Book Review 小野不由美編
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小野不由美『屍鬼』
1) 新潮社 / 四六判上製(新潮エンタテインメント)、上・下 / 1998年9月30日付初版 / 本体価格2200円(上巻)、2500円(下巻) / 2000年2月17日読了講談社X文庫の『ゴーストハント』シリーズ(現在いなだ詩穂の作画によりコミック化されている)、『十二国記』シリーズなどの少女小説(内容的にはそんな狭量な定義で括りがたいものがあるが)で人気を博し、日本ファンタジーノベル大賞の最終候補となった異形のミステリ『東亰異聞』で高い評価を受けた小野不由美が、長い沈黙を破って世に問うた重厚長大な怪奇小説。
死を象徴する樅の林に囲まれた集落・外場は11月8日夜、一陣の炎によって永遠に失われた。だがそれは一夜に突如発生した悲劇ではなく、もっと前から――日本中が異常な渇水状態に見舞われたその年の夏から始まっていた。
虫送りの神事が執り行われる深夜に来訪し、何故かそのままUターンしてしまった運送会社のトラック。その奇行は一夜を経て瞬く間に外場中に流布し、住人の憶測を読んだ。常識から考えればそのトラックに乗っていたのは、村の山中に移築された洋館に越してくる住人とその荷物の筈であったが、彼等ならば何故深夜にトラックを走らせ、且つその期に及んで突如踵を返したのか。憶測は住民それぞれの感情と思惑と複雑に絡み合い、妖しい空気を呼ぶ。
一方、老人三人が取り残された山入という集落を訪れ、服を血に染めて帰った後藤田秀司は、その理由を語らぬまま数日後に還らぬ人となる。その死を伝える為に山入を訪れた寺の副住職・室井静信は、怪死した住人たちを発見した。検屍の結果、そこには奇怪な事実が立ち現れた。老人たち三名のうち二人は、間違いなく秀司が来訪したその頃には絶命しており、逆に残り一人の老女は、静信が発見するつい前日に逝去したらしいのである――ならば何故秀司は、老女は山入の者たちの死を誰にも告げなかったのだろうか? 静信と村唯一の臨床医である尾崎敏夫が揃って首を傾げる中、今度は村に散在する道祖神が何者かに破壊される。相次ぐ奇怪事に、外場は静かに揺れ始めていた。
僧侶にして作家の室井静信、その幼馴染みで医師の尾崎敏夫。死によって村を蝕む異変の解明に奔走し煩悶する二人を核に、医院の事務を担当する武藤に中学教師の広沢、酒屋の大川富雄と息子の篤、新参の結城とその息子の夏野、夏野の友人である武藤兄妹と夏野に反感を抱く村迫正雄、夏野に憧れる清水恵、恵の幼馴染みの田中かおりとその弟の昭、外部の人間に子供達を奪われるという妄想に病的に怯える前田元子、新興宗教に拘泥する伊藤郁美と彼女と村の旧弊に挟まれ苦しむ娘の玉恵、そして移築された洋館に越してきた桐敷家の人々――数多の登場人物の思惑が入り乱れ次第に輻輳し、物語は崩壊へと突き進んでいく――物語の大筋は、自らの信仰心と檀家の要求する像との格差を自覚しつつ一貫性を欠く自我に密かに悩む僧侶・室井静信と、立場上いち早く連続する死者の異常に気づきその根絶のために奔走する医師・尾崎敏夫という二人の視点によって語られ、その隙間を外場に暮らす人々それぞれの主観に語らせることで埋めている。自身の正義に忠実なあまり積極的な行動を起こせない静信と、信義のためには手段を選ぶことなく邁進する敏夫、幼馴染み二人の理念の相違から生じる対立をはじめ、主立った脇役一人一人の感情や意志、行為を克明に描いていくことで、外場という閉塞した世界に濃密な実態を宛い、物語に徹底した厚みを齎している。
全体で奏でられる主題は、静信が事件と平行して執筆を続ける作品・『屍鬼』にその本質を語らせている――即ち、閉じた楽園の存在意義と信仰の是非、そして狂おしく神の慈愛を求めながら報われない、異端者の哀しみ。静信は自身が檀家にとって傀儡の指導者であることを強く自覚しながらも信仰の意義を理解しその役に甘んじている――だが反面、かつて自らが試みた自傷行為の真意すら自覚できない己に戸惑い人知れず懊悩してもいる。上巻においてはまだしも迷いなく変事の解明と浄化に身を粉にするが、下巻で敏夫が真相を看破し対立する「屍鬼」の存在を知ると、その性質故に己の正義を疑い、彼等を狩ることに躊躇を覚え退け腰になっていく。その主題の起こし方から静信の実際の行為、ひとつひとつが自然に流れていき違和感がない。合間合間に綴られる人々の感情や理性・狂気がいわばアクセントとなり、物語の本流に位置する者たちの「哀しみ」を浮き彫りにしている――作品の過剰な厚みは、つまりこの「哀しみ」を精製するための濾過装置のようなものに思えた。ホラーという看板とそれに添う緻密な舞台装置を用意しながら、圧倒的なのは奪われていく恐怖ではなく齎され得ない「哀しみ」なのだ――或いは「恐怖」とは「哀しみ」の一現象なのだと、そう論じたいのではと勘繰りたくなるほどに、作品世界の哀しみは後半の闘争にいたってなお深まっていくのである。
あまりの長さに倦むこともあるが、読み手の興を殺がないために常に謎や引き、細かな布石を鏤めており、叙述の完成度の高さも相俟って飽きは少ない――ただ長すぎるが故の飽きはやはり免れないけれど。それにどれ程面白い、といった処で稀に見る長大さは現実であり、読み進める過程は宛ら富士登頂を試みるかの如くに感じる。だが、登頂したのちの感慨は清澄で尚かつ重々しく、その深沈たる余韻を堪能するためには、厚みに屈することなく読み切っていただきたい。特に後半、最終部の怒濤の展開は文字どおり巻置く能わざるで、読書の楽しみを充分に満喫できる筈。二点、会話文の殆どが堅苦しく不自然の感を招いたり、静信や敏夫以外の人物の視点で語っている際、屡々唐突に視点の交代が行われ、戸惑わされることが多いのが難だが、このぐらいは瑕疵と言ってもいいだろう。文句なく、傑出したエンタテインメントである。(2000/2/18)