cinema / 『千年女優』

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千年女優
原案・脚本・監督・キャラクターデザイン:今 敏 / 共同脚本:村井さだゆき / プロデューサー:真木太郎 / 企画:丸山正雄 / キャラクターデザイン・作画監督:本田 雄 / 音楽:平沢 進 / 声の出演:折笠富美子、小山茉美、荘司美代子、飯塚昭三、小野坂昌也、津田匠子、鈴置洋孝、津嘉山正種、山寺宏一 / 制作:マッドハウス、ジェンコ / 配給:KLOCK WORX
2002年日本作品 / 上映時間:1時間27分
2002年09月14日公開
公式サイト : http://www.1000nen.net/
劇場にて初見(2002/09/28)

[粗筋]
 映像制作会社を立ち上げたばかりの立花源也(飯塚昭三)は、部下の井田恭二(小野坂昌也)を連れて地方のとある邸宅を訪れる。飯塚たちが面会したのは、三十年前に突然引退するまで、日本映画を代表する大女優であった藤原千代子(荘司美代子)――彼女自身にその生い立ちを回想してもらい、引退の真相を語ってもらうために。多くの取材を断り続けてきた彼女が、井田の向けるカメラの前で初めて自らの人生を自らの言葉で綴りはじめた。
 千代子は関東大震災と相前後して世に生を受けた。実家の洋菓子店は潰れ父も喪ったが、母(京田尚子)の手で健やかに美しく育っていった。
 昭和初期、十代半ばとなった千代子(折笠富美子)は銀映撮影所の専務(徳丸 完)から映画出演の誘いを受ける。母の強硬な反対に遭い腐っていたところ、何者かに追われ傷付いたひとりの男(山寺宏一)と出逢う。実家の蔵に匿い甲斐甲斐しく世話をしているうちに、千代子はその男に想いを寄せるようになっていった。
 だが男はある日、危うく追っ手に見つかりそうになり、そのまま満州へ向けて発ってしまった――千代子の手許に残ったのは、かつて「大切なものを開ける鍵」と説明し、逃亡の最中に落としていった鍵がひとつだけ。千代子は満州に渡る口実として、強引に親を説得して映画出演の話を承諾した。
 満州で千代子は八卦見の老人に促されるまま、撮影を放り出して北方へ向かう。千代子を乗せた列車は、だがその途中で何者かに襲撃される――車輌を飛びだした千代子の姿は、戦国時代の女房装束に替わっていた。戦国時代を舞台とした、かつての千代子の主演映画そのままの世界である。困惑する井田と驚喜する立花とを、虚構と現実のはざまに巻きこみながら、千代子の物語――初恋の面影を辿る物語は続く……

[感想]
『PERFECT BLUE』にて国際的にも高い評価を受けた今敏監督と脚本の村井さだゆき氏が再び組み、制作した長篇アニメーション映画である。前作については高い評価を聞きつつも、ミステリやSFを愛読する人々の感想はあまり芳しくなかったので、強いて観ようとしなかった。今回は予告編で興味を惹かれていたところに、知人の強い推薦もあって劇場にて鑑賞した次第。
 作画のレベルは非常に高い。陰影をきっちりとつけた人物たちは存在感に富み、時としてアニメーションであることを忘れるほどだった。背景がキャラクターに合わせたように画一的なのにやや引っかかりを覚えたが、この辺は好き嫌いの部類だろう。
 だが、細部の考証が甘い。満州にて千代子が“鍵の君”を追って乗り込んだ列車はとても戦前の仕様とは思えなかったし、幕末京都の女郎小屋はだが吉原のような雰囲気だった。また冒頭、最初に踏み込む虚構の世界として戦国時代が描かれるが、この作品のテーマからすると平安時代ぐらいをまず取り上げるべきだったように思う。戦国ではあまりに近い。
 そして、これこそいちばん難しいところなのだが、シナリオ的にも演出的にも、アニメで描かなければいけないという必然性を感じない。シナリオが現実に立脚すること自体は否定しないが、もっとアニメーションであることの利点が欲しかった、と思うのは国際的にアニメーションとして高く評価された作品と監督だからである。虚構を取り混ぜながらもリアリティに立脚したシナリオそのものを否定はしないが、アニメで描く利点をもっと見出すべきだったと思う。この作風では、実写ではこうも綺麗にひとりの女性の成長と変化を表現できない、という程度にしか必然性を感じない。
 だが、シナリオの質はかなり高い。もう少し虚構との境界が溶けていても良かっただろう、という嫌味はあるものの、テーマへの一貫した態度は見事で、感情の高まりと変質も巧みに描ききっている。
 ラストのある台詞が自己陶酔的、という感想を齎したが、顧みると寧ろ揺れがちなテーマを本来の位置に引き戻し、作品をきっちり閉じた点において意義がある。現実と虚構とを交錯させながら、最後に虚構としてスクリーンの向こう側に戻すために必要な最後のパーツだったと言える。自己陶酔的だが同時に客観的な発言でもあり、最も印象的であるが故に作品の質を決定づけた。
 はっきり言って最上の出来ではない。踏み込みは浅いし、あちこちにまだまだ拙いところがある。だが要は過程にある作品であり、更に大きな一歩に先駆けてこのクオリティを実現した、という意味で重要であり、傑作であることは確かだろう。

 そして、長めの余談。
 何せ鑑賞した日付と状況が悪かった。私自身は気づかなかったのだが、同行した某氏は本編のプロットとある人物の生涯に共通点を多く見出していた。
 その人は若い時期を、大戦終了以前の満州で過ごしている。そこで最初の作品をものし、戦後にその才能と資質を大きく開花させた。
 その人は昭和三十年から四十年頃までが最も盛りの時期であり、多くの作品を発表している。
 その後半ば隠棲し、ある地方都市に閉じ籠もっていた。
 そしてその人は生涯ひとつの鍵=テーマを握り締め、孤塁を保ったまま一生を終えた。狂気にも等しい純愛を貫き通して。
 説明されると非常に納得がいく。本編のスタッフが意図したわけでは決してないことも承知しながら、この「運命の悪戯」としか言いようのないものに旋律すら覚える。
 今この瞬間、劇場を訪れた一部の人々には、本編は別の貌を見せるはずだ。生涯本格ミステリへの情熱を貫き通した驍将、鮎川哲也へのオマージュという貌を。

(2002/10/01)


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