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私たちが子供の頃は、冬場になると、こたつに入ってミカンを食べながらテレビというのが、お定まりの生活習慣でした。
八百屋の軒先ばかりでなく、リヤカーでミカンを売っているオジサンなんかいて、甘そうなのを選りすぐって家に買って帰った記憶があります。
そんなとき、私のおじいちゃんが教えてくれました。
「いいか、ミカンを選ぶときは大きめでデコボコしたのを選ぶんだよ。軽く握ってみて、中に空洞があるやつが甘いんだ。」
たしかに、そうやって選んだミカンは、ほかのよりも甘かったような気がします。
おじいちゃんは間もなく癌でこの世を去りましたが、その言葉が本当だったのかどうか、できれば、今もう一度、確かめてみたい。
しかし悲しいことに、もうそれができないのです。
なぜなら、デコボコしたミカンは、もう出回っていないからです。
だから、お願い。 |
デコボコしたミカンを復活させたい! |
「ほかにもっと美味しい品種ができたから、デコボコしたミカンが売られなくなった」――そうは考えにくいです。
デコボコしたミカンは、加工場のベルトコンベアーの上で、自動的に洗浄され選別され袋詰めされるのには不都合です。それが売られなくなった理由だと思います。
傷みやすい商品を売るには、一つ一つ大切に扱われなくてはなりません。
でも、それでは効率が悪すぎます。
しかし、それって何かと似ていませんか。
昭和の終わり頃、私は人事係にいましたが、その頃は、職員ひとりひとりがユニークな存在として扱われていました。
新採が来れば、その人をどういう風に育成していけばいいのか、関係者は心を砕いていました。「上司には誰をつけ、どんな仕事をやらせ、10年後、20年後は、どんな場面で活躍してもらおうか」という思いで接していました。
しかし、今では世の中が変わって、人がコンピュータの中のデータとして管理されるようになっています。
民間企業ではいち早く非正規雇用が組み込まれ、費用対効果の名の下に、一山いくらの従業員管理が普及しました。どんどん採用、どんどん退職。その方が効率がいいからです。
こうした社会では、デコボコのミカンは活かせません。
デコボコのミカンは傷みやすいのです。だから、人の口に届く前に、生ゴミとして捨てられます。
しかし、ひょっとしたら、とても甘い、おいしいミカンになっていたかもしれないのです。
どうです。
もういっぺん、デコボコしたミカンを食べてみたいと思いませんか? |
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