要するに、フェイスブックの地縁版です。
とはいえ、これが作れるのは地方自治体だけ。
それに、たぶん、ここから収益は期待できません。
それでも実現できれば、結構おもしろいと思います。
では、説明を始めましょう。
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先般、私もフェイスブックを始めたのですが、フェイスブックでは自分の卒業した大学や高校を記載するところがあり、それをたどって、高校の同級生と一杯飲む機会を得ました。
お互い、いいオヤジになってしまいましたが、ITがそういうマッチング機能を持つことを実感しました。
今回提案する「地縁ブック」は、卒業した大学など個人の属性で人と人とを結びつけるフェイスブックの機能を転用して、地縁の共通性で人と人とを結びつけようとするものです。
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各区市町村が、「〇丁目」単位で記録を書き込むサイトを立ち上げます。
そこに思い出がある個人は、実名で、自分の思い出を書込みます。
私の例でいえば、こんな内容になります。
品川区西品川1丁目 |
ここにあるもの:品川区中央公園、品川区中小企業センター、三木保育園、 |
しながわ中央公園は、昔、三菱金属大井工場でした。“ダイアチタニット”と描かれたネオンサインが屋上にあって、ドットプリンターの針などを作っていたという話を聞きました。
近所には小さな町工場、というより工作所のような会社がたくさんあり、グラインダーの音がいつも聞こえていました。
公園の向かい側、今、ファミーユ下神明という大きなマンションになっているところに横町ががあり、私の生まれた二階建ての3軒長屋がそこありました。一番手前の家でした。向かい側は谷口製作所という空調設備を作る会社でした。
昭和39年10月、その横町から仰いだ青空に、自衛隊のジェット機がオリンピックの五輪の輪を描いたのを、今でも鮮明に覚えています。
横須賀線(当時は品鶴線)の線路脇に電力設備があり、その形状から、私たちは“かまぼこ石”と呼び、子供たちの集合場所となっていました。かまぼこ石に登って下を見ると、足がすくみました。その施設は今でも健在ですが、さすがに登って遊ぶ子供はいないようです。
小学生の頃は、チョウチョを捕まえに、捕虫網をもって品鶴線の線路の路肩を走り回っていましたが、今なら大問題になるところです。
菅家歯科医院は、昔は内科のお医者さんで、年寄りのいる我が家にもよく往診に来てくださいました。いかにもドクター然とした細身の先生でした。地域を回るのは、さぞたいへんだったろうと思います。ほんとうにありがたかったです。
祖父が癌で伏せっていた昭和40年頃、品川区役所前に横断歩道ができました。私は、「元気になったら、一度、横断歩道を渡ってみようね」と祖父に話していましたが、その機会はとうとう訪れませんでした。
(津田隆志) |
□これに関する投稿: |
このくらいのたわいもない思い出は、誰にでもありますよね。
この投稿に対し、誰かが追加投稿をすれば、IT上で、新しい仮想地縁が生まれます。
今住んでいる人にとっては単に物理的な“場所”であるところが、過去に住んでいた人にとっては、貴重な思い出の場だったりするのです。
そういう情報をやりとりすると、その地の愛着というものが伝承されます。
そこから、新しい人間関係が生まれるかも(?)しれません。
そんなわけで |
地縁book! |
フェイスブックのルールを転用するなら、実名での投稿が原則でしょう。
「〇〇ちゃんとファーストキッスは、この公園のどこそこです」と書けば、相手に迷惑がかかるかもしれません。
誰かの名前を記載するなら、ルールとして「イニシャル」にするか、削除が誰にでもできるような仕組みを作るかする必要があります。
都会では、人と人との結びつきが、ほんとうに希薄になっています。
事実、マンション生活を何年も続けていますが、自分の隣人が誰なのか、未だに知りません。
それでも、地域との関係は、気づかないうちに深まっています。
余談ながら、わたくし事なのですが・・・
10年ほど前まで、阿佐ヶ谷に住んでいました。都合11年、阿佐ヶ谷の住民でした。
駅と自宅との途中に「幸(こう)寿司」という寿司屋があって、よくそこに通っていました。
頑固親父風なご主人は地域の重鎮であり、選挙でもあると立会人にかり出されていました。しかしそのうち、白血病を患って入院し、一旦は店頭に立つこともありましたが、ついに帰らぬ人となりました。
私が練馬に転居したのは、そんな折でした。
練馬の駅から自宅に行く途中に「幸寿司」という寿司屋があって、今はそこが行きつけです。
練馬暮らしも、もう9年目になるのですが、最近、その寿司屋のご主人からこんな話を聞きました。
「ウチはもともと、高円寺の寿司屋だったのです。それがのれん分けして、阿佐ヶ谷と練馬に店を出したんです」
つまり、阿佐ヶ谷で11年間通った幸寿司と、練馬で9年間通った幸寿司は、偶然にも姉妹店だったのです。
都合20年目の今になって、初めて知りました。
こういう奇遇は、何かの縁がないとありえない話です。
だから、人と人との縁を結ぶフェイスブックと同じように、場所と場所との縁を結ぶ地縁ブックがあってもいいように思うのです。 |
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