しろうと考えではありますが・・・

人的“志”源という言葉を流行らせたい
「人材」という言葉があります。イメージ的には、徳とか人柄とかも含めた人の能力を総体として評価する言葉だと思います。
「彼は我が社の人材だ」と表現するとき、その彼は、仕事の成績だけではなく、あらゆる尺度からみて、高い評価を与えられる人物ということになります。

ところが、いつの間にか「人的資源」という言葉がこれに成り代わるようになりました。資源という言葉を付加すると、マンパワーあるいはコスト要素的な意味合いが加わります。
よく言う“費用対効果”といった臭いがします。「これからは、人的資源が重要だ」――という言い方からは、「少ない人数で、たくさんの収益をもたらしてくれる人」=「人的資源」という、ニュアンスを感じます。

企業は人材も人的資源も求めています。今の日本では、どうやら人材も人的資源も不足しているらしいのです。

しかし、どうでしょう。多くの学生がリクルート用の画一的なダークスーツに身を固めて、あちこちの企業に日参する姿は。
どうしてどうして、“人”はずいぶんと余っているようにも見えます。

今、私は仕事で、社会的課題解決を目指す企業を募っています。
最近は、「人材育成」を事業テーマとして応募してくる企業も増えています。

「人は石垣人は城」の戦国時代、寺子屋を開いて学問を普及した江戸時代、富国強兵を目指した明治時代なら、たしかに人材の育成は社会の課題だったことでしょう。生活に余裕が無いので、社会の側から手をさしのべなくてはならなかったのです。

しかし、社会資本が充実し、教育に「ゆとり」すら求められる今日の日本とすれば、人材育成は――仮に個々人の課題であり企業内の課題であるとしても――“社会的”課題ではなくなっているはずです。

にもかかわらず、人材育成が社会的課題として注目度を高めています。
 先般、ある団体のリーダーの方がこう言われていました。
「最近は、志をもった人間が少なくなった・・・」

私は、はたと気づいたのです。
人材にあって、人的資源に欠けるものとは、その「志」ではないかと。

ということで
人的“志”源という言葉を流行らせたい!  

私もそうですが、私たちの年代の男性は、名前に「志」の文字を含む人が多いようです。
おそらくは、クラーク博士の“Boys, be ambitious!(青年よ大志を抱け)”の影響でしょう。
彼がこの言葉を発したのは1877年と言われていますが、私たちの生まれた高度成長期は、戦後の疲弊から立ち上がらんとする社会的な熱気があり、北海道開拓時の言葉が時代の雰囲気にしっくり馴染んでいたものと思われます。

この言葉には続きがあって、お金や名声を求めるのではなく、“Be ambitious for the attainment of all that a man ought to be.(人間として当然そなえていなければならぬあらゆることを成し遂げるために大志をもて。)”と結ばれているそうです。

前述のリーダーさんが言わんとしたのは、「<人間として当然成し遂げるべきことは何か>という自覚を持つ人が少なくなった」というぼやきだと、私は勝手に解釈しています。

企業の本分は利益追求ですから、<人的資源=モノ言わぬ、ひたすらよく働く社員>、であれば十分かもしれません。
一方で、<何を考えているかわからない、指示待ち族>が増えたと嘆きを聞きます。

今は就職がきびしい。だから、学生は「取りあえず採用してくれる会社を探し、取りあえず就職する」。しかし、「取りあえず」だから、心変わりしたらあっさり辞めていく。
お利口だから会社に対してあえてモノを言わない。マニュアルがあればそのとおり働く。上司が指示すれば、そのとおり動く。
マニュアルや指示がなければ、何もしない。そのかわり、「匿名性が守られる」と早合点すると、このときとばかり会社批判をする。
欲しいモノは何でも手に入る子供時代(親が買ってくれなくても、おじいちゃん、おばあちゃんにネダればいいので・・・)を過ごしたから、自分の好きなことは進んでやるが、やりたくないことを命じられると病気になってしまう。

たぶん、企業側からすれば、そういう社員を「志を持たぬ者」と評価するのでしょう。
しかし、<人件費=コスト>を強く意識しすぎて、志を忘れた人間ばかりを生む風潮を作りだしたのも、他ならぬ企業社会ではありますまいか。
30年前の企業組織だったら、「今度来た〇〇君だけど、どういう風に育てていけばいいと思うか?」という話題が、飲み屋の席を賑わせていたはずです。終身雇用を前提としていたなら、人材育成は企業の課題として外せません。今は、そんな話は出ない(というより、飲み会さえしない)。そういうことは、社会がやればいいと割り切っている。

企業は、費用対効果のみを求めているので、わずかな在職期間中で、社員から搾り取れるだけのパワーを搾り取る。生き残った社員が会社を支えていけばいい、と考える。そして、そういうサバイバルレースで勝ち残った社員だから、もっとひどい扱いを後進に対して行う。

そんなことを繰り返していると社会全体が疲弊してくるので、人材育成が社会的課題になってしまうのではないでしょうか。

そうだからこそ、「我が社が求めているのは人的資源ではなく、人的“志”源だ」「人間として当然成し遂げるべきことを成す人になれ」と、高らかに宣言する社長さんが出てほしいのです。

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