Book Review 江戸川乱歩・アンソロジー編

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江戸川乱歩・編『世界短編傑作選3』
東京創元社 / 文庫版(創元推理文庫) / 1960年12月19日付初版 / 本体価格560円 / 2000年2月7日読了

 推理小説界の泰斗・江戸川乱歩が、推理小説の黎明たるエドガー・アラン・ポオ「モルグ街の殺人」から年次順に編纂した欧米短編傑作選の第三巻。本巻には1920年代に著された作品が収められている。以下、作品毎についての所感を記す。

アントニー・ウイン「キプロスの蜂」
 女性が急死した自動車の中から発見された蜂の死骸と、とある広場の側溝に捨てられた容器に閉じこめられた三匹の蜂。それらからユーステス・ヘイリー博士は、女性を計画的に殺害した人物の像を導き出す。
 初っ端からあまりに偏見に満ちた推理に首を傾げっぱなしだったが、結果としてその殆どが覆されないままだったのにも拍子抜け。過程の描き方とクライマックスの描写は素直ながら丁寧で好ましく思えたのだけれど。
パーシヴァル・ワイルド「堕天使の冒険」
 トニイは友人らの要請により、彼等のギャンブルの現場に立ち会い、友人のひとりが犯したイカサマを暴き立てた。だが、トニイの別の友人で、賭博の欺瞞を察知する能力に長けたビル・パーミリーは、それを冤罪と断じ、知られざる詐欺行為の全貌を明らかにした。
 結局友人のイカサマの件はどうなったんだ! と咄嗟に思った。あるトラブルから全く思いもかけない大事件の謎が解かれる、という物語の推移の仕方が着眼だろう。末尾の補足に「狡い」という感想を抱いてしまったことに、創作を取り巻く環境の違いを痛感したり。
エドガー・ジェプスン&ロバート・ユーステス「茶の葉」
 俄に友情を結んだ二人の男たちは、若い一方が一方の娘と恋に落ち、それがやむない事情で崩壊すると同時に、一触即発の緊張状態に陥った。その二人がある日、同じトルコ風呂に居合わせた。若者が風呂を出て暫くのち、残ったもう一方が殺されたことで、必然的に嫌疑は生き残った若者に向けられたのだが……
 トリックまるわかり。それでも思いの外読み応えがあったのは、人間関係の緊張と人々の決断とか丁寧に描かれていて、仕掛け以上にこちらを牽引してくれたからだろう。優等生過ぎる作品とも言えるが、既にからくりが凡庸になってしまったことさえ除けば、充分に今でも通用する一編だと感じた。
アントニイ・バークリー「偶然の審判」
 とあるクラブにて、ひとりの紳士宛に企業名義で送られてきたチョコレートの包みがあった。それを譲り受けた男性が食後暫くして耐えがたい腹痛に苦しみ、時を同じくしてその妻が絶命する。チョコレートに毒物を混入したのは果たして誰か? 迷走の果てに担当主任警部が、シェリンガムの許に相談に訪れた。
 本当はこの一本のみを読むために購入したのである。聞き及んでいたとおり『毒入りチョコレート事件』第四の推理と展開も結論も同じだったが、この短編が「本家」であることはよく解った。先にあちらを読んでいたため、「だから?」などという不実な感想しか浮かばなかったけれど。
ロナルド・A・ノックス「密室の行者」
 インド仏教にかぶれた金満家が、食事の豊潤に蓄えられた密室内で餓死するという事件が起きる。その人物が庇護していたインド人の宗教家たちは、彼の死を信心故と物語るが、現場を訪れた探偵は程なく真相を看破する。
 今となっては守ること自体が骨董じみてしまう探偵小説十戒の創案者として著名であり、そして本編のトリックもとても有名。確認しながら読んでいてもそれなりに楽しめてしまうのは、骨の髄まで本格派に染まっているからかも知れない。犯人の扱いが軽いが、トリックの肉付けに腐心しているのが妙に新鮮だった。
C・E・ベチョファー・ロバーツ「イギリス製濾過器」
 ローマに到着した私は、同行したホークス旧知の物理学者を訪ねる。才能ある助手の研究を食い物にし、鼻持ちならない態度で接する物理学者に少なからぬ不快を覚えて退出した私達だったが、その夜件の物理学者が殺害されたという報が届く。
 未開地を求めるあまりにとんでもない秘境に足を踏み入れてしまったような、そんな作品。からくりが解らなくとも先が読め、肝心の絵解きにも首を捻ってしまう。
マージェリー・アリンガム「ボーダー・ライン事件」
 蒸し暑い夏のロンドン、石炭小路の傍でひとりのチンピラが射殺屍体となって発見される。犯人は、石炭小路行き止まりにあるカフェに潜伏していた男と目されるのだが、容疑者の情婦であり被害者の恋人であった女の証言によって事態は紛糾した。
 これまたある有名なトリック(冷静に考えると、ごく最近にも同じ仕掛けを応用した長篇が発表されている――それも国内で)を利用した一編。その答のみを眺めてしまうと拍子抜けの思いだけが残るが、実はそのたったひとつの気紛れによってどれ程事件が複雑化してしまったか、それを魅せる小説であると気づいた。だからこその、優れた小品である。
ロード・ダンセイニ「二壜のソース」
 スミザーヌは自身の仕事にも関わる「ナムヌモソース」という単語から、ノース・ダウンズにおける奇怪な少女失踪事件に興味を抱く。ひょんなきっかけから同居人となったリンリイという紳士に事件に関する疑問をぶつけてみると、思いがけない一言から、彼はことの真相を見抜いてしまった。
 具体的に結論を示さないという手法は当時、斬新なものだったのだろうか? これまた現在となっては格段革新的という訳でもない着眼だが、視点と語り口が絶妙で背筋が震えるぐらいに効果的である。取り分け、締めくくりの一行の痛烈且つ残酷なことといったら。
アガサ・クリスティ「夜鶯荘」
 儚くも思いを寄せ合っていた男に別れを告げ、出会って僅か数週間の男と華燭の典を執り行った女。日毎夜毎に、別れた男が夫に復讐を遂げ、それを喜ぶ自分がいるという悪夢に悩まされているうちに、女の胸に疑念が兆す。
 今でもこういう種類のサスペンスが書かれているよな、と感じる。身近に芽ぐんだ疑惑の種、というお定まりのシチュエーションの元祖にして定番、といった処。明確に示されない結末が様々な真相を暗示していて、個人的にはクリスティのどの長篇よりも傑出しているように思った。
ベン・レイ・レドマン「完全犯罪」
 名探偵とその友人の弁護士は、完全犯罪とはどの様なものかについて熱心に語り合っていた。己の能力に絶対の自負を持つ名探偵は、自らの過去の業績を引き合いに「完全犯罪」なるものの定義を試みるが、弁護士は名探偵の思いもかけぬ角度から論旨の破綻を突いた。
 語られる探偵理論や犯罪の定義が権威主義的だったり傲慢だったりで頷けないまま、結局名探偵が凱歌を挙げてしまうため妙な不満が残る。不快感と言わないのは、読み手に共犯者のような、はたまた脅迫者のような感情を抱かせる所為だろう。それが狙いなら大成功だが。

 不幸なことに大半のトリックを知っていた。恨めしや藤○宰○郎。加えて今読むとその古めかしさばかりが際立ち、必ずしも「傑作選」の名に相応しくないようにも見える。が、一連の作品が今日のミステリにおける「定石」を築き上げたことは確かだろう。そういう古典的価値を評価しながら読む分には、古めかしさも一種の勲章と映る。時の経過と共にそうして読み方をこちらから限定しなければいけないのが何とももの悲しいが、反面こうした古典は古典として留めることで世代を越えた共通の話題として――いつ、幾つの時に、どの様に読んだか、それだけで話の幅を広げることが出来るものであり、だからこそ今も今後も残り続ける意味があるのだと思う。今回はそういう意味で、からくりの大半は途中で判ってしまったものの、久しぶりに充実した読書体験をした、という風に感じた。筋を楽しむよりも、自分の感じ方そのものを楽しむために、未体験の方には一読をお薦めする。私も機会を見て、他の巻も目を通そうかと考えてます――毎度のことながら、いつの話になるかは解りませんけど。

(2000/2/8)


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