cinema / 『スコア』

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スコア
監督:フランク・オズ / 脚本:カリオ・サレム、レム・ドブス、スコット・マーシャル・スミス / 音楽:ハワード・ショア / 出演:ロバート・デ・ニーロ、エドワード・ノートン、マーロン・ブランド、アンジェラ・バセット / 配給:日本ヘラルド
2001年9月22日日本公開
2002年04月17日DVD日本版発売 [amazon]
2004年07月14日DVD最新版発売 [amazon]
公式サイト : http://www.high-score.jp/

[粗筋]
 ニック(ロバート・デ・ニーロ)は世界を股に掛ける天才的な金庫破りだった。25年に渉るキャリアを堅実な仕事ぶりで飾ってきたニックだったが、カナダ・モントリオールに構えたジャズクラブが軌道に乗りはじめたこと、ダイアン(アンジェラ・バセット)という恋人が出来たことから、もうこれ以上危険に身をさらす必要はないと引退を考える。だが、そんな矢先に25年来の協力者であるマックス(マーロン・ブランド)がニックにとってもマックスにとっても例のない大仕事を持ち込んでくる。分け前400万ドルを提示されるが、獲物の保管場所がニックの地元であるモントリオールの税関ビルと聞いて即座に首を横に振る――長いキャリアの中でも、地元で仕事をすることなど有り得なかったのだ。
 日が変わって、ジャズクラブを出たニックは障害者と思しい青年に道を訊ねられる。場所を教えて立ち去ろうとしたニックの背中に、青年は「ありがとう、ニック」と呼び掛ける。即座にマックスの自宅に駆け込んで問い質すと、案の定その青年は税関ビルに障害者を装って二週間前から潜伏している協力者だった。追って再び姿を現した青年はジャック・テラー(エドワード・ノートン)と名乗り、早とちりを詫びつつ決断を迫るが、ニックはいよいよ頑なになった。非礼への報復としてニックは用心棒として使っている男をジャックの元に送り込むが、存外強かなジャックは返り討ちにする。しかし、余程ニックの技術が必要と見えて、ジャックもマックスも懐柔に懸命だった。ニックはジャズクラブのローンを完済できる額に分け前を吊り上げ、これを最後の大仕事と決めて話に乗る。目標は、輸送中のミスによって税関の地下金庫に納められた、17世紀フランスの王家に献上された“笏”。
 慎重かつ冒険を自制する仕事ぶりでこれまで生き延びてきた名人と、才能はあるが血気盛んで短気に走りがちな若者。腹の底を探り合いながらの計画は果たして成功するのか――?

[感想]
 名優三人でしかも一人はここ最近注目のエドワード・ノートンなのだからそれだけでもチェックの対象から外しがたい。
 内容は、この上なく基本に忠実なクライム・サスペンス。ストーリーだけを切り取ると、税関ビル侵入への下準備と実践、そうして怒濤のクライマックスと定石を踏んでいるだけ。その過程が非常に慎重に描かれていること、そして三世代の名優がそれぞれのキャラクターに巧みな肉付けを行っていること、この二点で決して特異でないプロットを見せ場の多いものに仕立て上げている。25年間慎重に仕事を積み重ね望むものを全て手に入れ、これを契機に泥棒稼業にピリオドを打とうとしている歴戦の金庫破り、才気走り慎重さを備えているが同時に自身の技量を過信しがちで短気の嫌いがある青年、この二者の異なる思惑を基本の背景に、やもすると短調になりがちな物語に渋めのメリハリを利かせている。その思惑や登場人物の心理とて決して珍しいものではないのに、味わい深いものと感じさせている点こそ三人の芸達者の面目躍如と言うべきだろう。
 映像的にも、モントリオールの枯れた佇まい、暗めの照明の中に穏やかな空気を漂わせるジャズ・クラブ、そしてモノトーンの色調に支配された税関ビル内と地下倉庫の雰囲気、展開に合わせた画面作りを感じさせて良し。ジャズを基調としたBGM(ビバップよりもモダンジャズに近いか? ――という定義自体実際はあまり意味がないんだがそれは兎も角)も併せて、一種の様式美を感じさせる端正な一本。要素ひとつひとつはさほど珍しいものはないが、全体としての完成度は高い。
 唯一不満だったのが、事前にマイルス・デイヴィスとキャノンボール・アダレイによる“Autumn Leaves”の演奏が劇中で使用されている、という情報を得ていたのだが、一体どこだったのか解らなかったこと。開店前のジャズクラブの場面あたりで、物語の中でBGMとして低く流れていたもののひとつがそうだったのでは、と思うのだが……。まあ、ジャズクラブで行われた生演奏そのものが上質だったし、通好みの音作りを弁えた作品そのもののサウンドトラックも充分聴きごたえがあったので良しとしよう。

 ――追記。これも事前に得ていた情報として、通常脚本に目を通してから出演を決めるエドワード・ノートンが、本編に限ってはロバート・デ・ニーロとマーロン・ブランドとの共演とあって即決したのだが、やはり脚本の出来に疑問符を投げ手を入れた(入れさせた?)らしい、というのがある。前述のように、映画としての出来はいいものの、その筋自体は決して格別出来のいいものではなく強いて見所を挙げるなら堅牢な金庫破りにニックが用いた手段ぐらいのものだろう。翻って考えると、ノートンがリテイクを出す前のシナリオは一体どんな代物だったのか、若干ながら興味を覚える。……まあ、何にしても、こういう手続を踏む以上今後もエドワード・ノートンが絡んだ作品はある程度の質を期待していい、というべきか。

(2001/10/8・2004/06/16追記)


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