なんたって
ビッグサイトの |
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本稿を、東京国際展示場の運営に奔走した、 |
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私は、1994年から1996年まで、東京国際展示場(愛称:東京ビッグサイト)の運営担当でした。現在、ビッグサイトは、ゆりかもめと並んで、
臨海部での成功事例といわれていますが、当時、世界都市博の中止、臨海副都心への批判という逆風の中で、
予定より半年早く開業するという使命を背負ったこの展示場は、「平成の戦艦大和」「最新設備を備えた倉庫」などと、
行く末を危ぶむ声がたくさん寄せられたものです。 回顧録を残すにはまだ早いように思えますが、展示場の運営を軌道に乗せるまでに、多くの人びとの努力はあったことを知る者として、 その足跡をここに記してみたいと思います。 |
来場へのアドバイス |
所在地等 |
東京都江東区有明3−21−1 電話 03-5530-1111 fax.03-5530-1222 運営 株式会社 東京ビッグサイト(当時は、社団法人 東京国際見本市協会) |
交通 |
およそ展示場で、アクセス経路の選択にこんなに悩むところはない。ぜいたくな悩みだ。
なお見本市協会では、1年間のビッグサイト入場者が交通機関に落とす経費を、約65億円と試算している(2000年の来場者817万人から)。 |
会場 |
会議棟真下が正面玄関になる。ここから東のホールまでの距離は、どの駅を降りてからも300m近くになる。
いずれにせよ会場付近に着いてからが歩く。したがって、待ち合わせ時間の設定には内部での移動時間を見積もる必要あり。 会議棟8階屋上は、雨天・強風の場合以外なら外に出られる。ここからの景色は絶品。例年、元旦には初日の出スポットになり賑わう(私は開業以来毎年、この屋上で初日の出を見ている)。 食堂は会場内に13カ所(会議棟3、中央5、東棟5)。事前に開催状況をチェックして、混雑時は会場から離れた食堂を探そう。意外とすいていたりする。 施設内の食堂は開催状況によって開いたり開かなかったりなので、注意。 隣のファッションタウンにもしゃれた店がある。 有明ワシントンホテルには、何と料理の哲人の店が3軒も。どうしようもなく混んでる場合は、向かいの有明フロンティアビル内が、穴場中の穴場だ。 |
近くの施設 |
フジテレビはあまりにも有名。 近くの「青海」にアミューズメント施設「メガ・ウェブ」「ヴィーナスフォート」が開業した。 観覧車が有名。 2001年7月に日本科学未来館がオープン。隣には船の科学館が。こちらは老舗である。 テレコムセンターの隣には、現在、温泉を建設中。 フジテレビの並びにはセガの「ジョイポリス」があり、新たに「アクアシティ」というのも開業した。ゆりかもめの1日券で、けっこう遊べる。 世界都市博は中止したが、臨海部は、ホテルとテレビ局、ゲームセンターなど娯楽施設、イベント施設ばかりになってしまった。 「だったら、都市博をやっときゃよかったのに・・・」と関係者はぼやいている。 東京都も「水の科学館」というのを建てているので、忘れないでほしい。 |
遅れてきた新展示場計画 |
すいぶん以前から、老朽化した晴海見本市会場をどうするかが話題に上がっていました。
晴海会場は私と同じ年、もう立派な中年にならんとしていました。 その頃には、幕張メッセが完成します。 幕張ができればもう必要ないんじゃないかという雰囲気も一時、強かったように覚えています。 ところが、臨海副都心計画が大きくなり、さらに世界都市博の開催が打ち上げられるにつれ、 新展示場は、臨海の目玉として脚光を浴びることとなります。 そして、東京テレポートに陰りが見えるとなおさら、周囲の熱い期待が、この展示場に寄せられるようになります。 折しも東京都の税収入は絶好調です。 当然、「幕張に負けない施設をつくろう」ということになります。 しかし、東京国際展示場の建設計画の具体化は、臨海計画に一歩遅れをとってしまいました。 ビッグサイトに来ると、誰でも、展示ホールが東西に分かれていることに気がつくでしょう。
あれは、敷地中央に道路とゆりかもめの引き込み線が通っているからで、新しく1から作る展示場の左右泣き別れは、
いかにも計画のちぐはぐを暴露しています。 未だに尾を引く駐車場の問題もそうです。 |
運営計画は設計前に必要 |
もちろん、事前の打ち合わせはくりかえしおこなわれました。しかし、実際、やってみるとほんとにいろいろな問題が起こってくるんですよね。
こういった大規模施設を計画するときには、初期設計の段階で、運用スタッフとの、入念な意見調整が必要です。
ご存じの方も多いかと思いますが、ビッグサイトは世界都市博のメイン会場になる予定でした。だから、設計側も私たちも 「博覧会場」という面に関心が向きすぎていた傾向があったことは否定できません。「博覧会場」と「展示会場」とでは、 オペレーションの面ではまったく異なるものでした。これは、その後に思い知らされることになります。 一口にいって「博覧会場」は長期決戦型、「展示会場」は短期ローテーション型です。 運営サイドもたいへんです。主催者が夜8時に打ち合わせをやりたいといえば、当然、残ります。午前零時に搬入を始めたいというなら、
それを確認します。 |
アクセスが展示場の成否を握る |
展示場が成功するかどうかは、そこで商談が成立するかどうかにかかってきます。 だから、第一に展示場は、大きな商業圏の近くに位置することが必須条件です。 この点、ビッグサイトは恵まれていました。 さらに、多くの人に来てもらうには、アクセスの良さがものをいいます。 第一は、来場者のアクセス。
初めて“ゆりかもめ”に乗ったとき、すでに私たちはこの新しい交通手段で、かなりの集客力があると実感しました。 第二は、出展者のアクセスです。 これらはいわゆる「外部導線」となります。外部から会場付近へのアクセスの良さは、ビッグサイトの大きな利点となっています。 しかし、問題は、会場付近、あるいは会場内部の導線です。
立ち上がり当初のそんな場面で、獅子奮迅の働きをしたのが、亡くなった藤村さんでした。大きな展示会が開催されるとき、
藤村さんは監視モニターの前でにらみをきかします。 もうひとつ感謝しなくてはならないのは、会場の総合案内についた女性のみなさんです。 こうした多くの人たちの努力によって、新しい展示場は何とか、立ち上げることができたわけです。 |
波を押さえるのが展示場経営の要 |
およそイベント会場というのは、開催日とそうでない日の落差がかなりあります。
東京ビッグサイトは施設的にはかなりゴージャスでしたから、維持管理費も並大抵のものではありません。
これを安定経営にもっていくにはどうしたらいいか、私たちは頭を悩ましました。
ハードの面でも、施設稼働の繁閑を調整するからくりがいろいろと仕組まれています。 しかし、なんといっても難しいのは、展示会のスケジュール調整です。 ビッグサイトの成功・不成功は、単にその施設限りのものではありません。施設内外のレストランやホテル、
交通機関にとっても経営を左右させかねない、大きな要素となります。 |
情報化社会の中の展示場 |
今のようにインターネットで情報が飛び交うようになると、商品の展示は不要になるのではないかという意見もあります。 しかし、展示場に来なければ、絶対にわからない情報が、ひとつだけあります。 それは、「人の流れ」です。 何年も続いたトレードショーにくるお客様は、展示会のリピーターです。 出展者が同業他社の商品の動きを知るのにも、展示会は便利です。自社のショールームにいたのでは、市場の動きは読めません。
ときに他流試合も必要です。 混み合ったブースに紛れて、来場者と出展者の会話を聞いていると、それだけで、ずいぶんといろいろなことを学べます。 |
幕張、横浜・・・そして有明 |
東京ビッグサイト(江東区有明)は、開業前、よく幕張メッセ(海浜幕張)やパシフィコ横浜(みなとみらい)と、
比べられました。マスコミには「湾岸戦争」と書かれたりもしました。 確かにこの3会場はライバルです。しかし、マスコミがいうほどお互い仲が悪いわけではありません。 「共に同じ苦労をしている同士」という気持ちで、どこかしらつながっています。ときには、会場運営スタッフが集まって、一杯やったりもしました。 それぞれの施設は、それぞれに長所も短所もあります。ここでは「いいとこ」だけ、ふれておくことにしましょう。 幕張メッセの利点は、周囲にあれだけ多様なホテルをいくつも従えていることです。外国の要人を呼び、大々的なセレモニーをやるには、適しています。ディズニーランドが近いのも魅力です。 横浜の魅力は、何といっても、地域ブランドにあります。施設は、規模こそ東京・千葉に比べて小振りですが、
なかなか使いやすいと定評があります。 ビッグサイトの長所は、やはり都心から近いこと。「午前中は仕事をして、午後は同僚と展示会へ」、 そんな気持ちでいつでも来られるところです(事実、有明に移転してから、午後の来場者がたいへん多くなりました)。 そんなことから、私は、ビッグサイトをネクタイに背広が似合う展示場、幕張を普段着が似合う展示場、 横浜をタキシードが似合う展示場と呼んでいました。 |
東京を祭りと彩りの都に |
「東京ビッグサイト」という名前は、公募によってつけられました。
考案したのは、逗子に住む女性です。
通常、展示場は“site”です。 当初、東京国際展示場という正式名称に戻してもいいのでは、という意見がなかったわけではありません。 しかし、来場のお客様が携帯で「今、ビッグサイトなんだよ」と話すのを聞いて、この名前でいけると確信しました。 都市博は中止となったけれど、私たちは、原っぱばかりの臨海副都心を、もう一度、祭りの大きな都にしよう、
という意気込みで、がんばっていました。 ささやかながら、その思い出を、小さな私のサイトに残させてもらいました。 |