cinema / 『電撃 [DENGEKI]』

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電撃 [DENGEKI]
監督:アンジェイ・バートコウィアク / 製作:ジョエル・シルバー&ダン・クラッキオーロ / 出演:スティーヴン・セガール、DMX / 配給:Warner Bros.
2001年8月日本公開
2001年11月23日DVD日本版発売 [amazon]
公式サイト:日本=http://www.warnerbros.co.jp/archives/dengeki/、オリジナル=http://www.exitwounds.net/
銀座シネパトスにて初見

[粗筋]
 オーリン・ボイド(スティーヴン・セガール)はデトロイド市警の鼻つまみ者だった。武道に長け実力・実績は折り紙付きだがあまりに強引な仕事ぶりで幾度も警告を受けている。とどめは、銃器規制の急先鋒である副大統領が演説からの帰り道、護衛の警官に紛れ込んだ武装テロリストに襲撃された際、事前に怪しい兆候を目の当たりにしていたボイドが単身現地に急行、負傷したSSに代わって副大統領を守ったものの車は強奪するヘリは落とす挙句には緊急手段の名目で副大統領を川に投げ込む有様。古い付き合いのある上司も流石に庇いきれず、とうとうボイドは管轄内の無法地帯として知られる15分署に転属させられる。
 新しい職場の乱暴な仕事ぶりに顔を顰めるボイドだったが、それは15分署側にしても同じことだった。女性署長マイケルヒー(ジル・ヘネシー)はボイドの素行を仕事上のストレスに起因するものと捉え彼を集団カウンセリングに参加させるがものの数分と耐えられずボイドは会場を出てしまう。その帰途、何やら植え込みの影から双眼鏡でビルの中を覗き込んでいる巨漢の黒人――TK(マイケル・ジェイ・ホワイト)を発見し双眼鏡を取り上げてみると、その視線の先で麻薬取引が行われている真っ最中だった。巨漢を車のフロントに手錠で拘束して現場を急襲するが、乱闘の挙句に一人を取り逃がし、もう一人のポケットからは警官バッヂが見つかる。その男はボイドと同じ15分署のモンティーニ(デイヴィッド・バディム)という刑事で、麻薬取引の潜入調査を行っていたところだった、と語る。
 この不始末によりボイドは交通警官にまで格下げされるが、慣れない仕事故余計に渋滞を助長してしまう。新しい同僚達からの嫌がらせを躱しつつ、ボイドはふと先日の潜入捜査で取引相手であったラトレル・ウォーカー(DMX)の素性に疑問を抱き、独自に調査を開始する。だが、その折りに立ち寄った警察備品庫で強奪の現場に鉢合わせ、50kgのヘロインは奪われたものの警備員を救出したことで、新人の相棒・ジョージ・クラーク(アイザイア・ワシントン)という足枷付の条件ながらも刑事課への復帰を認められる。後日ボイドはTKの経営するナイトクラブに侵入、大立ち回りの末ラトレルが刑務所入りしている黒人青年を頻りに訪ねている事実を知る。彼を訪ねたボイドだったが、男は頑なに口を開かない。その頑なさに、ボイドは引っかかりを覚える――

[感想]
 ……とまあ、ミステリっぽく筋を書いてしまった理由のひとつに、1時間41分というやや短めのスケールの割に登場人物が多く描写的にも判別しづらかったため初見ではところどころ展開を把握できていないためだ。そもそも何故警察備品庫に立ち寄ったのかが思い出せない。
 とまれ非常に謎は多くその辺は終盤でばたばたと明かされるが、それらは全てミステリ的なものではなく伏線にも乏しく、要はアクション部分を活かすためのパーツに過ぎない。セガールと彼を疎ましく思う人々と、そしてある意図を以て暗躍するグループとの戦いを、終盤まで緊張感溢れるものとするための。そういう意味で、これほど潔い娯楽映画もちょっと珍しい。実現可能かどうかは兎も角様々な趣向を凝らしたアクション・カーチェイス・銃撃戦、それらをある程度の説得力と共に繋ぎ合わせるためにストーリーは存在しているに過ぎない。ヒップホップのカリスマ(って書いてあるんだか)DMXを起用したことにより、従来のセガール作品と較べてスタイリッシュな雰囲気を備えてこそいるものの、そこはそれ、あくまでセガール流アクション映画のひとつの到達点として評価されるべきだろう。
 とは言え、実は本編、元パトロール警官が現役当時にパトロール車輌内で書き上げた小説が原典として採り上げられている、というあまり公表されていない事実がある。セガールはあくまで理想のヒーローであることに徹しているが、彼の扱いと舞台近辺の腐敗ぶりには妙な真実味が感じられるのだ、意外にも。前半、ただセガール演じるボイドと彼の周辺で頻発するトラブルを些か滑稽に描いている部分に、後半のこれでもかと襲いかかるアクションシーンを暗示するものがないのが、却って説得力がある――ように思わされてしまう。
 些か整理が雑、という感は否めないが、その息をも吐かせぬアクションシーンと独特のユーモアによって、なかなか優れた娯楽作品に仕上がっていると言えよう――ラスト5分を除いて。どうして駄目なのかは詳述しないが、極論するとクライマックスの現場からセガールらが立ち去ったところで席を立ってしまった方が余韻は悪くないのではなかろうか。いっそどのくらい変なのか確かめていただくために劇場を訪れるなどして戴きたい、と言いたくなるほど。……ほんとに、あれ、何のつもりだったの……?

(2001/9/1・2004/06/16追記)


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