Book Review 津原泰水編

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津原泰水『蘆屋家の崩壊』
1) 集英社 / 四六判ハード / 1999年6月30日付初版 / 本体価格1500円 / 1999年9月17日読了

  奇縁と豆腐に対する偏愛という共通項でもって友人となった猿渡と伯爵が、果たして何れの業がもたらす災いか、方々で遭遇した怪異を語る連作短編集。以下、各編の粗筋と簡単な所感を記す。

『反曲隧道』 猿渡・伯爵コンビの記念すべき第一作。幽霊の名所と噂されるトンネルと、猿渡が二束三文で入手したシトロエンの秘密。一作目にして完成された猿渡文体とも呼ぶべき濃密な描写が、そのくせやたら淡々と怪異を剔出する。饒舌さの中にさりげなく鏤められた部品が、見事に終端の悪夢を浮き立たせている。
『蘆屋家の崩壊』 旅先の成り行きで、猿渡が大学時代に親交を持った女の生家を訪れる二人。蘆屋道満所縁のその地に祀られる稲荷と、執拗に狐憑きを怖れる、あまりに面立ちの似すぎた家人たち。古く甘い記憶が期せずして猿渡と伯爵を危機に追い込む。怪奇小説としてもそうだが、物理的にも心理的にも形成された閉鎖状況からの脱出を描く冒険譚とも読める。手垢の付いた素材だが造形が秀逸なため気にならない。ともあれ豆腐は食いたい。
『猫背の女』 とあるコンサートで猿渡は座席を一人の女に譲る。友人を辿ってわざわざ礼の電話を寄越したその女は、異様に反り返った猫背と病的な執念の持ち主だった。本作品集で唯一伯爵が登場せず、また超自然的なロジックが用いられていない短篇。一種のサイコ物だがそうと単純に割り切らせないのは最後まで猿渡の私的な悪夢として描かれ続け、脅威が猿渡共々読者を翻弄するだけ翻弄して過ぎ去ってしまうからだろう。掌の聖痕が全てを美醜取り混ぜたまま象徴する。
『カルキノス』 伯爵の記憶に残る蟹の味目当てに、猿渡は伯爵の静岡行に同道する。紅蟹の収穫で財を為した六郷だが、その細君は夜毎窓際に現れる巨人の幻影に悩まされていた。漁師たちが畏怖するように、それは紅蟹の障りなのだろうか――? 人物の配置、舞台設定はミステリ的ながら、それをさらっとひっくり返してしまう結末が異様。終始飄々と事態を眺めている猿渡が妙な味を出している。それでも蟹は食いたい。
『ケルベロス』 『カルキノス』にて知遇を得た女優に請われ、彼女の生地に頻発する不幸の原因究明に乗り出した伯爵と、それに何となく付き合わされる猿渡。20年ほど前から災厄が絶えず、四方に傷跡を残す村。女優は、事故によって不自由な躰となっている双子の妹と共に、災いの端緒として村人から疎んじられていた。伯爵はその理由から怪異の根元を探る。日本神話に突如放り込まれた西洋の幻獣、奔放なイメージがけれど破綻なく纏まっているのは、猿渡と女優の妹との交流が物語に一本筋を通しているからだろう。とりあえずすき焼きが食いたい。
『埋葬虫』 銀座でカメラを渉猟し歩いていると、猿渡はばったりと旧友に遭遇した。旧式の名器を貸してやる、という甘言に導かれて旧友の家を訪れると、そこには虫を喰らい続けた挙句に衰弱した男が仰臥していた。旧友の頼みで富士樹海まで撮影に参じた猿渡は、カメラに棲みついた虫を発見する。実に美しく綴らていながら、終幕に伯爵が洩らす想像が全てを覆し、あとに計り知れぬ怖気を残す。基調となる案はありきたりだが、僅かなひねりが衝撃的である。蟲は……食いたくない。
『水牛群』 職場での軋轢を契機に神経を病み、不眠・拒食・暴飲と退っ引きならない状態に陥った猿渡を、伯爵はとあるホテルへ誘った。衰弱した体に鞭打ち渇を癒すため訪れた料理屋で、猿渡は女将に水牛を勧められる。請われるまま店員に付き従った猿渡を、湖に群居する水牛たちが迎える。――生々しいモチーフを華麗に美しく描写し、その中に猿渡の切実な苦しみと哀しみを投影する。これ以前の物語では露わにされなかった猿渡の本質的な繊細さがそのまま脅威となり痛痒となり憐憫となりひしひしとこちらの胸を締め付けて止まない。水牛は食いたいような気もするがここまで追い込まれたくない。

 何処を切っても甘く芳醇な薫りが液となって滴り落ちてきそうな高密度の描写。幾ら美辞麗句を重ねても浮つくだけなので、率直に以下の一言のみに全てを託したい。
 ――ここに私の理想の一つが顕現している
 お見事です。

(1999/9/18)
(1999/9/19修整)


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