cinema / 『陰陽師』

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陰陽師
原作:夢枕 獏 / 監督:滝田洋二郎 / 脚本:福田 靖、夢枕 獏、江良 至 / 音楽:梅林 茂 / 出演:野村萬斎、伊藤英明、今井絵理子、小泉今日子、真田広之 / 配給:東宝
2001年10月6日公開
2002年05月21日DVD発売 [amazon]
公式サイト : http://www.onmyoji-movie.com/

[粗筋]
 発端は千二百年の昔、桓武天皇とその弟・早良親王(萩原聖人)の対立にあった。謀反の疑いをかけられ頓死した早良親王の恨みは強く、魑魅魍魎の栖となった長岡京を早々と捨てた桓武天皇は、結界の守護の元に新たな都を立てた。それが、平安京。
 百五十年のち、なおも都には魑魅魍魎が跋扈していた。だが、天地の理に通暁し闇と光とを操り、跳梁する鬼や妖魔を祓う人々――陰陽師もまた都での地位を高めつつあった。高貴な血筋を引く右近衛府中将・源博雅(伊藤英明)はひょんな出来事から、陰陽寮の一人・安倍晴明(野村萬斎)と知遇を得る。晴明の実力は現陰陽頭・道尊(真田広之)に匹敵するものがあったが、人の所業を何処か涼やかに眺める晴明は役職に熱意を見せない。はじめは彼ら陰陽師に苦手を感じていた博雅であったが、松の木になった瓜の謎を鮮やかに解き明かした晴明の手管に魅せられる。
 その頃、時の帝(岸辺一徳)の女御・任子が敦平親王を授かった。それまで帝の寵を受けていたはずの祐姫(夏川結衣)は忘れられ、右大臣・藤原元方(柄本 明)は怒りと共に焦りを覚える。そこにつけ込んだのが、道尊であった。道尊は自らの精錬した陰陽の力を以て、敦平親王に呪をかける。病に蝕まれた親王を、だが救ったのもまた同じ陰陽師である晴明。平安京遷都の際に結界の守護として建てられた征夷大将軍・坂上田村麻呂を祀る塚を自らの式神・蜜虫(今井絵理子)と博雅と共に訪れ、その地で塚を守る女・青音(小泉今日子)に助力を仰ぐ。青音の身に一度敦平親王を縛した呪を移し、追って晴明の館で呪を祓う。あわよくば呪の源を割り出そうという晴明の目論見であったが、これは失敗する。
 翌日、晴明は青音もろとも捕縛され、右大臣元方の面前に引き出された。元方は敦平親王に呪をかけたのが晴明であるという疑いをかけるが、博雅の機転により登場した左大臣の諫言でどうにか事なきを得る。だが道尊は、去りゆく晴明の背中に、傀儡と化した兵士の刃を差し向けた――

[感想]
 ミステリ・ホラー読者には定番過ぎて、今更「陰陽師」ブームと言われてもいまいちピンとこないのが実状だと思うのだが、それは兎も角時流に乗ってか否か、伝奇ものの大家・夢枕獏氏の著作を原典に製作された映画である。
 所謂時代劇とは言うが、当然ながら戦国ものとも江戸時代のものとも性質は異なる。元々時代劇と一括りにされる中でも平安時代以前はあまり題材にされておらず、某国営局製作のものでさえ考証漏れが認められるほどだったようだが、その点この作品はしっかりしている――無論、この時代の資料には様々な解釈もあって一番正しい考証を判断するのは難しいのだが、少なくとも説得力はある。大幅に導入したCGによって当時の平安京を再現し、その禍々しい空気を銀幕に繰り広げてみせただけでもひとまず成功と言えよう。
 筋そのものは、『陰陽師』について些少の知識も持ち合わせない向きには新鮮かも知れないが、概ね定石を取っていると言っていい。それ以前に、陰陽道という飾りに目を奪われなければ、所謂ヒロイック・ファンタジーの王道を選んだ作風と捉えられる。ヒーローと心優しい青年の邂逅、事件の兆候と絶対悪の登場、哀しいロマンスに世界(この場合、京)を闇に覆い尽くそうとする野望の具現、終盤の直接対決。その奇を衒わない筋立てと、魔法のように描かれながらも呪文や環境作り・所作などに行き届いた考証によって説得力を具えた陰陽道の表現とによって、堅実な仕上がりとなっている。
 個人的には封切り以前から、予告編で垣間見られた野村萬斎の独特の色香を称えた演技に期待していたのだが、如何にも古典芸能の担い手らしい重厚な演技もあり不満がない。反対に心配していた博雅=伊藤英明の演技は、そのこなれていない所作が却ってキャラクターの純真さに力を添えていて、意外にも野村萬斎以上に嵌っていた。真田広之の迫力も、この際は言うことなし。
 とは言え不満もある。博雅と晴明が親しくなっていく様の描き込みが足りないことと、道尊が権力欲に囚われていた理由がいまいち解りにくいこと。前者はまあ、二人の役者がその友情と言うには妙に甘ったるい雰囲気を醸し出していたことでフォローされている、と考えることは出来るし、後者についても、敢えて背景を伏せたことで晴明との対立のみを明瞭にする(晴明の前身についても同様に描かれていないから)意図があったと捉えれば許容できるだろう――ただ、そこまで明確な意識があったなら、ここまでヒロイックな物語を用意せずにマニアすら唸らせるような筋書きを作って欲しかったようにも思うが。力はあるが殆ど晴明に翻弄されていただけにも映るような形ではなく、より緻密な奸計を張り巡らせ晴明と互角の戦いを繰り広げるような形で道尊を描いて欲しかった、と。まあ、この辺は好みだしここまでマニアックに組み立てて一般の観客に評価されるまでに仕上げるのもまた難物だとは思うのだけど。
 ともあれ、突出した部分はないが様々な技術・手法によって非常に手堅く仕上がった佳作。

(2001/10/29・2004/06/18追記)


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