cinema / 『赤ずきんの森』

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赤ずきんの森
原題:Promenons-nous dans les bois [森を散歩しましょう] / 監督・脚色:リオネル・デルプランク / 脚本:アナベル・ペリション / 音楽:ジェローム・クーレ / 出演:ヴァンサン・ルクール、クロチルド・クロウ、クレマン・シボニー、アレクシア・ストレシ、モー・ビュケ、フランソワ・ベルレアン / 配給:Pony Canyon、東京テアトル
2001年11月3日日本公開
2002年05月15日DVD日本版発売 [amazon]

[粗筋]
 夜更けの暖炉の傍らで、母は眠る子に「赤ずきん」の物語を読み聴かせる。今日はここまで、と本を閉じ、プレゼントを託したその直後に、母は何者かの手によって殺されてしまった……
 ウィルフリッド(ヴァンサン・ルクール)ら学生劇団のメンバーは、連続レイプ犯の出没を告げるラジオをBGMに、森の中で車を走らせていた。目指すは森の奥にある古城、彼らはアクセル・ド・フェルセン(フランソワ・ベルレアン)という老紳士に招かれて、アクセル氏の孫・ニコラ(ティボー・トリュッフェール)の誕生日に演劇を披露することになっていた。メイドは休暇で不在、代わりにアクセル氏に使われているのは森の密猟監視員として雇われていたステファン(ドゥニ・ラヴァン)。発作的に癇癪を起こし、何故かウィルフリッドに執心するアクセル氏、言葉ひとつ漏らさず感情を細波すら表情に浮かべないニコラ、自身の扱いに不満を覚えつつ剥製作りに余念のないステファン。学生達もまた、それぞれに思惑を孕み人間関係に歪みを生じていた。不気味な気配を漂わせながら、誕生祝いの夜は更けてゆく。劇が終わったあとの深夜、城の一室で劇団のメンバーがダンスに興じていると、不意に刑事(ミッシェル・ミュレール)が訪れた。刑事は報道されたレイプ犯がこの界隈の森に逃げ込んだと彼らに告げると、また夜の闇へと姿を消した。
 学生劇団のメンバーは、ソフィー(クロチルド・クロウ)を除いた四人で森の中を彷徨い、その不穏な空気を脳天気に愉しむが、気付くとはぐれてしまっていた。ひとりひとりと城に戻るも、マチルド(モー・ビュケ)の姿が見当たらない。彼女と恋人同士の関係にあるマチュー(クレマン・シボニー)が彼女と共に宛われた部屋に戻ってみると――そこは、血の海だった。そうして若者たちは初めて、この城に“狼”が紛れ込んだ現実を悟る――

[感想]
 半年くらい寿命が縮まりました。
 曰くありげな冒頭、無謀な若者たち、鬱蒼とした森の奥にある古城と薄気味の悪い住人たち、徘徊する犯罪者、密室と化した舞台で必然的に巻き起こる狂気の殺人劇。もうこれ以上は考えられないほどオーソドックスな設定に基づいた、典型的なホラーである。それでいて何処か趣が異なるように感じるのは、悲鳴と血の色に頼っておらず、ラストまで非常に静かに推移するからだろう。
 恐怖を煽るのは狂騒的な虚仮威しではなく、ツボを押さえた演出の微妙な呼吸である。ホラー映画の悩みのひとつは、演出の方向性で次の手口が見えてしまうことだ。こういうカメラワークが来たら次はこういう展開が、こういう音楽の流れだったらここで次の衝撃が、という具合に、すれっからしの観客ほど先が読めてしまう。本編では終始静かな筋運びの中に、通常のホラーをなぞった演出を挟みながら微妙に恐怖とは違った表現を見せておいて、一瞬油断したところへ悪夢を突き付ける、という方法を選んでいる。展開が穏やかなので、油断できないと身構えている時間が長く最後まで緊張が途切れない。そういう意味で、オーソドックスであるからこそ上質のホラーに仕上がっている。
 ひたすらに裏を掻くような演出を心懸けた所為もあるのだろう、プロットには説明不足や意味不明の展開、検討しても説明の付かない破綻箇所も見受けられる。しかし、そういう点もひっくるめて何度も観たいという気分にさせる点、非常に良くできた作品という感触があった。ストーリー展開そのものが題名にあるように“赤ずきん”をなぞっており、最終的に「赤ずきん」は狼を倒し猟師と共に脱出するのだが――クライマックス、ある登場人物が見せる笑顔はカタルシス以上に不気味な余韻を残す。剣呑な予感を齎す結末に至るまで、恐怖に対する誠実さを窺わせる秀作。無理があっても許してあげよう。

(2001/11/17・2004/06/18追記)


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