イエス・キリストと、仮想の幼馴染ミライ君の、お話しです。
イエス キリストの出現で、予言成就。
しかし、ユダヤに予言成就を望む民衆がいなかった。
『Chaos Crisis』 混沌の危機を恐れるユダヤ社会の物語。
一応、エヴァ学園演劇物にしていますが、オリジナル小説です。
50万HIT記念作品です。
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ローマ帝国に国土が支配され。
ユダヤの王に民族が支配され。
律法に心と生活が支配される。
二重三重に奪われ、貧困の中で精神が歪められたユダヤの世界、
矛盾と混沌から生み出される利己主義が重苦しく圧し掛かり、
抑圧された貧しい階層を押し潰そうとしていた。
人々の呻きは、荒野に掠れ消え去っていく。
エルサレムの神殿
神学者たちに囲まれた少年の前に母が現れる。
「・・・なぜ、こんなことをしてくれたのです」
「御覧なさい。お父さんも、わたしも、心配して捜していたのです」
「どうして、わたしを捜したのです?」
「わたしが、父の家にいるのは、当たり前だということを知らなかったのですか?」
日暮れ時
ナザレの貧しい村
少年は、しげしげと石を見ている。
「・・・やあ、イエス君」
「ミライ君」
「どうしたんだい。君のお父さんと、お母さんは、怒っていたぞ」
「それは、僕にかい?」
「それとも、相手に?」
「・・・んん・・・どっちも・・・」
「二人とも、一緒にいないからね」
「相手のところにいると思って、僕がいないのに気付かなかったみたいだ」
「ふっ 丸一日もかい」
「・・・・・・」 頷く
「相変わらずだな」
少年たちの疲れ切った二つ影が荒野に落ち、
ぼんやりと沈みいく、夕陽を見つめる。
己に残された時が日の入りという形で奪われていく。
自分自身に生まれた価値があるのかと、沈み行く陽に問うても返って来ない。
消えるまで足掻き続ける。
少し離れた場所の小さな家。
おばさんが異邦人から金を受け取ると男を家に入れる。
中にいるのは、年若い娘。
家の中から、叫び声、暴れる物音、嫌がる声、泣き声が聞こえる、
母親は、外で、お金を握って、ほくそえんでいる。
貧しさのあまり、母親が、娘の性を金で売り渡した。
倫理観も消えている。
この世界、母と娘だけの家が生きていくのは辛く。
落穂拾いは律法で認められた権利でも、それだけでは生きていけない。
そして、姦淫は、律法で石打の刑と定められている。
しかし、母親が働いても生きていけず、売れないのであれば、生きて行くため、
娘を売るしかなかった。
荒野
裕福な者。違う風景から来た者は、もう少し、感慨深く見えるだろう。
地平線の向こうまで続く荒野は、絶望と、ささくれ立った気持ちしか湧いてこない。
「・・・今日も、ケンカしていたね。イエス君」
イエスの父ヨセフと母マリアは、憎み合い。
その余波は、子供たちに向けられる。
特に長男のイエスは、父親のいない私生児と噂され。
年齢からすると過酷とも言える大工仕事まで、させられる。
ユダヤで、もっとも蔑まれる仕事であり、
まっとうな人間は、誰も、その仕事に付きたくないと思う。
学がなく、誰も取り立ててくれる者がいなければ、そういう仕事しかない。
イエスは、いつも、我慢している。
「・・・イエス君。ご飯。食べた?」
首を振る。
まともに食べさせてもらっていない。
別に珍しいことではない。
幼馴染のミライも食べ物がなく、食べられないことが多い。
仮に食べ物があっても。食べられる者は、まず働き手。
扶養家族は、弱い者から間引きされていく。
自然といえば自然で、
律法学者が綺麗事を言っても変わらない。
どうせ、文字の読める律法学者、パリサイ人が都合のいいように決めたこと。
希望を持たせる事をいい、
虐げられた者たちを期待させ、不快にさせ、失望させ、絶望に追い込む。
強い者は、さらに強くなり。富んでいる者は、さらに富んでいる。
弱い者は、さらに弱められ。貧しい者は、さらに貧しくなっていく。
生きていこうと思えば、騙すこと、盗むこと、奪うこと、覚えないといけない。
そういう世界。
「・・・何をしているのイエス君」
「・・・なにも・・・・」
少し、変わった少年は、沈む夕陽を見詰める。
境遇は似ている。
しかし、イエス君の方が、悲惨だった。
失うものは、何もない・・・・・
なぜ、ここにいるかといえば二重の意味で、
少なくとも、自分は、この村で、一番、不幸でないことを感じられる。
もう一つ、少年から、絶望、以外のモノを感じられ
それが “何か” を知りたい。
「・・・おなか、空いたな」
たぶん、今日も、食べられないだろう。
一日一食は、当たり前。
二日食べられなくても珍しくない。
「・・・ミライ君・・・」
イエス君は、そういうと上等なパンを目の前に出した。
石しか、持っていなかったはず・・・
「・・・い、いいの?」
頷くイエス。
彼は、パンを持っておらず。
持っているパンを、そのままを渡す。
出来立てのパンの温かみと、かぐわしい香り、柔らかさが伝わる。
この貧しい村では、持っている者を殺しても食べたいと思えるパンだ。
どこで盗んできたのか、聞かないのが礼儀で普通だが聞きたくなる。
「・・・・イ、イエス君も、食べろよ」
さすがに一人で食べるのは、気が退ける。少し割って、イエスに渡す。
イエスは、小さい方を嬉しそうに食べる。
生涯、こういったパンには、お目にかかれない。
まして、食べることさえありえない、王族が食べるパンだ。
腹の中が狂喜と歓喜で満たされ、風景も違って見えてくる。
細胞の一つ一つが生きている喜びに溢れ。
沈んでいく夕日の美しさが増していく。
いつの間にか、涙ぐんでいるのがわかる。
人の価値は、ないも同然の世界。
まして、理想とすべき人格も、尊ぶべき人格も、
誇るべき人格もない世界で、何かが変わる。
陽は、いつの間にか沈み。
暗闇が赤みがかった大地を押し潰し、夜空を広げていく。
腹が満たされたときに見る夜空は、煌めき方が、違って見える。
昼間は暑く、労働は厳しい。
熱砂と砂塵が皮膚を焼こうとしている。
木陰で休み、水を飲みたい渇望が悲鳴を上げる。
大工の仕事は、もっとも過酷だった。
「・・・おい〜! イエス。さっさと、その材木をもってこい!」
「はい」
大きく重たい材木を一人で運ぶ姿は、珍しくない。
ごく一部の人間だけが教育を受けられる。
そして、ユダヤの教育は、ユダヤ教、律法しかない。
知性も、品格もなく、己の欲望のまま、強い者に媚びへつらい。
その日、一日の糧を求めて彷徨し生きていく。
自然と、自分と他者を比較し
“多い” “少ない” “大きい” “小さい” を習得していく。
妬み、嫉妬が本能のまま剥き出され。
飢え、病が、体と命を削っていく。
嘘。盗み。奪い。殺すは、影の様に寄り添い。
大工の親方は、騙し、くすね。
搾取して、うわまえを撥ねる。
「・・・今日は、家主に不幸があってな、これだけだ」
「・・・・・」
「悪く、思わんでくれ」
力で押さえ込まれ。逆らえば、骨身に叩き込まれる。
弱者の喜怒哀楽は寿命を縮め、
虐げられた者たちの怒気、悲しみは、寿命を縮めると本能で直感させられる。
表情を殺し、感情を殺し、身も、心も、すり減らし、
封建社会で生きていく処世術を自然に身に着ける。
逆らえば、死、あるのみ。
このユダヤがローマに対して、そうであり。
ローマ市民でない者は、人間ではなく。
豊かな者以外は省みられることもない。
ローマの税を取り立てる収税人は、ユダヤ人に忌み嫌われても楽な生活をしている。
「・・・なあ、イエス君。谷に行かないか?」
「・・・」 頷く
谷は、捨てられた者たちが住む世界だった。
この病気にかかると死刑を宣告されたも同じ。
手や足の感覚がなくなっていく。手や足に怪我をしても気付かない。
手遅れになれば、傷口から手足が腐ってくる。
手や足が萎縮、硬直して、変形し、まともに歩けず。
片手で物を持てなくなっていく。
まつ毛や眉毛が抜け、顔中が出来物で醜くなり、
獅子面と呼ばれるようになる。
視力を失い。鼻水が止め処もなく流れ、手足が欠損していく。
ライ病自体で死ぬより、併発した病で絶望しながら死んでいく。
そして、恐ろしいこの病は、感染するため、誰も寄り付かない。
↑ ライ病の症状を読みたくない人は、無視してください。
彼らの存在は、恐れられ、
不信心者への神の業だ、と忌み嫌われる、
発病すると生き地獄であり、絶望のため自殺する者が現れる。
しかし、ユダヤ教は、地獄へ行くと自殺を禁じ、
死と死後の選択さえ二重に苦しめる。
一方、他者は、自分が一番不幸ではないと、心を慰めてしまう時がある。
しかし、明日は、我が身かもしれない不安と恐れ。
ユダヤは、全知全能の排他的な唯一神を信じていながら、
世界(ローマ)で、もっとも、卑しい辺境民族と見られる。
生きていく事が生皮で絞められる様に辛く、
悲しいだけなら神などいない。
早く寿命を全うし、楽になりたいと思うこともある。
ユダヤの民は、ダビデ・ソロモン王の時代を除き、誇れる時代がない。
そして、長く苦しい被支配の歴史。
神などいないと思う者は、国家を頼れず、他者を貪る守銭奴になっていく。
親が子供を売り。子供が親を売る。
兄弟と姉妹が目先の物を奪い合い、生き延びようとする。
身内でも奪われる者は、弱者として淘汰され葬られていく。
神に約束されたユダヤの大地は牢獄でユダヤ民族は、その囚人。
不幸を不信心の結果であると、
より宗教心を持とうとする者は、律法の世界へ踏み入っていく。
しかし、宗教の世界も救いが遠かった。
形骸化された宗教組織。競って功名を求め。出世のため他者を貶め。
地位安泰と保身のため他者を利用し、連帯し、敵対し、裏切っていく。
収賄、暴飲暴食、淫楽。
宗教と言いながら王城の中と変わらない派閥の離合集散。
神殿の権威を嵩にきたサドカイ派。
庶民の中に入り込むパリサイ派。
非主流の権威派のエッセネ派、
闘争独立を目指す熱心党に分かれ、
信者を獲得しテリトリーを奪い合う、権力闘争に明け暮れていく。
谷底
ライ病者たちは、ひっそりと身を潜め、物乞い生活をする。
親類縁者が、かわいそうに思い。
何がしかを投げ込んでいく。
量は、それほど多くなく、次第に減っていく。
ライ病の親類に食料を投げ込むより。
自分の子供に余計を食べさせたいと思うのが人情といえる。
健康であっても生きていくのが難しく。
ライ病人が生きていくのは、さらに悲劇だった。
死ぬ方が幸せだろうと食料を減らされる。
絶望が谷底に漂い。
自分が底辺でないことを慰める。
「・・・イエス君。生きていくって、何だろう」
「いまが苦しくても・・・」
「もう少し生きていたら “喜び” が、あるかもしれない気持ちは、大切だよ」
谷底の住民たちは、己の姿を見られることを嫌う。
己の姿で “自分の不幸を慰めている者たち” を嫌い。
恨めし気に谷を見上げる。
ユダヤの大半が自分より不幸な存在を確認しなければ、己の不幸に溺れてしまう。
貧しく虐げられた者のため、彼ら不遇者がいる。
ライ病人を見て、少しだけ嬉しくなる、
自分が、それほど不幸でないと、わかるからだろう。
自らは、虐待していない。
手も汚していない。
見ているだけだった。
「・・・イエス君。彼らは、何のために生きているんだろうな」
「“喜び” を得るため」
「イエス君。あの人たちに “喜び” はないよ。あるのは絶望だけだ」
イエス君は、たった今死んだ男を看取っている女を指差した。
その女は、死んだ男を見て確かに微笑んでいる。
女が死んだ男にライ病を移されたとすぐにわかる。
そして、死んだ男から争って衣服を剥ぎ取っていく。
「・・・イエス君は、何のために生きているの?」
「“喜び” を得るため」
「イエス君の “喜び” は、なに?」
「・・・・・・・」
イエス君は、何も言わず空を見上げる。
ガリラヤのカナで婚礼
イエスは、ミライと一緒に婚礼の席に呼ばれる。
「イエス君・・・・結婚って、どうなんだろうな」
「・・・意図しない生と避けえない死の狭間で、結婚は己の意思で結ばれ」
「己の血統を残すことができるよ」
「ふ〜ん・・・親戚も増えるね」
「運命によって結ばれた夫婦が宿命的な血統が残せれば生きた甲斐もあるよ」
「良いこともあるしね」
「夫婦が心と体の中心で結ばれて先祖と子孫を紡いでいくんだ」
「言っていることは綺麗だけど、やっていることは “アレ” だね」
「うん」
「おれの時は、いつかな〜」
「だから、結婚で失敗すると残りの余生は、辛いものになる」
「・・・最初は、仲が良いんだけどね」
「相手より自分自身が好きだった、と気付く」
「夫婦でも、エゴとエゴが衝突する」
「己が感情に振り回され、行き過ぎれば破綻する・・・」
「んん・・・・我の強い女は、厳しいかも」
「我が弱いと生きていけなくなる。強過ぎても忌み嫌われる」
「・・・・・」
イエスは、一人の女を見詰め、ミライも、その女に気付く。
イエスは、私生児と噂され、
イエスの母マリアと父ヨセフの関係は、私生児イエスに端を発し悪かった。
噂が本当なら父ヨセフは、貧しい上に他人の息子イエスを育てさせられている。
イエスの母が近付いてくる。
「・・・イエス。ワインが、なくなってしまった」
「女よ。わたしと、どんな、かかわりが、あるのです」
「わたしの時は、まだ来ていません」
もちろん、親と子のエゴとエゴがぶつかっても同じ。
破綻してしまう。
しかし、親子の絆だけは切れなかった。
「・・・この人の指示に従ってください」
母マリアが使用人にいうと。
イエスは、憮然と腰を上げ使用人に伝える。
「水がめに水をいっぱい入れなさい」
水がめに水が入れられ、
「さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」
水がめが世話人の元に運ばれていくと。
「・・・・おおい〜! 花婿!」
「普通は、最初に高級ワインを出し」
「酔って舌が鈍った後に安いワインを出すものだ」
「なぜ、高級ワインを今まで取っておいた」
高級なワインで、宴席が騒がしくなっていく。
「・・・イエス君のお母さんは、自分の息子の婚姻をさせないどころか」
「他人の婚姻のワインを用意させて喜んでいるぞ」
「近所の評価が良くなれば自分の評価が上がって」
「夫が良くしてくれると思っているんだ」
「父親のヨセフに遠慮してか」
「家の中で他人の評価を巻き込んで権力闘争始めたら終わりだね」
「イエス君の時が来てないのは、お母さんが原因だな」
「二人とも、私生児に家督を譲らせたくないんだ」
「まぁ 普通は怒るよね」
「普通は、生きていないよ・・・」
姦淫は、石打ちの刑。
イエスの立場がわかりやすい。
「でも、イエス君。どうやったんだい?」
「このワイン。本当に美味しいぞ」
「・・・ミライ君は、僕が誰だか、わかるかい?」
!?
「酔ったのか? イエス君だろう」
イエスが微笑む。
「・・・・そうだね・・・・・」
辛い少年時代。
そして、青年時代も辛い。
30歳になっても、人生にゆとりが感じられない。
アリ地獄の中で死ぬまでもがく。
這い上がろうとするのを諦めた時。
力尽きた時。
死ぬ。
生きている喜びが感じられない。
あったとしても、一瞬の快楽で胡散霧消し、
この身に留まる事はない。
それは、イエス君も同じで、家族から忌み嫌われ、もっと、酷いだろう。
過酷な労働を続ける。
休憩
「・・・イエス君。また聖書を読んでいるの?」
「うん」
「イエス君・・・聖書なんて、胡散臭いよ」
「そう」
「イエス君・・・女遊びに行かないか?」
「いい」
「イエス君・・・収税人でも、やらないか・・・・」
「いや」
「イエス君。面白くないやつだな」
「うん」
「・・・・・・・・・」
イエスが微笑む。
休憩中は、特に何をするわけでもなく。
言葉遊びか、ぼんやりしている。
女遊びは、金と時間がなくて駄目。
貧乏人は見向きもされない。
収税人も石を投げられそうで気が進まない。
下手をすれば殺されるため、
一人でなるのは怖い。
不意にイエスが立ち上がる。
「・・・どうしたのイエス君?」
「ミライ君。もう、時が来たから行くよ」
「どこに行くんだい?」
「誰も、行ったことが、ないところ・・・」
「そして、誰かが付いて来るところ・・・・」
「イエス君。午後の仕事は、どうするんだい?」
「・・・・・・・・」
イエスは、微笑むと行ってしまう。
ヨルダン川
らくだの皮衣を着、腰に革の帯をしめ、
いなごと野蜜を食べ物にしてきた男が叫ぶ。
「悔い改めよ。天国は近づいた!!!」
ヨハネがパリサイ派やサドカイ派が大勢で洗礼を受けに来たのを見つける。
「まむしの子らよ」
「迫っている神の捌きから、おまえたちが、逃れられると、だれが教えたか!」
「だから、悔改めにふさわしい実を結べ!」
「自分の父にアブラハムがあると心の中で思ってもみるな」
「おまえたちに言っておく」
「神は、石ころからでも、アブラハムの子を起こすことができる!」
「斧は、既に木の根元に置かれている」
「だから、良い実を結ばない木は切られ、火の中に投げ込まれる!」
「わたしは、おまえたちの悔改めのため。水のバプテスマを授けている」
「しかし、わたしの後から来る方は、わたしより力のある方で」
「わたしは、その方のくつをぬがせる値うちもない」
「この方は、聖霊と火のバプテスマをおまえたちに授けるだろう」
二人の男が丘の上からヨルダン川を見下ろしていた。
「・・・イエス君。なんか、傲慢そうな男だね」
「ミライ君。洗礼ヨハネは、聖書に書かれている人物だよ」
「そして、神が地上で成して来た業の結晶なんだ」
「なんか傲慢だな」
「傲慢って、言わないでよ。ミライ君」
「そう思うんだから仕方がないよ」
「神様の言葉を伝えていくと、傲慢になりやすいんだ。司祭と同じ」
「だって、へびの子なんて、名指しだよ。司祭だって言わないよ」
「人の良さではなく、我の強さで、神の神殿は、保たれてきたんだ」
「それが、善意の嘘であれ。悪意の事実であれ・・・」
「へびの子は、善意の嘘なの?」
「悪意の事実」
「それは、辛いよ」
「辛くても自覚症状があるから、洗礼を受けているんだ」
「・・・行くの?」
「うん」
川へ下っていくイエス。
「・・・わたしこそ、あなたからバプテスマを受けるはずでしたのに」
「あなたが、わたしのところにおいでになるのですか?」
「今は、受けさせてもらいたい」
「正しいことをすべて成就するのは、我々にとって、ふさわしい」
神の霊が、鳩のように御自分の上に降って来る。
“これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である”
荒野を歩く二つの人影。
「・・・洗礼ヨハネはイエス君を見限ったんだ」
「・・・・・・・・・・」
「だいたい、ヨハネが来ないから、イエス君から行ったのに・・・・」
「・・・・・・・・・・」
「“あなたが、わたしのところにおいでになるのですか?” だって、よく言うよ」
「・・・・・・・・・・」
「ずるいよ。聖書の登場人物のように自分を装っているのに」
「もう一人が来たら、退いちゃうなんて」
「・・・・・・・・・・」
「・・・イエス君が私生児だから、許せなかったんだ」
「律法だと姦淫は石打ちだからね」
「堅すぎるよ」
「堅いからユダヤ教が、いままで保たれてきたんだ」
「物事には、良し悪しあるね」
「己の身を他人から守ることと、己の身を他人に委ねるとは、違うからね」
「ヨハネは、立場が変わることに怖気づいたんだ」
「私生児は、口実?」
「自分の身を守る正当な口実があれば珍しくないよ」
「世間一般でも当たり前だから・・・」
「本当は、イエス君の弟子になるんじゃなかったの?」
「誰だって、自分が苦労したものを他人に委ねるのはいやだよ」
「例えそれが子供でもね。他人で、しかも私生児なら、なおさら」
「今頃、なぜ私生児なのか、神様に抗議しているかも・・・」
「ふっ」
「上手くいかないね」
「ミライ君。君は私生児と一緒にいても大丈夫なの?」
「僕は、イエス君といる方が楽しいから」
「・・・そうか・・・僕も、ミライ君といると、楽しいよ」
荒野
人は、己の心を本物か、偽物か。
実証、確認しなければない。
40日も、食べなければ、生きるか、死ぬか、
自分本位で利己的な気持ちが湧いてくる。
人を淪落する手法は、安直で非常に限られている。
腹を減らした人間の弱みに付け込んでくる。
目を見れば、えげつなさが伝わる。
人間も、悪魔も、手口は同じだった。
「・・・もし、あなたが、神の子なら、これらの石が、パンになるように命じてごらんなさい」
これは、信仰がなくても乗り越えられる “石が、パンになるわけがない”
問題は、イエスが意志の力で石をパンに変えられる。
しかし、能力が有るからといって石をパンに変えるのは、考えもの。
目的と手段を履き違えるのは、危険だった。
「“人は、パンのみに生きるものではない。神の言葉で、生きる” と書いてある」
人は、生きるために食べるのであって。
食べる為に生きているわけではない。
信仰があっても、信仰がなくても、結論は同じ。
悪魔がイエスをエルサレムで、ひときわ高い神殿の屋根に立たせる
「もし、あなたが神の子なら飛び降りてみなさい」
「“神が御使いたちに命じると”」
「“あなたの足が石で打ち砕かれる前に御使いが、あなたを支える”」
「と書いてありますから」
これも信仰がなくても乗り越えられる “落ちたら死ぬ、だろう”
もっとも、これも、天使が回りを飛び回っているのが見える。
もちろん、助けてくれるだろうが問題が生じる。
神殿とキリストの体は、同意。
キリストが神殿から落ちるは、堕落も意味し、
キリストであることの放棄も意味した。
こじ付けでも、言い掛かりでも、
ユダヤ社会では、ごく当たり前に行われている。
若者は、何度か騙され、賢くなっていく。
「“主なる神を試みてはならない” と、また書いてある」
悪魔は、イエスを非常に高い山の上に連れて行くと、
一瞬のうちに世界のすべての国々の繁栄ぶりを見せる。
「・・・・もし、あなたが、わたしに、ひれ伏して拝むのなら、あなたに全てをあげましょう」
これも、信仰が、なくても越えられる。
相手が信用できないと、単純明快な理由。
心根の腐った人間を見ていると良くわかる。
“先に全てを渡せ。そうすれば信用する” と言いたくなる。
渡されれば拝するかもしれないが、そうすると、相手も拝すると信じない。
「サタンよ、退け “主なる神を拝し、唯一、神のみに仕えよ” と書いてある」
信仰がなければ、到達し得ない試みもある。
しかし、信仰が、あっても、なくても。
どっちに転んでも乗り越えるべくして、乗り越えたのかもしれない。
悪魔が去っていく。
「・・・イエス君。悪魔も暇なのかな。何で来たんだろう」
「人には、限界がある」
「・・・・」
「走る限界。跳ぶ限界。食べる限界。財産を増やす限界」
「誰かが、その限界を超えると、その記録が人間の限界になる」
「・・・・・・」
「そうすれば、人は、その限界にまで行く確信が得られる」
「魂の幅を広げ、窮屈な精神世界を広げられる」
「そして、人は、その精神世界に住むことができる」
「どんな限界?」
「ミライ君は、自分の命を捨てて神を生かしたりするかい?」
「まさか。神は、全知全能だよ」
「“神は、御自分にかたどって人を創造された”」
「だとしたら、人間は未完の全知全能だよ」
「人間は、未完の神? ・・・・大元の神がいればね」
「そういうことになるね・・・」
「信じられないことは多いよ」
イエス君は、ライ病者の谷を見下ろした。
不幸は、神の威信を損なう要因の一つだった。
「人の魂は、その器より、はるかに価値がある」
「そして、人の言葉は、創造させた物を従わせる・・・」
ヨルダン川のそば、
ヨハネは、イエスを見ると、証しする。
「・・・・見よ! 世の罪を取り除く、神の小羊」
「わたしを遣わした神が、わたしに予言した方だ!」
ヨハネは、イエスを証しする。
しかし、自らは離れた場所にいて、自らが紹介するイエスに近付こうともしない。
これでは紹介された方も困る。
言っていることと行動が違う。
両者の溝が次第に深まっていく。
「イエス君。やっぱり、ヨハネは、来ないね」
「NO.1から、NO.2になるのがいやなんだ」
「権威が惜しくなるんだ。たとえ、神が望んでいてもね・・・」
「神は、ヨハネに言わないのかい?」
「神の望みは、人形ではなく。自由意志を持った人間の理想郷なんだ」
「人形の世界じゃないよ。君も人形になりたくないだろう」
「・・・ヨハネは自分で気付くのかい?」
「さぁね」
「良く話し合ったら、いいかも」
「まさか。向こうは、祭司ザカリアの子で名門のエリート。私生児とは、話さないよ」
「・・・捻じ伏せたりとかしないの?」
「向こうが、強そうだ」
「確かに小さい頃から、まともな物を食ってたら体格も違うね」
「それに神の業といえない」
翌日
ヨハネがイエスを指して、二人の弟子いう。
「・・・・見よ、神の小羊だ!」
と言ったので二人がイエスについて行く。
「・・・やっぱり、来なかったね。イエス君」
「うん・・・」
「“神の子羊だって” さ “神が予言した” と、言わなくなったね」
「もう、自分の言葉だけって感じ」
「うん・・・・・」
「トーンダウンしたんじゃないの?」
「うん・・・・・」
ヨハネ
ヨルダン川
ヨハネが民衆に向かって叫ぶ。
「人は、天から与えられなければ、何も受けることができない」
「“わたしは、キリストではない、その方より先につかわされた者”」
「と言ったと、あかししているのは、あなたがた自身である」
「花嫁を待つ者は花婿である。花婿の友人は、その声を聞いて大いに喜び」
「わたしは、満ちたりている」
「彼は、必ず栄え、わたしは衰える」
「上から来る者は、すべての者の上にある」
「地から出る者は、地に属する者であって、地のことを語る」
「天から来る者は、すべての上にある」
「彼は、その見たところ、聞いたところを証している」
「誰も、その証しを受けいれない」
「しかし、その証しを受けいれる者は、神が真であることを、確かに認めたのである」
「神が、おつかわした方は、神の言葉を語る。神は聖霊を限りなく賜うからである」
「父は、御子を愛して、万物をその手にお与えた」
「御子を信じる者は永遠の命を持つ」
「御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか」
「神の怒りがその上にとどまるのである」
ヨハネは、イエスをキリストだと証しする、
しかし、イエスに近付こうとはしなかった。
「花婿って、イエス君のことなの?」
「うん、らしいね。花嫁が民衆で、友人はヨハネのことかな」
「衰えるのが、わかってても・・・・」
「自己満足でも、気分は悪くないよ。満ち足りるとは思えないけど焦っているね」
「イエス君は、焦っていないの?」
「焦っても、仕方ないよ。彼自身の問題だからね」
「でもさぁ “御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか”」
「“神の怒りがその上にとどまるのである” って、自分のこと?」
「危ないんじゃ・・・」
「ふっ」
領主ヘロデ・アンティパスは、異母兄の妻だったヘロディアを妻とする。
それを姦淫の罪を洗礼者ヨハネが指摘し、
ヨハネは投獄される。
「・・・イエス君。ヨハネが捕まっちゃったよ」
「・・・うん」
「イエス君は、ヘロデを姦淫の罪で追及しないの?」
「捕まっちゃうだろう」
「あはは・・・・」
「なんで、ヨハネは、領主にはむかったんだろう」
「神の声が聞こえなくなった」
「それで領主を正せば、神に褒めてもらえる」
「声が聞こえる、と思ったかもしれないね」
「なんか、動機が見え見えだな」
「神という権威の虜になるとね。それに執着してしまうんだ。珍しくないよ」
「そ、そりゃあ・・・・珍しくはないけど・・・・」
「自分を犠牲にできない者は彼を批判すべきじゃないよ」
「彼は自分を否定できなくても自分を犠牲にしたのだから」
「でも、自分で自分を裁いた?」
「人の言動を裁きに来たかもしれない」
「だけど、人を裁きに来たんじゃないよ」
「でも、神に背を向ければ、結果的にそうなってしまう」
「人の言動が人だから?」
「例え神でも人の心を捻じ曲げたりはしない」
「なぜ?」
「いや。だろう?」
「・・・んん・・・・・いやかな・・・自分以外は、かまわないけど・・・」
「親は、子供を信じたいんだ。自分の子供なら必ず分かってくれる」
「子供への不信は、全知全能の不信と同じだからね」
「分からずに死んでいるよ」
「体を失っても、心は立ち直る可能性がある」
「でも、神が直接、人の心に干渉すれば、心を失う」
「奇跡で体を直しているじゃないか」
「・・・人の心は奇跡で変わらないよ」
「でも、奇跡を使っている」
「ただの宣伝」
「私生児は、一人身で死ね。って、世界だからね。ユダヤ社会も不自由だね」
「不自由なのは、神と契約を結んだから」
「そして、神と契約した民にしか。神は、約束を履行しない」
「・・・・不自由の代償は?」
「約束を守れたら、命の木に至ることができる。そして、地位と栄誉」
「地位と栄誉が、ついでなの?」
「比較にならないよ」
「守れそう?」
「・・・・・」
「イエス君のお母さんたち来てたね。家族も、相変わらずか」
「世間体が悪いんだって」
「そりゃあ、悪霊を追い出しても、悪魔の頭がやっているなんて、言うんだから・・・」
「郷土も君を嫌っている」
「圧力もあるけど・・・ナザレの生まれだからね」
「自分たちの中から、良い者が出るわけがないと信じているんだ」
「うん」
「イエス君は、生まれて、すぐ馬小屋の飼い葉桶だろう。正気なら普通、ぐれるよ」
「うん」
「・・・よく “神は親” だとか “神は愛” だとか言えるね。イエス君」
「ふっ」
「イエス君は、人を呪って世の中を憎むだけの権利は、十分にあるよ」
「記録を伸ばす方法は、いろいろあるんだ」
「財産を0〜100だと、100だけ。だけど、借金100から、財産100なら200になる」
「ふ〜ん。普通に0から200の財産を作った方が良くない?」
「でも、見捨てられた借金100の人間は、神を呪うことになるよ」
「他人事になるね」
「それに不幸な人間の方が多い」
「それも、不幸だね」
「幸福な人間が人を愛せても、人は自分が不幸だからと無視できる」
「不幸な人間が人を愛せたら・・・」
「人は、良心の呵責で、無視できなくなる」
「でも、いやじゃない、そういうの?」
「ヨハネが、言っただろう “神の子羊” って」
「司祭の子は、信仰があっても、神の子羊にはなれないよ」
「じゃ 私生児は・・・」
「神が意図したことに間違いはないよ」
山上の垂訓
群集は多く、組織つくりをしても世情は、新参者を許さない。
そして、どんなに奇跡で人を集め、内容のある言葉を話しても徒労ばかり。
聖書に従えば私生児イエスは、問題ありで、
まっとうな者は近付かない。
「イエス君。なぜ、心貧しい者が幸いなの?」
「心が貧しくない者は、来ないからね」
「正確にいうと、心を誤魔化し、偽るだけのモノがない人間だろうね」
「ふ〜ん・・・イエス君」
「これだけ群衆が集められたら、蜂起して国を乗っ取りたくならない?」
「心を相手にしているんだ。国を相手にしていないよ」
「国は、無視されると怒るよ。たぶん」
「怒るだろうね」
「これくらい大きくなると、普通、有力者と、結託するんじゃないの?」
「あははは」
「やらないんだ」
「神の子羊は、世俗から離れているんだ」
「なんとなく、俗ぽく見えるけど?」
「いまは、祝福された時期なんだ。見栄の為に断食したり、祈ったりしないよ」
「体制側から孤立すると危なくない?」
「確信犯だよ」
「・・・でも、なぜ、イエス君なの?」
「地上が、相応しい状況なったからだろう」
「そうは見えないよ」
「ヨハネとイエスの関係と、ローマ帝国とユダヤの関係は似ているんだ」
「ローマにも行くの?」
「・・・行けたらね」
「大帝国だね」
「国の大きさに関係なく、人の心が、今の世界を作っている」
「そして、同じ苦しみを抱えている」
「だから、人は、違う視点が必要なんだ」
「違う視点? どんな世界だろう」
熱心党の代表たちがイエスから去っていく。
「イエス君。熱心党と組まなくて良かったの?」
「ユダヤの独立解放より、魂の独立解放を求めたいんだ」
「魂が支配されているの?」
「貪欲な欲望に支配された者は、虐げ、騙し、奪い、殺す者になりやすい」
「戦っている相手が違うんだ」
ヨハネの弟子がイエスのもとに来る。
「先生は、あなたに聞いて来いと “きたるべき方” は、あなたですか」
「それとも “ほかの誰か” を待つべきでしょうか、と・・・」
「行って、あなたが見聞きしたことをヨハネに報告するといい」
「盲人は見え。足なえは歩き。らい病は清まり」
「耳しいは聞こえ。死人は生きかえり」
「貧しい人々は、福音を聞かされている」
「わたしを貶めない者は、幸いだよ」
ヨハネの弟子たちが去っていく。
「もう、ヨハネは、駄目なのかな」
「司祭の子ヨハネ。名門のエリートで英才教育を受けている」
「私生児に頭を垂れたり、教えを乞うたり、したくないだろう」
「普通は、いやだよね」
「だけど、彼が、私生児に頭を垂れたり、教えを乞うたりすれば恥ずかしい」
「でも、他の者は、みな、私生児に頭を垂れたり、教えを乞うたりできる」
「神が、それを意図していたとすれば、難しいね」
「だね」
ヨハネが首をはねられて獄死。
「・・・死んじゃったよ。ヨハネ」
「うん・・・・・・」
「どうなるんだろう?」
「さぁ」
「人事みたいに・・・・」
「そうだね」
「・・・子よ。あなたの罪は、許された」
中風の男が治って歩いていくと群集がざわめく。
人は、偽物を軽蔑し、嘲笑し、面白がる。
しかし、本物も恐れ、憎み、忌み嫌う。
人は、神の子であり。マムシの子だった。
聖書の予言成就。
イエスキリストの出現でユダヤ社会は、二者選択を迫られる。
それも、もっとも、従いたくない私生児。
イエスキリストを選択して、己の地位を失うか。
イエスキリストを否定して抹殺。己の地位を保つか。
「・・・みんな、戸惑っていたよ」
「罪を許したからかい」
「“罪を許す” と言ったからだ」
「そう?」
「それが、できるのは、神と被害者だけだろう」
「僕は、その神と被害者に貸しがあるんだ」
「だから奇跡を起こせる。神にも被害者にも無理強いしてないよ」
「でも、ユダヤ人は怒っているよ」
「ユダヤはローマの属国なんだ。ユダヤ人の願いは、わかっているよ」
「独立?」
「救世主を独立の英雄だと思いたいのさ」
「違うんだ」
「神の望みは、独立を後回しにして良いことだよ」
「ローマ帝国にユダヤが支配されているように、罪に人が支配されている」
「罪が駄目なの?」
「己の欲望の為、他者を虐げ、蔑み、搾取する」
「心根の悪い世界は、人が不自由になる」
「信頼に足る世界なら人は自由になる」
「イエス君なら、できるの?」
「途中で殺されるたらイエスキリストの名によって比喩が歪められていくだろうね」
「それでも良いの? イエス君」
「神は、嘆くだろうね。子も神ゆえに悲しいよ」
「どうして?」
「人が限りある “物” で地上を支配するのでなく」
「命の木 “魂” で地上を支配する術を得られなくなるからさ・・・」
カペナウム
百卒長が、イエスに嘆願する。
「主よ、わたしの僕が中風で苦しみ、家で寝ています」
「わたしが行って治してあげよう」
「主よ、わたしの家は、主が足を運ぶだけの価値がありません」
「ただ、あなたの言葉を頂きたい。それで、僕は、なおりましよう」
「わたしも権威の下にある身」
「兵卒に “行け” と言えば行き。ほかの者に “来い” と言えばきます」
「また、僕に “これをせよ” と言えば、してくれます」
「・・・ユダヤ人の中でも、これほどの信仰を見たことがない」
「多くの人が東西から集まり、天国でアブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席につく」
「この国の子らは、外の闇に追い出され、そこで泣き叫んだり、歯がみするだろう」
「行け、あなたの信じたとおりになるように」
百卒長が帰っていく。
「治るの? イエス君」
「百卒長が、信じた通りにね」
「ローマ人も、部下思いだね。大帝国になるだけある」
「余裕があるとね。でも、それだけじゃないよ。試したんだ」
「ローマ帝国が? イエス君を?」
「好都合な中風が出たから来たんだよ」
「ローマ帝国と組むの?」
「神は、約束していない国とはね。組めないんだ。残念だけどね」
「ローマ帝国を利用すれば、逆転できるのに?」
「順番を守らないとね・・・」
ある時
群衆の前。
「よくよく言っておく。人の子の肉を食べず」
「また、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない」
「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命が得られ」
「その人を終わりの日によみがえる」
「わたしの肉は、真の食物、わたしの血は、真の飲み物である」
「わたしの肉を食べ。わたしの血を飲む者は、わたしの内におり」
「わたしも、また、その人の内にいる」
「生ける父が、わたしをつかわした。わたしは父によって生きている」
「そして、わたしを食べる者も、わたしによって生きる・・・・・・」
この言葉を聴いた群集が、イエスの下から去っていく。
このことがイエスの命運を落としていく。
「・・・イエス君。なんで、あんなことを言ったの?」
「命を失っても言わなければならない事がある。珍しいことじゃないよ」
「め、珍しいと思うよ」
「そうかい」
「この世の権力者は、支配者になるため、言葉一つで命懸けの賭けをしている」
「支配者になりたかったの?」
「いや、神と人を結びたかっただけだよ」
「だけど、みんなの気持ちを裏切ったんだよ?」
「みんな、良い気持ちで奇跡に酔いたかったんだね」
「良いじゃないか、良い気持ちでいたって」
「マムシの気持ちを喜ばせてもマムシのままだよ」
「そして、自分が妥協すれば、それは、人間の限界になる」
「本当にそれで良いの?」
「状況が悪くなって信じたくなくなっていたんだ」
「比喩で言ったことを口実に離れていくね」
「客観的に言うなよ」
「人の生きる世界を押し破る為に来たんだ」
「どこまで人の魂が神に迫ることができるか。そのための命だよ」
「僕が気にしているのは、世界じゃなくて “イエス君” だよ」
「それは、神殿と同意だよ」
「喜ぶ為じゃないの?」
「快楽でかい?」
「目的を達成しようとしているときは喜んでいるよ」
「快楽抜きだと幸せじゃないような気がする」
「一時的な快楽で満ち足りて、永遠に幸せだと思う者に手を上げさせてごらん」
「何人が幸せか」
「・・・・・・」
「幸せになろうとして、他人や自分を苦しめる」
「しかし、それで幸せになれるか、考えるべきだろうね」
「イエス君は、人間の本能に戦いを挑んでいるような気がする」
「本能は、自己犠牲と自己否定を嫌うからね」
「でも本心は、動物的な本能を嫌う。人間は矛盾しているね」
「本心よりも本能の方が強いと思うよ」
「確かに証明されつつあるね」
イエスの取り巻きが減ると、
ユダヤ社会は混乱しながら反イエスキリストへと転がっていく。
残っているのは12弟子と、ごくわずか。
ユダヤ社会は、イエスキリストの顕現で荒れていく。
「彼は悪霊に取りつかれて気が狂っている」
「どうして、あながたは、キチガイの言うことを聞くのか」
「彼は、悪霊に取りつかれてはいない。悪霊は、盲人の目を開けられない」
「信じるものか!!」
「ひょっとして、信じたくないだけじゃ・・・・」
「うるさい!!」
誰もが本能と本心の狭間で苦しみ、楽になりたがっていた。
ベタニヤ村は、エルサレムから離れた郊外。
「ユダヤに行こう」
「先生、ユダヤ人は、あなたを石で、殺そうとしています」
「そこに行かれるのですか?」
「待っている者がいる」
そして、イエスは死んだラザロを生き返らせてしまう。
「イエス君。なんか、大騒ぎになっているよ」
「ふっ ユダヤの上層部は、どうするかな」
「よくないことを考えていると思うよ」
「だろうね。もう、集団が崩れ、孤立した味方のいない個人だもの」
「見え透いた感情だから、だいたいわかるよ」
「でも、建前という盾で、本音という剣を隠している」
「衣替えの時期だよ」
「着替えたくないと思うよ。高い服だったらね」
「汚れていない、綺麗な服があるのに・・・」
「本人は、それが一番綺麗だと思っているんだよ」
「イエス君。もっと命を惜しもうよ」
「惜しんでいるよ。命をね」
イエスが死体だったラザロを生き返らせた事はユダヤ全土に広がる」
ユダヤ全会衆は議会を招集する。
司祭を含め。
権威主義的なサドカイ派、民主的なパリサイ派、
非主流権威主義のエッセネ派、独立系の熱心党・・・・・
「イエスと名乗る者が奇跡を起こしている。我々は、何をしているのだ」
「我々と言わず。君のとこで、やってくれよ。邪魔なんだろう」
「そっちこそ、彼を王にして、ユダヤを転覆させようとしたじゃないか」
「君のところで身の潔白を証明すべきだろう」
「こ、こっちに罪を擦り付けるつもりなのか」
「そっちが主流なのだから責任をもって、やるべきだろう」
「教理的に、そっちの方が困っているはずだ」
「教理などこの際、どうでも良いよ。主流に対する反主流」
「そして、中間派、はみ出し派」
「分配している者は、全部、ここに揃っている」
「そうそう、彼は、どこにも属さないばかりか」
「奇跡を起こし、無分別に増殖。我々の利権を脅かしている」
「我々の利権と生存権を脅かすというのなら対処すべきだ」
「たしかにイエスがラザロを生き返らせた事で、民衆は我々に決断を迫っている」
「まずい。このままだと民衆が彼を信じるかもしれない」
「それは困る」
「最悪は、ローマ人がイエスと組むことだ」
「わたしたちの土地も人民も、あの男が奪ってしまう」
「そういえば、接触があったそうだが?」
「いや、調べた限り、組む気はないようだ」
「それは助かるね」
「少なくと愛国的だな」
「だからといって捨て置けないだろう」
「正直に言おうぜ、イエスを殺して楽になろうよ、って」
「「「「・・・・」」」」
「そうそう、利権を失いたくない。小さい属領で小さい利益でも、おれたちだけは幸せだし」
「ふっ ユダヤ全民族が貧しくても、おれたちは贅沢できる・・・」
「お前たち、大義名分の話しをしているのだから、茶々を入れないでくれ」
「我々は、ローマ帝国と律法に制約されている」
「大義名分は大切だよ」
「それで、利権が保たれているんだから」
「だから、手が出せないのだろう」
「こういうのは?」
「ユダヤ全国民が滅びないように一人が全人民に代って死ぬ」
「自己正当化だね」
「こっちが折れる発想はないの?」
「それは・・・いや」
「だよね〜」
「そうだ。ローマに片付けてもらおうよ」
「そうすれば、こちらは、手を汚さずに済む」
「良いねぇ イエスとローマが結ばないよう。ローマ総督に圧力をかけておこう」
「しかし、なぜ、イエスはローマと手を組まなかったのだ。機会は、いくらでもあった」
「民衆を使っての蜂起もだ」
「・・・なぁ イエスが本物だったら、どうする?」
「「「「・・・・・・・」」」」
ロバに乗ったイエス
ラザロを生き返らせた事で民衆に歓迎されていた。
しかし、それは “何か自分に利益があるだろう” といった者たちや興味本位。
そうでない者は、遠巻き。
人は、権威に媚びへつらい。金を愛し拝する。
人は、利益にならないのであれば、奇跡にも真実にも、なびかず。こびない。
「・・・人の子が栄光を受ける時がきた。よくよくあなたがたに言っておこう」
「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、一粒のままである」
「しかし、死ねば、豊かな実を結ぶ」
「自分の命を愛する者は命を失い」
「この世で、自分の命を憎む者は、永遠の命に至る」
「わたしに仕えようとする人は、わたしに従い。その者は、わたしの所にいる」
「わたしに仕えようとする人は、父を重んじる・・・・」
「・・・わたしは、心が掻き乱されている」
「わたしは、なんと言おうか。父よ、この時から、わたしをお救い下さい」
「しかし、わたしは、このために、この世に至ったのです」
「父のみな御名が、あがめられますように・・・」
イスラエルの町並みをイエスは辛そうに見る。
“わたしは、栄光を見せた。更に栄光を見せよう”
天の声は民衆を驚かす。
「今のは何? イエス君」
「・・・遺言だよ」
「死ぬの? イエス君」
「神の子が、人として越えなければならないこともある」
「神でさえ、人をかばう為、自分に罪を被せているのに・・・・」
「僕は、イエス君が生きている方が良いな」
「僕が生きているとマムシの子が困るんだ」
「捨てなければいけないものが大きいからね」
「罪?」
「人は、力が足りないことより、余計なモノを持っている事で不幸せになっていくんだ」
「・・・イエス君・・・辛いんじゃないか?」
「ふ ミライ君。君といると、確信だけは、もてるよ」
最後の晩餐
「・・・・あなたたちの一人が、わたしを裏切ろうとしている」
弟子たちが、ざわめき始める。
「誰ですか、先生?」
「わたしが、一切れのパンをひたし。与える者が、その人だ」
イエスは、シモンの子イスカリオテのユダにパンが与えられる。
「しようとしていることを、今すぐするがよい」
ユダは、立ち上がると晩餐を抜け出して行く。
「イエス君。裏切ろうとしている者に、食べ物を与えるの? 毒殺?」
「まさか。命を与えに来たのであって、命を奪いに来たのではないよ」
「きっと、嫌味で君の真似をする者が出てくるよ」
「奪って殺すだけよりも、少しだけ与えて殺す方が良心的かもね」
「どこに行ったのかな?」
「それより。いくらで売るんだろうね」
「自分の値段が気になるの?」
「いや、彼が不憫に思えてね。売った金額が彼の足枷になる」
「裏切り者を?」
「裏切り者も神の子に求められる善意に含まれているんだよ」
「・・・・どうして、そこまで、できるのさ」
「神の子羊だから・・・・」
ケデロン谷の園
イエスが弟子たちと集まっていた。
「・・・・イエス君。何を待っているの?」
「栄光が刈られる瞬間」
「時代が悪かったのかな」
「時代も、場所も、環境も、人が作る」
「神の子は、与えられた時代を修正する」
「残念なのは、修正しきれないことだね」
「もっと、力があったのに?」
「権力を求めていない。支配も求めていない。混沌を修正したいだけだよ」
「きっと、混沌は怒るよ」
「そうだね」
園の中に兵士と役人たちがやってくる。
そして、イエスのみが兵士に捕らえられていく。
ユダヤ会衆の館
捕らえられたイエス。かばう者は誰もいない。
かばう事で得られるものは、自らの心を裂くような内容ばかり。
それが正しいことでも、誰も、己の魂を砕こうと思わない。
それでも宗教家は、現実と天上の狭間で躊躇する。
偽者であれば良し、
しかし、本物であれば・・・
保身を保つ最善の方策を思い図る。
イエスは、ユダヤ会衆の動機を全て見通し、彼らを苛立たせる。
司祭が耳元でイエスに囁く。
『イエス。頼むよ。折れてくれないか』
『いやだ』
『もう、勘弁してくれよ』
『ユダヤは、今の状態を望んでいるんだ。変化を望んでいないんだよ』
『神が望んでいる』
『だから、君に頼んでいるんじゃないか』
『最悪でも自らの手で君を殺したくないんだ』
『・・・・・・』
『悪いようにしない。君の望む他の世界に送ってあげる』
『そこで余生を静かに送れば良いじゃないか。金は送るから・・・』
『断る』
そして、イエスの運命が決まってしまう。
ローマ総督ピラトの屋敷
ローマは、属領ユダヤの動きを押さえていた。
何が起きているのか。およその事を掴んでいる。
ユダヤの支配層が、ひがみ、やっかみ、保身で一人の男を殺そうとしている。
そして、忌々しいことにローマにその片棒を担がせようとしている。
ローマも、イエスと組もうと誘いをかけたが成功せず。
今となっては手遅れ。
「・・・あなたがたは、このイエスに対して、どんな訴えを起こしているのだ」
「このイエスに悪事がなかったなら。イエスを引き渡さないでしょう」
「彼を引き取って、自分たちの律法で裁くがよい」
「わたしたちは、人を死刑にする権限がありません」
『この外道どもが、いつもは、闇から闇へと葬るくせしやがって』
『こういうときばかり利用しやがる」
この世の支配層は、計算高く損益収支を計算する。
民衆の感情を煽って誘導し、
利用することがあっても自らは、一時的な感情で短絡な行動をとらない。
支配者は、感情に支配されやすい民衆とは、まったく違う。
イエスが話した内容は、ほぼ全て、ピラトの下に集まっている。
知的水準、精神性。
ソクラテス、プラトン、ローマ帝国の賢人と比較しても最高峰・・・・
問題は、イエスが、そういった支配層が共有する計算高さと妥協を無視していた。
無知ではない、支配層のルールも知っている節がある。
しかし、活用していない。
普通なら殺されないギリギリの線で利益を上げるだろう。
それなのに自らを死地に追い込み、
殺されることを待っているだけ。
『ありえない・・・本物だったら、どうするんだよ〜』
ピラトは、己の不運を呪う。
ローマ帝国とユダヤ属領の支配層は、収支の分配率が決まっている。
属領の総督という地位は、属領の収支と安定で保たれている。
どちらが欠けても解任。
そして、最悪の選択を民衆に委ねた。
『俺じゃないもんね』
ピラトは、総督府のテラスからユダヤ民衆に宣言。
「わたしは、イエスになんの罪も見いだせない!」
「そこで過越の時、わたしと、あなたがたの間で一人を許す事が慣わしになっている」
「「「「「「「「「「「・・・・・・・」」」」」」」」」」
「あなたがたは、このユダヤ人の王を許してもらいたいのか!!」
「「「「「「「「「「「バラバ!!!」」」」」」」」」」
強盗バラバの恩赦が決まってしまう。
そして、同時にイエスの十字架も決まってしまう。
「見よ!!」
「イエスをあなたがたの前に引き出そう」
「それはイエスに罪も見いだせないことを知ってもらうためだ」
「「「「「「「「「イエスを十字架につけよ!!!」」」」」」」」」
「・・・・」
「「「「「「「「「イエスを十字架につけよ!!!」」」」」」」」」
「・・・・」
良心の呵責に悩むピラトは決断する。
ゴルゴダの丘 十字架
見下ろすイエスと見上げるミライ。
「やあ、イエス君」
「ミライ君」
「どうしたんだい。君のお父さんと、お母さんは、怒っていたぞ」
「それは、僕にかい?」
「それとも、相手に?」
「んん・・・どっちも・・・」
二人で、なんとなく微笑む。
「イエス君。これで、良かったの?」
「良くはないけど、人の心は、広がって本心に近付くと思うよ」
「弟子は、みんな逃げてしまったよ。誰も残っていない」
「生身の人間に従えなくても、死んだ人間になら従える。そういう人間は多い」
「自分の都合の良いように捻じ曲げられるから?」
「残念だけど委ねるしかない。言葉が歪められない事を祈るばかりだ」
「イエス君・・・」
「ミライ君。君も、自分の時代に帰るんだろう」
「僕が?」
「くすっ ありがとう、君のおかげで勇気付けられたよ」
イエスの意識が消えていくように、ミライの意識が消えていく。
そして、暗闇の中、ミライだけが残される。
「・・・・さようなら・・・イエス君・・・・ありがとう・・・」
月夜裏 野々香です。
イエス・キリストの短編です。
この種の映画を見ながら、なんとなく違和感を感じ。
自分なりの想像で書きました。
二次作品の方で茶化したので、
こっちは、少し、まじめに・・・・・
イエス君(渚カヲル)。
ミライ君(碇シンジ)で、学園祭風です。
変に超越させることもなく。
変に落とすこともなく、でしょうか。
石をパンに・・・・
水をワインに・・・・
オリジナル小説の奇跡は、種も仕掛けもありません。
奇跡のまま。です。
だからといって、奇跡の一つや二つで、
人間社会が変革させられるものではなく。
波紋こそ、あれ。なんら大きな影響を及ぼさない、と思えたり。
イエス・キリストが、どこかの組織に属し学んだ可能性もあるようです、
聖書上では、否定されているような・・・・
実証がないので、ユダヤ教会、礼拝で、聖書と律法を学び、
独学で人間社会と荒野から学んだということにします。
奇跡を使えると仮定して・・・・
人間の力によって、神の業が成されるのか、でしょうか。
2000年前、ローマ帝国の属領ユダヤ。
ど田舎で、私生児として生まれ育った青年の言動が種となって実を結び。
その後、人生の指標。
2000年かけて、世界に広がって、キリスト教人口は、20億人以上。
基本的に帰納法的に考えています。
普通の人間は、真似できません。
イエスキリストを境に紀元前から紀元後に変わっただけは、あるのでしょう。
言っていることは滅茶苦茶なのに、
やっていることは、神の業、奇跡ですから、
人類史上の最大の異常事態。
作者は、権威主義も、拝金主義も、ほどほどですが・・・・・
どこぞの乞食が同じことをやり始めたら、正直、付いていけないかもです。
人は、秩序より、混沌を望む。でしょうか。
なんとなく似ているのが、天才の空海とエリートの最澄でしょうか。
この二人、自己完結型の埋没と自己増殖型で仲違い。
よくある話しです。
因みにギリシャ語だと、Chaos が Khaos で文字的には、こっちが、カッコいい
イエス キリスト物語 『カオス クライシス』 |