cinema / 『ブレス・ザ・チャイルド』

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ブレス・ザ・チャイルド
原作:キャシー・キャッシュ・スペルマン / 製作:メイス・ニューフェルド / 監督:チャック・ラッセル / 脚本:トム・リックマン、クリフォード・グリーン、エレン・グリーン / 音楽:クリストファー・ヤング / 出演:キム・ベイシンガー、ジミー・スミッツ、ルーファス・シーウェル、ホーリストン・コールマン、クリスティーナ・リッチ / 提供:Pny Canyon、GAGA Communications  / 配給:東宝東和、GAGA-HUMAX
2001年12月1日公開
2002年06月19日DVD日本版発売 [amazon]
公式サイト : http://www.B-T-C.jp/

[粗筋]
 2000年振りにヤコブの星が天に登った1993年のクリスマス、マギー・オコナー(キム・ベイシンガー)は1人の赤子を授かった。何度もの流産の末に夫と別れ、以来孤独に過ごしていた彼女の元を久し振りに訪れた妹のジェナ(アンジェラ・ベティス)は、マギーが目を離した隙に、生後九日の乳飲み子を置いて失踪してしまったのだ。
 それから六年、マギーは妹の娘――コーディ(ホーリストン・コールマン)を必死に育てた。精神科の看護婦として忙しく働き、少ない稼ぎから養育費を捻出しながら、コーディを実の娘のように慈しみ愛し育てた。頭を盛んに前後に振る、反復行動が頻繁である、注意力散漫など精神障害の兆候を窺わせ、マギーの恋愛を妨げもしたコーディであったが、マギーにとって間違いなく大切な家族であり、医師から施設に預けることを進められてもおいそれと頷けるはずもない。またマギーには、コーディの行動はみな彼女の秘めた特異な才能の片鱗ではないか、という予感もあった。
 復活祭に街が浮かれ始めていたその頃、街では陰惨な事件が繰り返されていた。コーディと同じ年の子供達が誘拐され惨殺されて帰ってくる。五度目の凶行を受けて、神学校出身という変わった経歴を持つFBI行動科学課所属の捜査員・ジョン・トラビス(ジミー・スミッツ)が派遣された。彼は被害者それぞれに共通するふたつの特徴――全員にルーン文字を使った焼き印が捺されていたこと、そして誕生日が一致していることから、一連の犯行が悪魔を崇拝するカルト教信者によるものであると指摘する。
 一方、マギーは救急病棟を手伝っている際、麻薬中毒の女性・シェリー(クリスティーナ・リッチ)を任され、採血するときに手首に施された歪んだ矛の形をした入れ墨に一瞬見入る。シェリーは薬漬けにされてある集団に拘束されていた、と語り、その言葉の中にジェナの名前が出てきたことにマギーは驚愕する。だが、問い質すとシェリーはしらを切り、その代わりに「子供を守ってやって」と言い、忙しさにマギーが注意を逸らした隙に病院を抜け出してしまう。
 いつものように修道院の保育所にコーディを迎え、家に戻ってみると、そこにはジェナがいた――新しい夫、エリック・スターク(ルーファス・シーウェル)に連れられて。ジェナとエリックは、六年に渉ってコーディを愛し育ててきたマギーを無視し、強引に娘を引き取ろうとする。『新生会』という宗教組織のリーダーであるエリックはその財力にものを言わせてマギーを脅すが、マギーは決して退かなかった。けれど、話の間マギーの部屋にいたはずのコーディは、既にエリックの手のものによって連れ去られていた。
 マギーは警察に訴えるが、親権争いと判断され取り合って貰えない。だが、たまたまそこにやってきたトラビスが彼女の話に耳を傾けた。トラビスは、書類に記されていたコーディの誕生日が、一連の事件の被害者と同じ12月16日であることに気付いたのだ。

[感想]
 サイコサスペンスのように見せかけたオカルトスリラーにして実は単純なサスペンス。作りをよーく観察するとそういう結論に達する。
 貶しているのではなく、寧ろツボを押さえた端正な作品だと評価している。細部に無理があったり説明不足でいたずらに観客を混乱させている嫌いのある箇所も認められるのだが、12月16日生まれの子供を付け狙う殺人犯たちと、家族として姪である少女を懸命に守る母、そしてそれを救う見える手と見えざる手、という基本の構図は揺るがないし、下手をすると複雑になりかねない筋を明解に説明しており、その意味ではハリウッド映画の成熟を感じさせる作りとなっている。VFXを駆使し中空に悪魔を舞わせたり寝室に夥しい鼠の群を描いてみたり、と如何にもオカルティックな描写を交えながら、実は事態の解決そのものにオカルトの要素は殆ど用いられておらず(ただコーディの能力だけが明らかなのだ)、ベースはあくまでわが子を救うために奔走する母の物語であり、単純明快なサスペンスであることを巧妙に覆い隠している。だから駄目、というのではなく、そのままでも決して不出来でないプロットを超自然的な要素で包むことにより、通常のサスペンスともオカルトスリラーとも微妙に違った味わいを演出した点で良くできた作品だと思う。
 ただ、それを踏まえた上で欲を言うなら、悪魔対神の構図を簡単に登場人物それぞれに当て嵌めず、主要登場人物がその狭間で揺れ動く様を多少盛り込んでくれたら、もっと深い作品になったのではないか。カルト教団による犯罪――特に児童虐待の問題、アダルト・チルドレンの問題など現代社会の暗部と宗教的対立とを同時に描くにしては、後者が若干なおざりにされていた感があるのだ。また、異様にすっきりと事態が収拾してしまった(いちおう、クライマックスと呼ぶに相応しいものではあったが)ことにも多少の物足りなさを覚えた。
 とは言え、随所で背筋を凍らせるような展開があり、終始絶えない緊張感と相俟って、サスペンスとしては充分及第点と言えるだろう。聖書への言及や比較的しっかりした科学捜査の知識(上からペンキを塗ってもルミノール反応は検出される)など取材の確かさも物語の重厚さに寄与している。あくまで旧来のオカルトもの・サスペンスものの延長上でしか評価は出来ないが、その前提であれば水準以上の作品と言ってもいい。何せ、コーディ役のホーリストン・コールマンに不思議な迫力がある。

 それにしても不思議なのは、作品内容に添わない広告の仕方である。「『エクソシスト』の恐怖と『シックス・センス』を超える驚愕の真相を併せ持つ」――どこが? 『エクソシスト』は未見なので語る資格はないが、本編の驚愕が『シックス・センス』と比較できる種類のものでないことは断言できる。本編の焦点は、恐怖は兎も角驚愕の真相になんかないだろう? アレの何処に驚愕があるの? ちゃんと映画見てる? 私が管理してたらこんなコピー作った奴に給料やらないぞ?? 観客に怒られたくないだろう?! それに、こういう本質的にサスペンスでしかない作品を、同じ製作者とは言え『オーメン』と対比させるのはどうだろうか――まあ、こっちは製作者自らが口にしたこととして記されているので、本当ならば致し方ないことだが(あちらのスタッフはそういうリップサービスを欠かさないし)。
 理解に苦しむことがもう一つある――原作者の扱いの低さ。そもそも私が本編を見に行くと決めた段階で原作ものだと言うこと自体が知識になかったくらいで、広告にも小さく記されているのみ。それどころか、プログラムに作者のプロフィールすら記載していない。ただ、作品紹介から本編によって「女性スティーヴン・キング」という評価を本国で得た人物であること、プロダクション・ノートから1993年、原作の準備稿段階から映画化の話が持ち上がっているあたりにそれなりのキャリアがあることなどが察せられるのみである。過去にどんな傾向の作品を執筆したのか、本書以降どのような活動をしているのか、という基本的なことにすら言及がない。挙げ句の果てには、公式サイトではこの原作の翻訳本を「ノベライズ」と表現している有様。呆れてものが言えません。
 ――というわけで、これから御覧になる方は、広告で聞かされた内容をいったん忘れてください。その方が安心して観られます。作品自体は一定のレベルに達しているのですから。

(2001/12/1・2004/06/18追記)


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