態の

象徴となるような行為とも言えて。

そうして、龍神は 山に集う神々や精霊達、そして人間と

気の力を合わせ、初めてその力を共有したのだった。

 

千尋は祈る。

人と、自然が対立することなく共栄していきますように。

どうか、この地の営みが永劫に続きますように。

そして・・・

はくが、幸せでありますように・・・

 

この夜の奇跡は、人間の目にも顕かだったらしい。

山全体が、発光し まるで 真昼のような明るさになった

その様子は 何枚のも写真や映像となって残されている。

他にも、いくつかの奇跡と思しき事象が伝わっている。

いわく、車椅子の若者が歩いて帰った。病気で幾ばくもないと

いわれた病人が全快した。子を産めないと

宣言されていた女性がみごもった。などなどなど・・・

何れも、眉唾ものの都市伝説の類と片付けられはしたが、

翌年以降、この祭りに参加する

人間の数はますます増えていったとか。

 

そうして、時をさほど経ずして、標の森の有刺鉄線が外され、

子供達が遊び戯れるそんな光景を目にするようになった。

もちろん、神域は神域として人間が足を踏み入れることは許され

ることはなかったが、それでもいつしか、社が再建されて、

名を知られていない龍神がその主祀神として

祀られるようになったということだ。

 

 

目次へ

 

無言で逃走。続きがどうつながるのか著しく不安。

ちょっと、小難しい中身だったかも。次はもっと

いちゃいちゃさせたい、なあ・・・?