<補足説明>

規制強化が問題の拡大に繋がることもある
平成13年、国の会計検査院が、社会保険の徴収不足が、4年間で43億円にも上るという指摘を行いました。その指摘自体は間違っていません。
これを受けた厚生労働省は、社会保険事務所(当時は存在した)に、徴収率アップを行うよう、厳しい命令を出しました。これも間違っていません。
しかし、徴収額、徴収率を上げることは、そんなに簡単ではありませんでした。

ところで、額を上げるのに比べ、率を上げるのは比較的容易です。
率=分子÷分母、ですから、分子を増やすのが難しいのであれば、分母を減らせばいいことになります。

個人事業で被保険者が1人もいなくなった場合や、事業所を廃止・休止した場合など、適用事業所に該当しなくなったとき、会社は社会保険の「適用事業所全喪届」を提出します。(注:法人は従業員ゼロでも強制適用)

当時は不景気でした。
会社は社会保険の負担を減らしたい。そこで、従業員の独立を促します。それまで正規従業員だった者を個人事業主にすれば、社会保険の適用を免れる可能性が出ます。
これが、「全喪問題」です。

本来、そのような取扱いを抑制するのが、社会保険事務所の役割でした。しかし、全喪を受け入れれば、徴収率は上がります。
実際は、どうだったのかわかりませんが、「全喪するなら今がチャンス」というウワサがあっという間に広がりました。

従業員だって、人員整理でクビになって収入が途絶えるより、契約社員になって仕事を回してもらえる方がいいし、他社の仕事だって来るかもしれないのですから、これを受け入れます。
野火が広がるように、非正規従業員がどんどん増えていきました。

もっとも有効な選択が予期せぬ結果を招く、という事例です。
なお、現在は、日本年金機構が全喪企業の名簿をネットで公開することにより、不正行為を抑制しています。


「こうすれば人件費負担を減らせる」というノウハウ本が本屋に並びました。
「人件費は固定費ではなくて変動費なんだ」と、偉い学者さんや政府の関係者さんが、声高に主張しました。
今にして思えば、「人は石垣人は城」と言った昔の武将の方が、頭が良かったのではないかと思います。

これと同じような効果が、補助金にもあります。
非正規従業員の正規化に補助金が出ます。その政策に異議を唱える気はありません。
しかし、これを見た企業には、「本来なら正規で雇うはずの社員を、取りあえず非正規社員として雇い、補助金をもらって正規化した方が得」、と考える者もいるでしょう。
試用期間を設けても正規従業員を解雇することは容易ではありませんし、採用の際に人物を見極めることなど簡単にはできませんから、「(本当なら正社員で採用してもいいのだけど)取りあえず1年間は契約社員でね」っという会社も、中にはあるでしょう。
補助金がそういうことを奨励するものであっては、いけません。
幸いなことに、今は、めちゃくちゃな人手不足ですから、正社員にしないとなかなか定着してくれません。
ですので、「非正規社員なら」という作戦は、そうそう得策ではないのですが・・・。



いわゆるブラック企業は、「非正規社員」を雇わないという話もあります。だって、正規だろうと非正規だろうと、どんどん退職してしまうんで、わざわざ非正規にする必要が生じないのだそうです。

同じ平成13年、失業者の急増で雇用保険も見直しが求められていました。
そこで、退職事由によって給付日数に差が設けられるようになりました。
例えば40歳勤続20年の場合、それまでは退職事由によらず300日分の支給だったものが、自己都合だ180日分、会社都合だと330日分というように、差が出るようになったのです。それ自体は、間違ってはいません。
しかし、現実問題として、「自己都合」なのか「会社都合」なのか、なんてそんな明確に区別できません。「辞めろ」「辞めてやる」の言い争いってケースが多いのです。


よりによって、そんなときに私は労働相談担当になりました。いやはや・・・。

ところが、その後、雇用対策のための補助金が拡充されました。
そうすると会社は、「どんどん従業員を辞めさせて、同時に従業員をどんどん採用して補助金をもらった方が得」と考えます。
そういう行為を認めたのでは元も子もないので、国は、「会社都合で従業員を辞めさせたら補助金は出ない」というように制度を作ります。
そのことは間違っていません。

ですが、何故かちょうどその頃から、職場のいじめ問題がクローズアップされるようになりました。
不況ですから、生産性の低い従業員を厳しく指導する会社が増えても不思議はないのですが、「補助金をもらえなくなると困るので、従業員自ら退職するようにいじめを放置している」会社も、中にはあったでは・・・。
そんな疑念は、当時の私たちの頭から離れることはありませんでした。

ということで、新しい補助金制度を構築する場合には、「悪い人たちは、この制度をどう利用しようとするだろうか」という、腹黒検討が必要です。
そして、そうならない仕組みをできるだけ、制度の中に組み入れるのです。
運用で<根拠もない>毅然とした采配をしようとすれば、不要なトラブルの原因になったりしますから。
制度を作るときは“性悪説”に立て、制度を運用するときは“性善説”に立て、と言われます。


閉じる