しろうと考えではありますが・・・

渋沢栄一で大河ドラマをつくりたい
澁澤榮一をご存じですか。

ほとんどの人は知らないでしょうね。
私も、商工会議所との仕事をしなかったなら、この人物のことを知ることはなかったと思います。
仮にこの人の名前を知っている人がいたとしても、「明治時代の大実業家」であるくらいの知識しか持っていないんじゃないでしょうか。
「第一銀行の初代頭取」であることを知っているならば、かなり詳しい人です(実は初代ではないのですが・・・)。
王子の飛鳥山の記念館に行ったことがあるなら、かなりの通だと言えます。

ところで、私はこの人とよく似た人生を歩んだ人物を一人知っています。
昭和の銀幕で活躍した、植木等扮する「無責任男=タイラヒトシ」です。植木等の無責任物語は、ハッピーエンドで終わります。テキトーにやっているうちに、すべてがうまい方に転じるストーリーです。

と、聞くと、たぶん多くの渋沢ファンは絶句するでしょう。
もちろん渋沢栄一がそういう無責任な御仁だといっているわけではありません。
しかし、彼の人生を見てみると、どうしようもなく<ピンチ>だったことが、気がついてみると<ラッキー>に転じている。そんなことの連続であることがわかります。
こんな具合です。
  ラッキー ピ〜ンチ 
0歳-16歳 (1)裕福な豪農の家に生まれる。農民なのに帯刀も許される。 (2)武士のお役人のイジメにあう。トラウマになり、根に持つ。
23歳 (3)藩を転覆させるためのクーデターに加わる。 (4)クーデター計画が、直前に身内に知れ、説得されて思いとどまる。
23歳-24歳 (5)親から大金をもらい、関西方面に逃れる。当時の経済の中心地であった関西で事業経営を学ぶ。 (6)当座の資金が底をつく。そこで就職したのが、一橋徳川家(自分が転覆させようとしていたのに・・・)。だが、徳川の権勢も落ち目。しかも、徳川慶喜の地位は低い。
26歳 (7)江戸末期のバタバタで、徳川慶喜が将軍に就任し、自分も引き立てられる。 (8)江戸幕府も命運つきそうになっている。
27歳 (9)慶喜から、パリの万国博覧会のために要人を送るので、鞄持ちで同行しろと命じられる。 (10)パリに行っている間に徳川幕府が大政奉還。その争いの中で、自分の縁者が多数死ぬ。
28歳 (11)トホホの体でパリから帰るが、海外での知識を買われ、明治政府に就職する。気がつくと大蔵省幹部に。「士農工商」の身分制度の撤廃を起案。 (12)大久保利通と喧嘩する。理由は、渋沢が予算管理システムを導入しようとしたため。大久保は、諸外国の脅威にさらされているので軍事費優先を主張した。結果、渋沢は明治政府を辞職する。
33歳-38歳 (12)辞職のおり、政府に対して「意見書」を提出する。内部文書だったはずのこの意見書が、なぜか新聞に掲載され、世間からやんやの喝采を受ける。気がつけば銀行の頭取になっている。 (13)伊藤博文から、外交政策の見栄えのために、東京商工会議所の設立を求められる。
35歳-69歳 (14)経済界との関係が深まり、とてもとてもたくさんの会社の設立し、あるいは経営参加を求められる。その多くが大企業に成長する。 (15)国際的に戦争の機運が高まる。シベリア出兵に反対表明、労働組合との親交などで白眼視される面も。
72歳-90歳 (16)民間外交で平和維持に貢献。日米の人形交換などを行う。フランスから勲章を受ける。 (17)逝去(享年91歳)。
    死後、自宅が空襲で焼ける。
  飛鳥山に記念館が建つ。  
  
 この年表をジグザグに読んでみると、渋沢は、自分の経験したピンチを糧にして、次の成功に活かしていることがわかります。というか、ピンチを経験したゆえに、次のチャンスが回ってきたというのが、渋沢の人生だったように見えます。
私が、「渋沢栄一で大河ドラマを作りたい」という意図はそこです。

ここしばらく、日本はいろいろ不幸に見舞われてきました。ともすれば、「このままもう沈む一方なのでは・・・」とも思いがちにもなります。
そんなときだからこそ、人々を元気にする物語がほしい。だから、ピンチが魔法のようにチャンスに変わっていく話が、一つくらいあってもいいんじゃないかと思うんですよね。
無責任かもしれませんけど。

ということで
渋沢栄一で大河ドラマを作りたい!  
私が作りたいストーリーはこんな話です。
初回、幽霊になった渋沢が、地上界を眺めています。すると、王子の邸宅が、第2次大戦の空襲で焼けているのが見えます。
渋沢:「こんなことにならないように、いろいろ努力したのだけれど、力足りなかったか・・・」
隣にいる現代風なビジネスマン(実は神様)が答えていいます。
ビジネスマン:「でも、あなたはとても楽しい人生を過ごせた。それでいいではないですか」
渋沢:「そう。確かに、楽しい・・・、ま、退屈しない人生ではあったがなぁ。」
※そこから、渋沢の回顧録が始まります。


最終回、幽霊である渋沢と、神様であるビジネスマンは、飛鳥山の青淵文庫(渋沢の書斎)で、話を続けています。
ビジネスマン:「あなたの家は空襲で焼かれたけれど、この書斎は残った。すばらしいことではないですか。」
渋沢:「確かに幸運だった。しかし、本当に大切なのは、何を残したかではなく、何をやろうとしているかなのだよ。」
ビジネスマン:「しかし、あなたもよくご存じのように、人間は過ちをします。その結果、あなたの邸宅も灰燼に帰した。そうではないですか。」
渋沢:「大事なことは、とにかく前に進むことじゃ。間違ったと思ったら、正しいと思う方に向きを変えればいい。それでもって、また間違っていたならば、もう一度、正しい方向に向けばいい。それが、いちばん大切なことなのだよ・・・。」
〔参考〕
渋沢栄一近代の創造 山本七平 祥伝社
渋沢栄一を歩く 田澤拓也 小学館

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