cinema / 『London Dogs [Love, Honour & Obey]』

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London Dogs
原題: Love, Honour & Obey / 監督・脚本・製作・出演:ドミニク・アンシアーノ&レイ・バーディス / カラオケ演奏:ジョン・ベケット / 主題歌:ノエル・ギャラガー(オアシス)『Force of Nature』 / 出演:ジョニー・リー・ミラー、ジュード・ロウ、セイディ・フロスト、レイ・ウィンストン、リス・エヴァンス、ショーン・パートウィ / 配給:XANADEUX、Asmik Ace
2001年9月1日日本公開
2001年12月21日DVD日本版発売 [amazon]

[粗筋]
 ジョニー(ジョニー・リー・ミラー)は郵便配達の仕事に限界を感じ始め、幼い頃から憧れていた世界への転身を図る――ロンドンの暗黒街へ。古い親友で優れた美貌と知性とを備え組織でも一目も二目も置かれた存在となっているジュード(ジュード・ロウ)に口利きを頼み、ジュードの叔父で北地区一帯を縄張りとするボス・レイ・クリード(レイ・ウィンストン)に接触した。連れられて向かった先は何とカラオケバー……ジュードは、その舞台で恍惚と歌い上げているのがボスだ、と説いた。
 レイは当初難色を示すが、ジュードに面倒を見させるという条件でジョニーの組織入りを認める。しかし、メンバーの実態はジョニーの理想からはほど遠かった。武器は持たずに素手で戦うと壮語するファット・アラン(ペリー・ベンソン)に、妻のキャシー(キャシー・バーク)にマスターベーションの現場を目撃されて以来インポテンツに悩むバーディス(レイ・バーディス)と、一日三回のセックスライフを営みバーディスの精力回復を必死に手助けするドミニク(ドミニク・アンシアーノ)、そもそもボスでありながら恋人セイディ(セイディ・フロスト)との婚約に浮かれ農場経営に憧れるレイ、という具合に誰もが何処か俗っぽく仕事に熱心な様子はない。
 ジョニーは郵便物からクレジットカードを抜き取りそれを利用した金品の搾取で功を上げ、レイに評価されたことで些か有頂天になる。それから暫くして、レイの縄張りにあるゲームセンターに南地区の一味が踏み込み、レイの組織が卸した機体を撤去して自分たちの機体を置いていく、という事件が発生した。ジュードはジョニーを引き連れて南地区のボス・ショーン(ショーン・パートウィ)の許を訪れ、冷静な話し合いと解決を試みるが、ジョニーがショーンの部下・マシュー(リス・エヴァンス)に喧嘩腰の態度を取ったことで危なくこじれかかる。腹いせにジョニーはジュードと共にマシューが家族とショッピングに訪れた駐車場で、マシュー一家の車のガラスを割り『MUG』というペイントを残して去った。ジョニーの仕業と気付いたマシューはすぐさまレイ一味の根城とするカラオケバーにやって来るが、レイに追い返される。
 味を占めたジョニーは、ジュードの目の前で南の傘下にある麻薬の運び人を殺害し、彼らの車に隠されていた麻薬4sを奪う。――そしてこの一事が、退っ引きならない結末への決定的な引き金となるのだった……

[感想]
 まず、この作品の一風変わった演出方法に触れねばならない。ひとつは、本作が大まかなアウトラインのみを予め用意し、あとは全て出演者の即興演技によって成り立っている、という点。製作者であるドミニク・アンシアーノとレイ・バーディスは前作である『ファイナル・カット』でも同様の趣向で撮影しており、出演者の技量と覚悟とを試すスリリングなこの手法に拘りを持っている模様。また『ファイナル・カット』はジュード・ロウが急逝したというシチュエーションの元、役者にそれぞれ実名・現実と同じ立場で登場させノンフィクション風の物語を構築しているのだが、本編は設定こそ完璧なフィクションだが殆どの登場人物は役者と同じ名前になっている。スクリーンでジュード・ロウがジュードと呼ばれているのに何故か違和感を覚えるのだった。
 さて、肝心の作品であるが……まあ、そこそこの出来だった。この緊迫感のある手法の弱点は、アドリブによって合間を繋げていくために、エピソードとエピソードが製作者の予測を越えて間延びしてしまったのが原因と思われる。細かい会話は非常に辛辣なウイットに満ちているのだが、それも切れ切れに連発されると段々飽きてくるのだ。エピソードそれぞれは結末への伏線が巧妙に張り巡らされているのだが、それが浮き彫りになってくる終盤までバイオレンス場面以外では緊迫感に欠ける嫌いがある。また、これはプログラムである方が指摘していることでもあるが、イギリスの感性で彩られたジョークはあまりに品がなかったり前提が解りにくかったりで、慣れていないと本気で笑えない(漠然とこれは妙な発言だ、と察することは出来るが)のが日本人にとっては些か傷と思えた。それにしても、やはり間延びした印象は拭えないと思うが。同じように犯罪者を題材にしたコメディ調のイギリス映画ならば、ガイ・リッチー監督による『Lock, Stock & Two Smoking Barrels』及び『Snatch』の方が格段に質は高い。
 しかし、前述の通り緻密に巡らされた伏線と構成の妙、何より出演者の殆どが見事な歌唱力を示すカラオケ場面を含めた音楽との融合ぶりは素晴らしい。全員本職か、相当カラオケで歌い込んでいると言われても納得の腕前だが、取り分けキャシー・バークのサポートに徹しつつも強烈な主張を感じさせる歌声、そしてジュード・ロウの「一体幾つの才能持ってるのだこいつは」と腹立つくらいの技術は一度確認して欲しい――但し、ジュードは本編では冒頭の『表通り、裏通り』という曲で全員が歌っている場面などでさわり程度を披露するのみで、それを惜しんだ当人とスタッフは何と別途にスタジオを確保して録音を行い、サントラにのみ単独のヴォーカル曲を収めているとのこと。ファンは聴け、というか私もいつか買う。また、製作者達が自負するとおり、ギャング映画の定石を一切合切破壊した造型は映画界全体から見ても大きな意義があるだろう。
 実の処、よく張り巡らされた伏線ゆえにラスト二十分ほどの展開は概ね予測がつき、その強烈な虚無感が得難い余韻を残す他は特筆するほど際立った出来ではない、と結論づけるのだけれど、製作者二人の方針に惚れて参加した出演者達の意欲、そして主要な役を占めた『ナチュラル・ナイロン』(ジュード、ジョニー、セイディ、ショーンにユアン・マクレガーを加えた五人を格とするイギリスの映画製作会社)の将来を予測させる活躍ぶりを反映した一作として、出来以上に意味のある作品であることは間違いない。イギリス映画に興味があるならばチェックする価値はあるだろう。個人的にはジュード・ロウ一人の美貌だけでもお金払って見た甲斐はあったと思ったんだけど。

(2001/9/15・2004/06/16追記)


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