しろうと考えではありますが・・・

文化技術学のススメ 

私の趣味といえば、プラモデル作り。といっても、ガンプラ中心ですが・・・。
それでもたまには、外国製のプラモも作ります。
外国製のプラモは、部品点数も少なく、いわゆる「ガワ=外側」の部品が大半で、出来上がりは箱からはみ出る大きさになります。
日本製のプラモは、ひじょうに部品点数が多くて、組み上げると見えなくなるような内部部品もぎっしり詰まっています。このため、完成品は買ってきたときの箱よりかなり小さくなります。
いかにも、擦り合わせを得意とする日本らしいですね。

そもそも、プラモデルは盆栽と相通じるところがあります。大きなものを、小さなスケールに凝縮させて、手元に置いて愛でる。――これは文化です。
ですから、ものづくりの文化研究というのも大切だと思うのです。


 かつてゼロ戦という飛行機がありまして、これはもうよくご存じのことだと思います。
大戦の初期の段階では、その抜群の旋回性能で、他国の戦闘機をはるかに凌駕していました。
アメリカ軍は、「ゼロファイターとドッグファイトになったら逃げてもよい」と、パイロットに指示したほどだといいます。
また、ゼロ戦は戦闘性能と同時に、抜群の航続距離を持っていました。
ちょっとでも遠くまで飛べるようにと、設計陣は、ありとあらゆるムダを削除しました。そして、軽量化して航続距離を伸ばしたのです。防御部分までも省いてしまいました。「だって、つえーんだから大丈夫だよ」ってノリだったのかもしれません。

ここからが本題です。
日本技術というのは、狭いところへ細かい部品を詰めてコンパクト化させるという部分に長けている、と私は考えています。これは文化的特性ではありませんでしょうか。
しかし、贅肉を切り捨てて余白を無くすことは、詰め込みすぎにもつながります。

 
話は変わりますが、かつてビデオの規格をめぐって「VHS対β」の争いというのがありました。
ソニーのホームページには、当時のβ開発者が松下電器(現、Panasonic)の松下幸之助社長を訪問した際の話が掲載されています。
松下の部屋には、すでに、カバーをはずされたVHS製品とソニーのベータ製品が並べられていました。
幸之助曰く「ベータも捨てがたい。でも、どう見ても日本ビクターのものの方が部品点数が少ない。私の所は 1000円でも100円でも安く作れるほうを採ります。」
(詳しくは→http://www.sony.co.jp/SonyInfo/CorporateInfo/History/SonyHistory/2-02.html)

 
ゼロ戦の話に戻ります。
「日本の零戦は、すべて現物合わせですり合わせていたから、ピストンを交換しようとしたらシリンダからコンロッドまでエンジン全体を変えないと飛ばなかったそうである。グラマンの戦闘機が、戦地に届いたピストンを交換するだけで再び飛べたのと大違いである。」(出所:続失敗百選 中尾政之 森北出版)

狭いところに擦り合わせ技術を駆使して細かい部品を詰め込むと、こういう問題が生じるということになります。
製品としては優れている、けれど商品としてはコスト高、そんな事象は、今の世の中でも起こっているのではないでしょうか。

ところで、優秀なゼロ戦に対して、アメリカ軍が採った戦法は「2対1」作戦です。1機がおとりになってゼロ戦の注意を引きつけ、2機目が背後から攻撃する。こうされると、さしものゼロ戦もかないません。

戦局が悪化しパイロットの不足が顕在化してくると、ゼロ戦も防御を強化するようになります。
しかし、そうすると重量も重くなります。当初の軽やかな旋回性能も削がれます。これを補うためにエンジンの強化が求められますが、狭いところにぱっつんぱっつんに部品を詰め込んでいるのですから、それも簡単にはいきません。

どこか、上の「VHS対β」と似ていませんか。

 
かつて本田技研では、自動車のエンジンを空冷式で続けるか、水冷式に変更するかで、意見が対立したことがありました。空冷式を推したのが、社長の本田宗一郎でした。
しかし、新しい排気ガス規制を乗り切るためには、水冷式に転換すべきだという意見が強くなります。
しぶる宗一郎に、副社長であり無二の友人だった藤沢武夫は言います。「私は技術屋ではないから、どっちが正しいかわからない。しかし、あなたはホンダの社長なのか、技術屋としてホンダにいるのか、訊きたい」(出所:企業家たちの挑戦 宮本又郎 中央公論新社)。
この諭しで、宗一郎は水冷式エンジンの研究着手を指示します。


最近、いろいろな会社の人たちと話をする機会があるのですが、技術者上がりの経営者さんの中には、「技術的に優れているものは必ず売れる」と信じている方が多いようです。
技術は大切です。ですが、技術と経営は違います。
文化の違いがわからないと、判断を誤ることになります。

そんな切り口で、企業のあり方を分析する学問があってもいいのではないか、と思うんですけど・・・。
いかがでしょう、文化技術学っていうのは。


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