Book Review 京極夏彦編

『書斎』トップページに戻る
『若おやじの殿堂』トップページに戻る


京極夏彦「百鬼夜行 -陰-」
1) 講談社 / 新書版(講談社ノベルス) / 1999年7月15日付初版 / 本体価格980円 / 1999年8月5日読了

 もはや説明を必要としない京極夏彦の代表作「妖怪シリーズ」の、外伝的位置づけの短編集。小説現代誌上に散発的に掲載されたものに書き下ろし一編を加えた構成である。
 「姑獲鳥の夏」に端を発する一連のシリーズは、継続するごとに登場人物の数が膨張の一途を辿り、既に大河小説的な様相を示している。本書はそうした登場人物の特定の一人にスポットを当て、シリーズ本編では語られなかった彼等の「過去」に纏わる怪異を綴っている。
 どんな怪事を扱っても最終的に理を恢復するシリーズ本編と異なり、本書で語られる怪事には基本的に解決はない。物語は登場人物のそれぞれが模糊とした不安や脅威に苛まれる様を描き、最終的にその情緒不安の原型を見出すところで括られる。シリーズ本編では怪異に「妖怪」という名前を与え、それに準えた手段でもって祓うのがパターンだが、こちらは「妖怪」の正体を明かした処で終っている訳だ。当然本編のようなカタストロフィはないが、登場人物を襲った「恐怖」の姿は確実にこちらに伝わってくる。様式としては落語の怪談に近いのだろうか?
 「恐怖小説」ではあるが読んでいてもこちらが恐怖を感じることはさほどない。作者の目的は登場人物各々の「恐怖」の源流を描くことにあるのであって、読者を恐怖させることではなさそうだ。所謂「ホラー」を期待すると肩透かしを食わされるが、「恐怖」そのものを語る「怪奇小説」としては間違いなく一級品だろう。
 シリーズ本編を知らなくとも充分に味わえるが、本作品の後でも先でも一度は触れておいた方がより感慨は大きくなると思う。個人的には「目々連」と「川赤子」がお薦め。


京極夏彦「巷説百物語」
1) 角川書店 / 四六判ハード / 平成11年8月31日付初版 / 本体価格1900円/ 1999年9月11日読了

 季刊誌『怪』で創刊号から連載する一連の短篇を加筆訂正、書き下ろしの『帷子辻』を加えて一冊に纏めた連作集。
 京極夏彦二冊目の短編集である。題名や構成が前作の『百鬼夜行-陰-』と似通っているため、内容的にも近しいものなのかと錯覚していたのだが、あちらが純粋な怪奇譚であるのに対し、本書はいわば妖異の影を纏った捕物帳といった風情である。
 全作品に道化役として登場するのは御行装束に身を包む小股潜りの又市、山猫廻しのおぎん、事触れの治平。これに連作の第一編『小豆洗い』で彼等と知遇を得た考物作者の山岡百介を加えた四名である。怪異譚を蒐集して諸国を巡る百介を除けば、何れも後ろ暗い過去を持った小悪党連中である。だが彼等は互いの一風変わった技量を用い、人々の要請を受けては世俗に流布する怪談や妖異を隠れ蓑に、表沙汰に出来ぬ罪悪や揉め事を解消しているのだ。あくまでも依頼者から頂戴する金銭が目的であり、自らも「大義名分たぁ縁がねぇ」と言い切る彼等だが、労を厭わず常に最善を求める有様は、正義ぶらぬが故に粋で潔い。
 各編にそれぞれ副題として『絵本百物語』から抜粋した妖怪の名が掲げられているが、それらはあくまでも事件の象徴であり、妖異を鍵に事件を合理的に解体していく、という作りは『妖怪シリーズ』とほぼ同一である。だが、事件としての性質は『妖怪シリーズ』などよりも遙かに現実的なであり、よりオーソドックスな形のミステリである、と深川には見えた。所謂殺人事件や拐かしといったあからさまな謎は提示されないが、終始思わせぶりな語り口で徹底的に読者を引きずり回した挙句に、最終章に至って急激に陰陽反転させる手管は相変わらず巧い。短篇でありそれぞれの登場人物がからくりの一部となって事件の当事者を翻弄する、というスタイルの所為か『妖怪シリーズ』ほどキャラクターが立っていないのが難とも言える(加えて御行の又市はその造形に屡々京極堂との類似が垣間見える)が、一旦シリーズとしての定石が理解できれば宛ら倒叙物を読むような興趣が生じ、人物像の曖昧さなど殆ど気にさせない。怖ろしく論理的な組み立てのために、『舞首』などは複雑すぎてすぐに構造が理解できないなどの難点もあるが、そうした面も含めてやはり「捕物体裁のミステリ」と捉えて読むのが正しいように思った。
 深川個人としては、シンプルな伏線がある人物の奇行を明瞭に解きほぐす『塩の長司』と、御行の又市が洩らす呟きの生々しい『帷子辻』の二編が忘れがたい。

(1999/9/16)

[附記]
 本書を説明する上で、他に適当な物が思いつかず便宜的に「捕物帳」という形容を用いたのだが、どうも据わりの悪さが拭いきれなかった。本稿を書いてからあれこれ思い悩むうちに、漸く一番相応しい表現に突き当たった。
 これは「必殺仕事人」なのである。京極夏彦は貫井徳郎とともに「必殺」シリーズの愛好者として知られており、そう考えれば主人公たちが社会の暗部に属する人々であることも一切が秘密裏に進められていく構成も、何より御行の又市らがああいう造形になった理由も腑に落ちる。この連作は京極夏彦が自らの流儀で描いた「仕事人」たちであり、いわばオマージュなのであろう。「必殺」について深川は明るくないのでこれ以上の言及は避けるが、「必殺」シリーズを愛好する方はそうした観点で読まれるのも一興かも知れない。
 ……って書いたらフクさんがもう指摘してるやん。あーあ。

(1999/9/17)


京極夏彦『どすこい(仮)』
1) 集英社  / 四六判上製 / 2000年2月10日付初版 / 本体価格1900円 / 2000年2月23日読了

 京極夏彦ご乱心。扉と本文の間に挟まれた遊びの部分の紙質がもうグッド。

「四十七人の力士」 by 新京極夏彦
 原典:池宮彰一郎『四十七人の刺客』
 四十七人デブ大行進in元禄。
 このオチひとつのために40ページ以上も費やすか普通。原典の直後に読んでしまうと悲劇である。あああの凄絶な決戦の一幕が一瞬にしてふんふんと鼻息揃えた紅顔のお相撲さん大行進に……

「パラサイト・デブ」 by 南極夏彦
 原典:瀬名秀明『パラサイト・イヴ』
 遺伝子?工学対氷づけデブ一万年もの。
 舞台設定はどっちかというと『BRAIN VALLEY』みたいだと思った一瞬だけ。それとミトコンドリアが肥えてても宿主の身体そのものが肥大するとは思えないのだが。

「すべてがデブになる」 by N極改め月極夏彦
 原典:森 博嗣『すべてがFになる』
 デブとおたくと地下遺跡と出られない密室。
 雑誌掲載当時、このネタで三ヶ月引っ張ったという事実が驚異的だと思う。それでいて流れは必然的だし(全く必然性がないのがしりあがり寿氏の漫画)。それにしても神崎好きだ。

「土俵(リング)・でぶせん」 by 京塚昌彦
 原典:鈴木光司『リング』『らせん』
 呪いのでぶせん同人誌小説。そしてループ。
 ドリフのコント並に内容なし。というかこれは「本」という体裁を最大限に活用したコントそのものじゃないか。カバンから水筒を出した段階で私は屈しました。

「脂鬼」 by 京極夏場所
 原典:小野不由美『屍鬼』
 藪医者と生臭坊主と新鮮且つ活きのいい屍体。
「新徳丸」なんて異常なマニアか関係者ぐらいしか解らないと思うのだが。本作品集中唯一、原典のモチーフを完璧に敷衍しながら徹底的に破壊することに成功してしまった作品。小野不由美氏自身は兎も角、ファンは覚悟して読まないと本気で切れます。
「由利徹」で受けてしまったことに愕然とした。

「理油(意味不明)」 by 京極夏彦
 原典:宮部みゆき『理由』
 なにゆえ京極夏彦はこんなアホな小説を書いてしまったか。それは花も恥じらう乙女で親子三代の悲願だから。
 作中に登場するイニシャルが指し示す実在の人物を一体何人言い当てられるかでその人のマニア度が計測できます。「土俵・でぶせん」で兆し、「脂鬼」で熱くなったボケツッコミがいよいよ沸騰してしまった。ぼんご。

「ウロボロスの基礎代謝」 by 両国踏四股
 原典:竹本健治『ウロボロスの基礎論』
 宇山氏は見た。京極夏彦が四十七人の力士に連れ去られていくのを――。
 もう何も言いますまい。ここまでやれば今後怖いものはないだろうなきっと。唯一の書き下ろしで作品集としての要の役を為しているが……別に要らないよな。
 因みにこれでも絶賛してます。

 語ること自体が野暮と言うよりそんな気力すら萎えさせる怪作。途方もない寛容さと京極夏彦に対する愛が必須である。それなくして迂闊に読んでしまったあなた、遠慮することはない、京極夏彦にお見舞いして差し上げなさい、頭捻りを。詩的だ。どこがや。

(2000/2/23)


『書斎』トップページに戻る
『若おやじの殿堂』トップページに戻る