Book Review 東野圭吾編

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東野圭吾『むかし僕が死んだ家』
1) 双葉社 刊 / 1994年5月刊行
2) 講談社 刊 / 文庫版(講談社文庫・所収) / 1997年5月15日付初版 / 本体価格456円 / 2000年2月9日読了

 七年前に別れ、先の同窓会で気まずい再会をしたかつての恋人・倉橋沙也加から、不意に電話がかかってきた。一年前に亡くなった彼女の父親の遺品に混ざっていた、一本の鍵と『松原湖駅』という地名の見える手書きの地図。そこにあるかも知れない、彼女の幼少時代の記憶を探し出すために、一緒に来て欲しい、と請われ、私は土曜日に彼女を車に乗せて、長野は小諸の程近くにある松原湖を訪れる。
 手書きの地図を頼りに探し当てたその場所には、朽ちかけた異国調の一軒家が佇んでいた。私達は遺品の鍵で地下室に通じる扉を開きその中に侵入する。ボルトで固く閉ざされた玄関、奥付に鉛筆で値が書き込まれたSL雑誌、誰の為とも誰が編んだともつかない編みかけのセーター、そして一斉に十一時十分で時を刻むことを止めた全ての時計。誰かが暮らしていた痕跡を留めながらなぜか生活感から縁遠いと思わせる、外界から隔絶された家。好奇心に突き動かされるままに探索を続けた私達は、やがて発見したある少年の日記を契機に、少しずつその家の正体を、沙也加の過去を掘り起こしていく。

 最近の作品を例に取るまでもない。東野圭吾は優れたテクニシャンである。ほぼオールラウンドな作風であり、本格ものもサスペンスも社会派も冒険ものも一通りこなし、旧作を並べてみても傾向的に偏りがない(松本楽志さんの説では、唯一幻想だけは描いていないようだが)。ただ、私はチェックばかりしていて実際に読んだ作品の数が少ない所為もあるのだろうが、東野圭吾に対するイメージは却って固まっている。読んだ作品は『ある閉ざされた雪の山荘で』(個人的にはベストだと思ってます)、『宿命』、『十字屋敷のピエロ』など――別にそう狙って選んだ訳ではないが、殆どの作品が本格、或いは本格派の意識を孕んだサスペンスに限られていた。従って、未だに私が東野圭吾に抱いているイメージは、本格推理作家のそれなのだ。
 本編でもその印象は裏切られていない――というより、より一層強まってしまった、と云うべきか。プロローグから既に随所に埋め込まれた伏線がじわじわと解されていき、エピローグまでにほぼ一本の糸としてその正体を曝けていく快感。実体のある登場人物は僅か二人である(店のおじさんとかいったちょい役は除外して)というのに、謎と物証の発見、それらに基づく試行錯誤のみでサスペンスを体現してしまう筆致の巧みさ。依然充分に動機の示されていない謎もままあり、そこが些か歯痒いが、背筋に一本固い芯の通った佳作であると思う。
 敢えて難を云ってしまえば――これは東野圭吾の他の作品にも云えることだが、その乾いた無駄のない文体が、著作を複数読んできた者に時として似た作品を読まされているような錯覚を齎してしまうことだ。バラエティックな作風に関わらず安定した質の作品を供給できるという利点の反面で、伏線やロジックのために一行たりとも忽せにしない本格ものを愛好するような読者、作品の傾向や位置づけを重視して読む書評家や評論家であれば、文体の類似などに気を取られず作品一個として評価を下すことも楽しむことも可能だが、小説に展開の妙やサスペンスを求める向きにとっては、或いはこれはマイナスとなる資質かも知れない。無論、単品で読む分には全く支障がないのだけれど、数作立て続けに読んでしまうと、読後に個々の印象が混ざってしまい、何を読んでいたのか解らなくなる、という弊害はないか、と感じたのだが――そういう読み方をしたことがないので(多分暫くは無理だろうな……よよよ)実際の処は判然としない。
 ともあれ、出来るのであれば味読していただきたい一編である。ストイックな本格ものに飢えている方にはお薦め。

(2000/2/13)


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