私、ただの平凡な元・東京都職員です・・・。
都庁に36年間勤務した後、55歳で退職し、その後、東京都中小企業振興公社で非常勤を6年やり、2018年3月に退職してからは引きこもり老人をやっています。
生まれは1956年、都庁に採用されたのは1975年、18歳のときで、美濃部革新都政の末期のことです。
渋谷の事務所に配属されたとき「ここに新採が来るのは11年ぶりだ」と言われました。
それまで高度成長に押し上げられてきた日本経済は、1973年の円の変動相場制移行で輸出に急ブレーキがかかり、悪化していました。 税収に左右される都財政はその影響をもろに受けました。 だから、新しい仕事が生まれません。「もうすぐ終わる仕事」ばかり、新採の私には与えられました。 「何とか、なくならない仕事がしたい」ということばかり、私は考えていました。
その後長い間、鈴木都政では「財政再建計画」の名の下、職員数・組織・事業の縮小が続いていたのですが、 突然のバブル景気となり、都庁移転や大規模施設建設(ハコ物行政と呼ばれました)が急に進むことになります。
インターネットという言葉に初めて接したのは、1995年、東京ビッグサイトの立ち上げをしていた頃です。 展示会場は、どこもかしこも『インターネット』という言葉があふれていました。 当時はまだ、自分がホームページを持つことなど、思いもしませんでしたが、「新しい時代を征するのはインターネットというものなんだな」とは強く感じました。
ところが、出向先から都庁に戻ると、まだそういうものに興味を持つ人はいませんでした。
都庁では、リストラが長期間続いていたため「スクラップなくしてビルドなし」という風潮が蔓延していたのです。
そこで私が担当したのは「OA推進(まだITという言葉はなかった)」、しかし、その実態はリストラ事務局です。
このとき、私は最初に採用された渋谷の事務所を廃止する手伝いをすることになりました。
「現実の事務所は廃止になる。だったら、ヴァーチャルな事務所をネットの中に構築できないか・・・」と私は考えました。
時代はまもなくミレニアムを迎えようとしていた頃です。
しかし、今度はバブル崩壊で金欠状態。「インターネットなんかに手を出したら、また、事務所が潰される」という雰囲気があり、
しかも、ワケもわからないホームページなんてもの、予算要求資料も、ど~やって作っていいか、わからない状況にありました。
ところが、ハイテクに強い人に聞くと「ホームページなんて、自分で作ってしまえばタダだ」といいます。
「いっちょ勉強がてらやってみるか」そんな成り行きで、このtsudax99を作り始めました。ちなみに、上↑の標題が私のモットーなもんですから。
「99」と付けたのは1999年だったからですが、好きな漫画家の松本零士先生が「完成の一歩手前という意味で9という数字を使う」と
言われていたことを思い出したからでもあります。
独身なので、毎晩つき合ってくれるのはパソコンと、ペットの亀だけです。
鈍足でも、地道に前に進もうという意味で、シンボルマークもカメにしました。
インターネットは、
(1)情報の伝達スピードが速い
(2)情報の伝達範囲が広範囲に及ぶ
という特色を持っており、このことは誰でも知っていますが、
サイトが放置されると、いつまで経っても古い情報が残っているという欠点があります。
しかしこれは→(3)情報のストック能力がある→(4)個人でちびちびやっていても、そのうち大きな情報量になる、という利点でもあったわけです。
当時このことに気づいた人は、少ないと思います(ちょっと自慢)。
コンテンツについてまずは悩みました。無趣味なもんですから。
あれこれ考えた末、かつて、東京ビッグサイトの運営に携わった者としては、 あの超大規模、ハイテク装備の展示場が、ほんとうは裏方でばたばた走り回った人たちの力に支えられて なんとかやってきている、ということを知ってほしいと思い、 「なんたってビッグサイトの味方です」を作成しました。
その後、労働相談の担当となったことを契機に、労働関係の資料を中心としたサイトを作りました。個人的な資料集として、
あちこちからのパクって作ったものですが、自分だけで使うにはあまりにももったいなく、勝手ながら公開させてもらいました。
反響も大きく、アクセスする人が増え、年間2万件を越えるカウントを数えるようになりました。しかし、量が増えるにつれ、内容の更新も個人にとっては負担が大きくなり、
反面、嫌がらせのメールが届いたり、ニセサイトができたりして、いろいろと不都合も出てきました。
正直なところ、土日や個人の時間を投入して維持するのはしんどいです。
そこで、転勤を機会に、労働相談の部分については、閉鎖することにしました。
その後、中小企業の経営支援の仕事に配属され、経営関係のページを加えました。
そして、労働と経営という、性格の異なった分野の仕事をさせてもらったことで、「働くということは、いったい何なのか?」という問題に関心が移りました。
最近の都行政は針がすっかり逆の方に振れてしまって、「無理矢理にでも何か新しいものを考え出さなければいけない」という空気で息苦しくなっています。
私から見れば、地に足がついていないようにも見えます。
そういった考察を付け加えるうちに、“ぼちぼち公務員生活も潮時か・・・”と考えるようになって、退職することになったのです。
こうした経過から、このサイトは自分の公務員生活をトレースする回顧録のような性格をもっています。
だったら、いっそのこと自分の年代史も入れようと思い、これまでの人生の記録も加えました。
ま、そんなわけで、都庁は退職したものの、今後も私は、ゆっくりと前進を続けていきたいと考えています。 最近はボケ対策として、cssを使ったページへの改訂を進めています。