cinema / 『ヤング・ブラッド』

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ヤング・ブラッド
原題:The Musketeer [銃士] / アレクサンドル・デュマの小説に基づく / 監督・撮影監督:ピーター・ハイアムズ / 脚本:ジーン・クインターノ / 音楽:デイヴィッド・アーノルド / 武術演出指導:シャン・シン・シン / 衣裳:レイモンド・ヒューズ、シンシア・デュモン / 出演:ジャスティン・チェンバース、ティム・ロス、カトリーヌ・ドヌーヴ / 配給:日本ヘラルド
2001年11月10日公開
2002年05月15日DVD日本版発売 [amazon]
公式サイト : http://www.youngblood.jp/

[粗筋]
 十五世紀初頭のフランス。足を負傷し現役を退いた元銃士の父と母とを目の前で殺されたダルタニアン(ジャスティン・チェンバース)は、ブランシェ(ジャン・ピエール・カスタルディ)の許に身を寄せると、いつか仇討ちを果たすために剣術修行に励む。それから14年後、優れた剣士となったダルタニアンは国王近衛銃士の詰め所を訪れるが、そこにいた三銃士と呼ばれる英傑のうちのアラミス(ニック・モラン)とボルトス(スティーヴン・スピアーズ)に暇を持て余し、他の銃士達も溜まり場となった酒場で自棄酒を呷るばかり。国政はルイ13世(ダニエル・メスグイッチ)の優柔不断ぶりにつけ込んだリシュリュー枢機卿(スティーヴン・レイ)に掌握され、枢機卿肝煎りの軍隊にのみ要人警護などの仕事が託され銃士達は実質的に用無しの存在となっていたのだ。
 その一方、リシュリュー枢機卿にも悩みはあった。直属の軍隊を監督するフェブル(ティム・ロス)はリシュリューの要求を拡大解釈し、国王の許を訪れる途中の使節を殺害してしまう。このときは銃士隊長に責任を押しつけて事なきを得るが、目の上のたんこぶになりつつあるのは避けようがなかった。
 ダルタニアンはまず投獄された銃士隊長を救出、翌日に計画されていた晩餐の席上で国王と王妃(カトリーヌ・ドヌーヴ)の警護が手薄であることを察すると、下水道経由で王宮に忍び込み、リシュリューの計略によって会席に乱入してきた農民らから国王らを庇い、無事に脱出させる。その見事な手際に危機感を覚えたリシュリューはダルタニアンの懐柔を試みるが、正義感と復讐心に燃える青年は屈する様子がない。だが、復讐心に燃えている点では、フェブルもまた同様だった。かつて元銃士の男を手に掛けたとき、果敢に反撃して自らの左目から光を奪った子供が、長じて勇猛なる銃士として自分の前に立ちはだかったことを悟ったのだ。斯くして、フランスの不穏な政情を背景に、ダルタニアンとフェブルの壮絶な戦いの火蓋が切って落とされる。

[感想]
 三銃士だとしか知らされていなかったら行かなかったでしょう。その意味で、原題の面影すら留めない邦題は称賛に値すると思う。「銃士」という対象の曖昧な言葉よりも、作品の焦点がダルタニアンという血気盛んな若者にあることを明示しており、ずっと相応しい。
 ストーリーそのものは、既に飽きが来ていると言っていいくらい陳腐なもの。正義感と才能に溢れ、同時に復讐心をも胸に秘めた青年が、周りの人間をも発奮させ栄光の未来を勝ち取る、と実に簡単に説明できてしまう。その他の素材についても、著名な原典を徹底的に簡略化し、複雑な政治背景などは無きが如くに扱われている。
 本編の着想も優れたところも、結局はフランス王朝の剣術劇に、香港流のワイヤー技術をも導入した過激なアクションを組み合わせた点にのみある、と言いきってもいい。その為に無駄な要素を切り捨て、ひたすら戦闘場面を魅せる為に特化させた映画なのであろう。その意味で、かなり成功した作品と捉えていい。ゴシック調の色彩と深い陰影の中に宛ら踊るような立ち回りのシーン、常軌を逸した馬上での格闘、宙吊りのまま剣を交える一幕、そしてクライマックス、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ』の系譜を引くという複数の梯子の上で行われる曲芸じみた決闘まで、アクション場面は見応えがある。『マトリックス』のような映像処理での小手技が無く(あっても私は気付かなかった)、肉体のみでの演技に終始しているからこその緊張感と迫力こそが本編の全てであろう。元々撮影担当でもあった監督のカメラワークもまた意表を突きながらリズミカルで、目を逸らさせない。
 ただ、絶賛したくても出来ないのは、あまりに美術的な映像に拘りすぎた所為か、全般に敵味方の区別がつきにくいこと。時代がかった衣裳は現代人の目には咄嗟に識別しづらく、その上更に各場面での登場人物の衣裳が似通ってしまっているため、混乱しているうちに戦闘場面が終わってしまうことが多かった。特に、室内と夜間の戦闘場面でその傾向が著しい。まだダルタニアン一人が集団と格闘している場面は兎も角、混戦状態のクライマックスでは何が起きているか認識するのも難しかった。格闘場面で判断しやすいような衣裳分けをするなどの工夫があれば、英雄物語としての感情移入も期待でき、より映画としての完成度は高まったと思われるのだが。
 シナリオの面では、ダルタニアンが異常に強いとか銃士達のキャラクターがいまいち立っていない(役者の格からして仕方のないことではあるが、王妃役のカトリーヌ・ドヌーヴの方が遙かにキャラが立っていた)とかフェブルの配下の立場がいまいち明瞭でないとか色々嫌味は出てくるものの、アクション場面の圧倒的な魅力がそれらの不備を力で押し切っている。それだけに前述の欠点だけが惜しまれるが、娯楽作品としては充分に満足できる内容と言えるだろう。如何にもハリウッド的御都合主義的な結末だが、却ってすっきり爽快でいい。余韻も乏しいが。
 余談そのいち。本編の字幕は大御所・戸田奈津子氏となっていた。一目で内容が把握できる簡潔かつ的確な訳文には相変わらず脱帽ものだが、これだけの本数英語による映像作品を見続けているといい加減簡単な文章ならば字幕に頼らずとも内容が察知できるようになり、それに従って字幕に首を傾げる場合も屡々出てくる。今回一番気になったのは、三銃士と言えばあの台詞、というぐらい代表的な決まり文句だ。“One for all, all for one”――直訳すると「1人はみんなのために、みんなは1人のために」となる。スポーツ漫画などでよく診る台詞だが、出所はここ――だったはず、が定かではない。兎も角、この映画でも例に漏れずこの台詞が何度か繰り返されるのだが、この時画面上に現れる字幕は「我ら銃士、結束は固い」――さて、どう評価するべきか。
 余談そのに。三銃士という題名も銃士という題名も本編にはあまり相応しくない、と感じる理由は前述の通りだが、それでもちゃんと代表選手として三銃士は登場する。うち、アラミスは『Lock, Stock & Two Smoking Barrels』で映画界に進出したニック・モランという役者が演じている。比較的整った顔立ちで野趣も備えており、なかなかはまり役ではあったがどうにも違和感を禁じ得ないのは、何故か私には「アラミスは女じゃないと駄目」という刷り込みがなされているから。――この意味が理解できる人、何人います?

(2001/11/23・2004/06/18追記)


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