なんたって

ビッグサイトの
味方です

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本稿を、東京国際展示場の運営に奔走した、
故 藤村 尋 氏に捧げます。

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私は、1994年から1996年まで、東京国際展示場(愛称:東京ビッグサイト)の運営担当でした。現在、ビッグサイトは、ゆりかもめと並んで、 臨海部での成功事例といわれていますが、当時、世界都市博の中止、臨海副都心への批判という逆風の中で、 予定より半年早く開業するという使命を背負ったこの展示場は、「平成の戦艦大和」「最新設備を備えた倉庫」などと、 行く末を危ぶむ声がたくさん寄せられたものです。
回顧録を残すにはまだ早いように思えますが、展示場の運営を軌道に乗せるまでに、多くの人びとの努力はあったことを知る者として、 その足跡をここに記してみたいと思います。
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来場へのアドバイス
所在地等 東京都江東区有明3−21−1
電話 03-5530-1111 fax.03-5530-1222
運営 株式会社 東京ビッグサイト(当時は、社団法人 東京国際見本市協会)
交通 およそ展示場で、アクセス経路の選択にこんなに悩むところはない。ぜいたくな悩みだ。
  1. ゆりかもめ
    新橋から来る場合は、ゆりかもめ国際展示場正門駅で下車(30分弱)。
    開通後しばらくは大混雑だったが、便が増え、切符売り場も拡張されたので、だいぶ楽になった。 それでも、近くのアミューズメント施設の開業で土日は混雑する。天気のいいときには景色が最高。
    海側の席を確保したい。
    新橋の新駅が完成し、JRからのアクセスも便利になった。
    汐留が開業し、大江戸線と連絡している。
    なお、ゆりかもめは、将来、豊洲までの延伸が計画されている。

  2. 臨海副都心線
    待ちに待った大崎直結=埼京線が乗り入れ、が実現した。
    これで、新宿方面からのアクセスが格段によくなった。
    埼京線直通で、新宿〜国際展示場駅の所要時間は、たったの24分。
    地下鉄有楽町線沿線及びJR京葉線沿線の人は、新木場に出て、臨海副都心線に乗り換え、 国際展示場駅から歩く方がいい。
    中央線沿線の人も、総武線に乗って市ヶ谷で有楽町線という手段がある。景色は楽しめないが、 有楽町から30分ほどで意外と近い。
    ただし、雨天の場合はお勧めできない。 歩く距離はたいしたことはないが、臨海は風が強いことが多く、傘をさして行くのはしんどい。

  3. 都営バス
    帰りは、都バスで浜松町に出る方法がある。こちらの方が新橋より飲み屋の空き席を見つけやすい。所要時間は鉄道と変わらない。だけど、レインボーブリッジあたりで事故があると、途中で動かなくなる。

  4. 水上バス
    ロマンチックムードを楽しむのだったら、船が会議棟脇から出ている。暗くなってからの便がお勧め。 竹芝桟橋から浜松町までは20分ほど歩くので、いっしょに長い時間歩きたい人と同行することがよろしい。


  5. 一般駐車場は東西の地下にあるが駐車可能台数は多くない。
    外部の臨時駐車場は大型展示会開催の場合のみ開く。「駐車料金が高い!(時間によらず1,500円)」とずいぶん怒鳴られた。 でも、会場運営側は、そんなに儲けてはいない。自動車関連の展示会があるときは、来場者もカーマニアが多く自分で運転してくる。混雑注意。

なお見本市協会では、1年間のビッグサイト入場者が交通機関に落とす経費を、約65億円と試算している(2000年の来場者817万人から)。

会場 会議棟真下が正面玄関になる。ここから東のホールまでの距離は、どの駅を降りてからも300m近くになる。 いずれにせよ会場付近に着いてからが歩く。したがって、待ち合わせ時間の設定には内部での移動時間を見積もる必要あり。
会議棟8階屋上は、雨天・強風の場合以外なら外に出られる。ここからの景色は絶品。例年、元旦には初日の出スポットになり賑わう(私は開業以来毎年、この屋上で初日の出を見ている)。
食堂は会場内に13カ所(会議棟3、中央5、東棟5)。事前に開催状況をチェックして、混雑時は会場から離れた食堂を探そう。意外とすいていたりする。 
施設内の食堂は開催状況によって開いたり開かなかったりなので、注意。
隣のファッションタウンにもしゃれた店がある。 有明ワシントンホテルには、何と料理の哲人の店が3軒も。どうしようもなく混んでる場合は、向かいの有明フロンティアビル内が、穴場中の穴場だ。
近くの施設 フジテレビはあまりにも有名。
近くの「青海」にアミューズメント施設「メガ・ウェブ」「ヴィーナスフォート」が開業した。 観覧車が有名。
2001年7月に日本科学未来館がオープン。隣には船の科学館が。こちらは老舗である。
テレコムセンターの隣には、現在、温泉を建設中。
フジテレビの並びにはセガの「ジョイポリス」があり、新たに「アクアシティ」というのも開業した。ゆりかもめの1日券で、けっこう遊べる。
世界都市博は中止したが、臨海部は、ホテルとテレビ局、ゲームセンターなど娯楽施設、イベント施設ばかりになってしまった。 「だったら、都市博をやっときゃよかったのに・・・」と関係者はぼやいている。
東京都も「水の科学館」というのを建てているので、忘れないでほしい。
遅れてきた新展示場計画
すいぶん以前から、老朽化した晴海見本市会場をどうするかが話題に上がっていました。 晴海会場は私と同じ年、もう立派な中年にならんとしていました。
その頃には、幕張メッセが完成します。 幕張ができればもう必要ないんじゃないかという雰囲気も一時、強かったように覚えています。

ところが、臨海副都心計画が大きくなり、さらに世界都市博の開催が打ち上げられるにつれ、 新展示場は、臨海の目玉として脚光を浴びることとなります。 そして、東京テレポートに陰りが見えるとなおさら、周囲の熱い期待が、この展示場に寄せられるようになります。

折しも東京都の税収入は絶好調です。 当然、「幕張に負けない施設をつくろう」ということになります。 しかし、東京国際展示場の建設計画の具体化は、臨海計画に一歩遅れをとってしまいました。

ビッグサイトに来ると、誰でも、展示ホールが東西に分かれていることに気がつくでしょう。 あれは、敷地中央に道路とゆりかもめの引き込み線が通っているからで、新しく1から作る展示場の左右泣き別れは、 いかにも計画のちぐはぐを暴露しています。
このへんのところについて、私たちは主催者の方々から、「いったい東京都は何を考えているのか」とさんざん非難された点です。

未だに尾を引く駐車場の問題もそうです。
臨海副都心は、理想的な街になることになっていました。だから、車で来る必要はない、ということになります。
ところが、展示場には搬入出のためのトラックが来ます。物販会があれば、やはり車にたくさんバーゲン品を詰めて帰る人もいます。 車の展示会だと、来場者も自分の車で来ます。ですから、駐車場も欠くことのできない施設なのです。
都庁の人間でありながら、私たちは展示場の立場で、都側とずいぶん激しいやりとりをしたものです。

運営計画は設計前に必要
もちろん、事前の打ち合わせはくりかえしおこなわれました。しかし、実際、やってみるとほんとにいろいろな問題が起こってくるんですよね。 こういった大規模施設を計画するときには、初期設計の段階で、運用スタッフとの、入念な意見調整が必要です。

ご存じの方も多いかと思いますが、ビッグサイトは世界都市博のメイン会場になる予定でした。だから、設計側も私たちも 「博覧会場」という面に関心が向きすぎていた傾向があったことは否定できません。「博覧会場」と「展示会場」とでは、 オペレーションの面ではまったく異なるものでした。これは、その後に思い知らされることになります。

一口にいって「博覧会場」は長期決戦型、「展示会場」は短期ローテーション型です。
世界都市博でいうと、会場側の準備期間は4か月、開催に7か月、搬出に1か月を予定していました。
ところが、普通の展示会だと、搬入に2〜3日、開催に3〜4日、最終日の深夜にはすっかり片づけがすむことも珍しくありません。 つごう5〜7日程度のローテーションで動いていきます。つまり、回転の良さをいかに確保するかが、施設の成功・不成功の鍵となるのです。
主催者も、一発勝負ですから、当然、開催前後は殺気立ってきます。なにせ、約2年間の準備期間が4日間の展示会に集約されるわけですから。 ここで会場側がへまをやるとそれが台無しになります。

運営サイドもたいへんです。主催者が夜8時に打ち合わせをやりたいといえば、当然、残ります。午前零時に搬入を始めたいというなら、 それを確認します。
「私の勤務時間は・・・」なんていう理屈は、まったく通用しません。

アクセスが展示場の成否を握る
展示場が成功するかどうかは、そこで商談が成立するかどうかにかかってきます。
だから、第一に展示場は、大きな商業圏の近くに位置することが必須条件です。
この点、ビッグサイトは恵まれていました。

さらに、多くの人に来てもらうには、アクセスの良さがものをいいます。
会場へのアクセスは、次のものがあります。

第一は、来場者のアクセス。
ビッグサイトには、臨海副都心線と“ゆりかもめ”の2つの交通機関が引かれました。 その後の車両の増強や、都バスなどの代替交通手段で、今はかなり改善されましたが、当座、来場者は“ゆりかもめ”に殺到してしまい、 新橋駅ではかなりの混乱が生じました。

初めて“ゆりかもめ”に乗ったとき、すでに私たちはこの新しい交通手段で、かなりの集客力があると実感しました。
展示場に人を寄せるにはワクワクとした気持ちにさせることが肝心です。 その意味で、“ゆりかもめ”は、ビッグサイトのための「ワクワク推進装置」となってくれました。

第二は、出展者のアクセスです。
出展者は会場へ車で乗り付けてきます。したがって、基幹となる道路が必要です。 ビッグサイトの場合、芝浦方面からレインボーブリッジを渡ってくる道と、 新木場方面から来る道が用意されました。 しかし、新木場方面の場合、東雲付近の交差点が混雑することが多く、当座、ずいぶんおしかりを受けました。 晴海方面からの新たなアクセス道路が心待ちにされるところです。

これらはいわゆる「外部導線」となります。外部から会場付近へのアクセスの良さは、ビッグサイトの大きな利点となっています。

しかし、問題は、会場付近、あるいは会場内部の導線です。
いかにして人とモノの流れをスムーズにさせるかに、私たちはたいへん苦労させられることとなりました。 ともかく会場は広く、しかも複雑。動きが滞れば、「使いにくい展示場」といわれかねない。

立ち上がり当初のそんな場面で、獅子奮迅の働きをしたのが、亡くなった藤村さんでした。大きな展示会が開催されるとき、 藤村さんは監視モニターの前でにらみをきかします。
「あそこの交差点でトラブルだっ」となると、もう藤村さんは、モニターの前にはいません。 どうしたものかと事務所中があたふたするころ、見ると、モニターの画面の中に、状況をさばいている藤村さんがいます。
そんな苦労がたたったのか、藤村さんは都庁へ帰るとまもなく健康を害され、42歳の若さで冥界の民となることになったのです。 
本稿は、日本最大規模の展示会場の運営が、小さな人間のふんばりによって支えられていたことを知ってもらいたくて、書いています。

もうひとつ感謝しなくてはならないのは、会場の総合案内についた女性のみなさんです。
同じ案内窓口といっても、ビッグサイトの場合、屋根はガラス張りですから、夏は直射日光にさらされます。 冬はすきま風に直撃されます。空調は十分効きません。
その日、その会場で何が行われているか事前に逐一知っておかなくては、 来場者の満足のいく返答ができないのですが、実際には十分な情報は入ってきません。
結果、怒鳴られます。
交通機関の時刻も案内します。周囲に新しいビルが立てば、それが何か知らなければなりません。 臨海部の他の施設や幕張メッセでの他の催し物と間違えてくる人もいますから、 その情報も事前に得ておく必要もあります。
ときに、総合案内は臨時の迷子センターにもなります。
おばあちゃんから、「かもメールの乗り場はどこですか」と聞かれれば、 にっこり笑って「かもメールは、ここを出て右です」と答えます。

こうした多くの人たちの努力によって、新しい展示場は何とか、立ち上げることができたわけです。

波を押さえるのが展示場経営の要
およそイベント会場というのは、開催日とそうでない日の落差がかなりあります。 東京ビッグサイトは施設的にはかなりゴージャスでしたから、維持管理費も並大抵のものではありません。 これを安定経営にもっていくにはどうしたらいいか、私たちは頭を悩ましました。

ハードの面でも、施設稼働の繁閑を調整するからくりがいろいろと仕組まれています。
まず、環境への配慮も考えて、地下に大きな雨水・中水の貯水槽があります。 これで、トイレの水などをまかなうのです。たくさんの来場者でごったがえすときは、 これでは足りませんから、上水で不足分を補います。
また、発電設備を備えています。日本の展示会というのは、実際に機械を動かしてデモをすることが好きなのですが、 工作機械展のように多量の電力を必要とするものもあれば、そうでもない展示会もあります。 ピーク時ように施設のキャパシティを設定したら、それこそ電気の料金がかさんでかないません。
そこで、通常は外部電力で、ピーク時には外部+施設内発電設備で、という方式がとられたのです。

しかし、なんといっても難しいのは、展示会のスケジュール調整です。
展示会の山は、春と秋にあります。 新製品の発売が、ボーナスを当て込んだ夏と冬にあるので、1シーズン前に展示会に出品し、様子を探るからです。
展示会の開催は、2月頃から増加し、3月・4月にひとつの山があり、5月の連休で途絶え、 連休があけるとビジネスショウのような大きな展示会でもう一山あります。
これが、7月後半から8月はぱったりなくなり、やがて9月・10月・11月の、一番の繁忙期を迎えます。 やがて、12月・1月の寂しい冬を迎えます。主として商談のための施設なので、 休みが多い時期は稼働しないのです。

ビッグサイトの成功・不成功は、単にその施設限りのものではありません。施設内外のレストランやホテル、 交通機関にとっても経営を左右させかねない、大きな要素となります。
この問題は、晴海見本市会場の時代からありました。 そこで、夏冬に入るイベントを確保することが、営業上の妙となります。
ビッグサイトでは、8月上旬と12月下旬に、こみっくまーけっと(通称「こみけ」) という自主出版系コミック雑誌の販売会があります。 これはすごい。それこそ日本中から人があつまります。こみけの来場者は実に統制がとれていて、 ゆりかもめで来る一般客と競合しないように交通機関として臨海副都心線を使います。 だから、鉄道にとってもいいお客となっています。
夏涸れ枯れ冬涸れの展示会場にとっては、ありがたいお客様です。

情報化社会の中の展示場
今のようにインターネットで情報が飛び交うようになると、商品の展示は不要になるのではないかという意見もあります。
しかし、展示場に来なければ、絶対にわからない情報が、ひとつだけあります。

それは、「人の流れ」です。

何年も続いたトレードショーにくるお客様は、展示会のリピーターです。
来る前から、見るモノをすでに決めてきます。そうでなければ、1ホール8000平米以上ある展示会場を何ホールも見て回ることなんかできません。
どんな混み合った展示会でも、誰も人の来ないブースはあります。その反面、蟻の巣のように人が群がっているブースもあります。 素人目には同じように見える歯車やドリル、パソコン、印刷機でも、妙に人が集まっている展示ブースがあります。
そこには3か月後の売れ筋商品が展示されているのです。

出展者が同業他社の商品の動きを知るのにも、展示会は便利です。自社のショールームにいたのでは、市場の動きは読めません。 ときに他流試合も必要です。
一説によると、展示会場には、何種類も名刺をもった人たちが、たくさん徘徊している、ともウワサされています。

混み合ったブースに紛れて、来場者と出展者の会話を聞いていると、それだけで、ずいぶんといろいろなことを学べます。 
そういった意味で、展示場は情報の宝庫なのです。

幕張、横浜・・・そして有明
東京ビッグサイト(江東区有明)は、開業前、よく幕張メッセ(海浜幕張)やパシフィコ横浜(みなとみらい)と、 比べられました。マスコミには「湾岸戦争」と書かれたりもしました。
確かにこの3会場はライバルです。しかし、マスコミがいうほどお互い仲が悪いわけではありません。
「共に同じ苦労をしている同士」という気持ちで、どこかしらつながっています。ときには、会場運営スタッフが集まって、一杯やったりもしました。

それぞれの施設は、それぞれに長所も短所もあります。ここでは「いいとこ」だけ、ふれておくことにしましょう。

幕張メッセの利点は、周囲にあれだけ多様なホテルをいくつも従えていることです。外国の要人を呼び、大々的なセレモニーをやるには、適しています。ディズニーランドが近いのも魅力です。
同時に、先端技術関係の展示会に強いようです。ビッグサイトは晴海の展示会場を引き継いでいるので、いきおい重厚長大産業が流れ込んできましたが、 そういった係わりのなかった幕張は、ハイテク製品関係にいち早くアプローチしました。
また、構造がシンプルなことから、一部ホールを長期間のイベントに共用させることができます。数週間に渡るスポーツの世界大会などにも、利用されます。
ビッグサイトは入れ替わり立ち替わりで生きていますので、1ホールならともかくも数ホールを長期間押さえるのは、逆に難しくなっています。

横浜の魅力は、何といっても、地域ブランドにあります。施設は、規模こそ東京・千葉に比べて小振りですが、 なかなか使いやすいと定評があります。
しかも、大規模な国際会議場が併設されています。したがって、会議を中心としたイベントには、たいへん便利な施設となっています。

ビッグサイトの長所は、やはり都心から近いこと。「午前中は仕事をして、午後は同僚と展示会へ」、 そんな気持ちでいつでも来られるところです(事実、有明に移転してから、午後の来場者がたいへん多くなりました)。

そんなことから、私は、ビッグサイトをネクタイに背広が似合う展示場、幕張を普段着が似合う展示場、 横浜をタキシードが似合う展示場と呼んでいました。

東京を祭りと彩りの都に
「東京ビッグサイト」という名前は、公募によってつけられました。 考案したのは、逗子に住む女性です。

通常、展示場は“site”です。
しかし、提案した方は、世界都市博からの連想で「祭都」 「彩都」から、この名前を思いついたということです。そして、これに将来を展望するという意味で“sight”という和製英語をあてはめました。

当初、東京国際展示場という正式名称に戻してもいいのでは、という意見がなかったわけではありません。 しかし、来場のお客様が携帯で「今、ビッグサイトなんだよ」と話すのを聞いて、この名前でいけると確信しました。

都市博は中止となったけれど、私たちは、原っぱばかりの臨海副都心を、もう一度、祭りの大きな都にしよう、 という意気込みで、がんばっていました。
数々のアミューズメント施設ができ、観覧車に1時間待ちの列ができる今日、当時の同僚たちと、有明の地で酌み交わす酒は格別の味がします。
残念なのは、一番、それを喜んでくれるはずの人が、そこ場にいないこと・・・。

ささやかながら、その思い出を、小さな私のサイトに残させてもらいました。