わたしが軽く会釈すると、船長はことばをつづけた。
「パリ子午線で東経137度15分、北緯30度7分、すなわち日本から約三百海里の位置です。現在、11月8日正午から海底旅行を始めます」
「神の加護がありますように!」とわたしも言った。
この引用は、ジュール・ヴェルヌの海底二万里(東京創元社 荒川浩充訳)からのものです。
上記の「東経137度15分、北緯30度7分」は、この位置になる。
お詫びと訂正:パリ子午線は東経に2度20分ずれているので補正すると、その場所は東京と小笠原の中間あたりになります。
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ヴェルヌの海底二万里を知っている人は多いと思いますが、その出発点が「日本」であることは、ほとんど知られていません。
そんなわけで、 |
日本に海底二万里の碑を建てたい!
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ジュール・ヴェルヌが海底二万里を世に出したのは、1870年。日本では明治2年です。
おそらく当時のフランス人で、極東の小国である「日本」に興味を持った人は少なかったことでしょう。
ヴェルヌが、どうして日本を出発点にしたのかは知るよしもありません。地図を広げて「端っこのところから始めよう」と考えたのかもしれません。でも、そんなことはどうだっていいのです。
ともかくも、七つの海を闊歩していたノーチラス号が欧米の艦船を次々と沈め、“海の怪物”と怖れられていたのは、まさしく日本近海だったことになるのです。
せめて「海底二万里の出発地」として記念碑くらい、あってもいいじゃないかと思います。
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Wikipediaによると「ヴェルヌの日本への紹介は、1878年(明治11年)、川島忠之助が『八十日間世界一周』の前編を翻訳刊行したのが最初である」とあります。
その明治時代の1895年(明治28年)、早稲田大学の学生だった押川春浪という青年が『海島冒険奇譚 海底軍艦』という小説を出し、人気作家となります。おそらくは、ヴェルヌの海底二万里をリスペクトして書かれたものだと思います。
文語調の難しい小説ですが、この中に出てくる「海底軍艦」というのが、“電光艇”と称する潜水艦です。
後に、押川は日本での「ベースボール」の普及に大きく貢献するのですが、電光艇があったから、日本に野球が流行ったと言ったら、言い過ぎでしょうか?
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ディズニーは、1954年に海底二万哩を映画化します。私は1965年(昭和40年)に見ました。
まだ9歳だったので、字幕もろくに読めず、話のスジもよくわかりませんでしたが、ラストシーンで波間に沈んでいくノーチラス号の姿に、妙な感動を覚えました。
このノーチラス号のデザインは実に秀逸です。
今でも舞浜のディズニーシーに行くと、会えるらしいです。
余談ですが、同じ1954年に、アメリカでは本物の原子力潜水艦ノーチラス号が進水し、そのプラモデルが日本初のプラモとして1958年(昭和33年)発売されています。
ノーチラス号は我が国の産業発展に貢献していると言ったら、言い過ぎでしょうか?
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さて、押川の海底軍艦は、1963年(昭和38年)に特撮映画として蘇ります。
といっても、タイトルだけで内容はまったく踏襲されていません。短期間でやっつけで作った作品とはとても思えない出来映え。特撮は、もちろん円谷英二。
やっぱ、特撮メカといえばドリルです。しかも、この海底軍艦は“飛びます”。
名前は轟天号(ごうてんごう)。その後も何度か銀幕に登場し、再度の復活を心待ちにしている人は少なくありません。
まさに日本が高度成長期の頂点に達していた時代。轟天号がその象徴だと言ったら、言い過ぎでしょうか?
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この轟天号の影響を強く受けていると言われるのが、宇宙戦艦ヤマトでして、ドックからの発進シーンなどは、海底軍艦を彷彿とさせます。
ヤマトは、何をやるにしても、段取りを踏んで行います。
艦の操縦を操舵手から砲撃手へ交代→エネルギーの伝導をエンジンから波動砲へ切替→ターゲットスコープオープン→電影クロスゲージ明度調整→発射角誤差修正→波動砲薬室内圧力上昇→セーフティロック解除→各員対ショック・対閃光防護・・・という段取りを踏まないと、波動砲の発射はできません。
スイッチ一つで何でも済んでしまうという、味気なさは避けられています。
これは、前出の海底軍艦からの伝統ですが、そのアナログさが、なんともいい味になっています。
ヤマトが日本の摺り合わせ技術の到達点だと言ったら、言い過ぎでしょうか?
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そして、最後にまたノーチラス号。
エヴァンゲリオンで後日有名になる庵野監督が作った「ふしぎの海のナディア」に、ノーチラス号という潜水艦が登場します。
庵野監督は東宝の特撮へ強いリスペクトを持っており、『緯度0大作戦』に登場したアルファ号という潜水艦をモデルに、このノーチラス号を作りました。
ちなみに、この「〜ナディア」は、その後ディズニーの作品「アトランティス」にも影響(?)を与えたという物議を起こしています。だとすれば、「ライオン・キング」に続く快挙(?)となります。
ノーチラス号が日本のアニメ産業のレベルの高さを世界に示したと言ったら、言い過ぎでしょうか?
とまぁ、ただのうんちくとなってしまいましたが、これだけの影響を与えた海底二万里の出発点が、私たちのすぐそばにあります。
せめて、記念碑くらいあっても、いいじゃありませんかね。
※注:著作権上の問題があるので、掲載の絵柄は私がエクセルの「図」で手製したものです、ホンモノはもっとかっこいいです。 |