Book Review 鮎川哲也編

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鮎川哲也『死びとの座』
1) 新潮社 / 四六判ソフト / 1983年12月15日付初版 / 定価850円 / 1999年9月19日読了

 鮎川哲也の通算二十二作目、『鬼貫警部』を探偵役とした一連の作品群としては第十七作目となる、最新作である。時期が悪かったのか新潮文庫版が絶版となって以降復刻もされず、深川があちこち探し回って見付からず、最近縁あって漸く入手したものである。新刊書店で手に入るものではないから殆どの読者にとっては無意味なレビューだが、まあ、まあまあ。
 中野区セントラルパークには『死びとの座』という不吉なふたつ名で呼ばれるベンチが存在する。十月一日の早朝、その『死びとの座』に座っているところを撃たれたらしい屍体が付近の水飲み場で発見された。死者は大物シンガー「ジャッキー上野」の物真似を専門とするタレント「ミッキー中野」であり(ここで笑うなよ)、本家の人気に巧く便乗して同業者の中でも頭抜けた売れっ子であった。警察はまず、かつてミッキーが妹を堕落させたとして恨んでいたと噂されるルポライター馬場吾策に疑いの目を向けるが、二転三転の挙句に彼を放免せざるを得なくなる。次いで、ミッキーと同じくジャッキー上野の偽者としてタレント活動する原宿慎吾に嫌疑を掛けるが、彼は事件以来行方不明となっており、程なく原宿は岐阜県岩村城趾で射殺屍体となって発見される。警察は原宿がミッキーを殺害したものとして処理、捜査本部を解散させたが、この結論に首肯しなかった人々が居た。原宿の婚約者・目黒マリと、馬場が疑われた際に彼のアリバイ絡みで事件に関わった推理作家・高田謙介である。テレビで高田が警察の結論に異議を唱えたのを見たマリは、彼に助力を求め、第三の容疑者を捜して奔走する――
 鮎川哲也の魅力というと、まず考え抜かれたアリバイトリックが挙げられるが、私の見る限り、真価は事件の様相を二転三転させる緻密なプロットにこそあると思う。本編にしても最初に登場する容疑者は鉄壁の如きアリバイを提示し、その証拠固め、或いは突き崩しに東奔西走する刑事達の様に、読者はそんなことはないと思いつつ「こいつが犯人なのか」と疑いを抱く。結局最初の容疑者は別の退っ引きならない理由からアリバイ工作に励んでいたと判明、疑いは晴れるのだが、この一連の悶着に関与した人々が、後半の真犯人探索劇に一役買う辺りの呼吸は巧い。『黒い白鳥』『死のある風景』など全盛期の作品と比較すると短い割に締まりが悪いという印象があるが、凡百のアリバイ崩しものなどよりは数段の読み応えがある。例によって訳もなく頻出する歌曲の蘊蓄は、まあご愛敬と捉えよう(いや多少意味はあるのだけど)。
 それにつけても惜しまれるのは、近年の鮎川哲也の発言を見る限り、どうやらこれが鬼貫最後の長篇になりそうな気配があることである。確かに昨今、アリバイものは書き手自体が減少し、読者に広範に受け入れられないような潮流が感じられる。だが今尚芦辺拓といったコアな作家が時として熱意を以て手掛け、それらをちゃんと受け止めている読者も少数とは言え存在するのだから、もう少し鬼貫警部には踏ん張っていただきたいのだけれど――その前に『白樺荘事件』ですか?

(1999/9/20)


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