cinema / 『コラテラル』

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コラテラル
原題:“Collateral” / 監督:マイケル・マン / 脚本:スチュアート・ビーティー / 製作総指揮:フランク・ダラボン、ロブ・フライド、チャック・ラッセル、ピーター・ジュリアーノ / 製作:マイケル・マン、ジュリー・リチャードソン / 撮影監督:ディオン・ビーブ、ポール・キャメロン / プロダクション・デザイナー:デヴィッド・ワスコ / 編集:ジム・ミラー、ポール・ルーベル,A.C.E. / 衣装:ジェフリー・ガーランド / 音楽:ジェームズ・ニュートン・ハワード / 出演:トム・クルーズ、ジェイミー・フォックス、ジェイダ・ピンケット=スミス、マーク・ラファロ、ピーター・バーグ、ブルース・マッギル / 配給:UIP Japan
2004年アメリカ作品 / 上映時間:2時間 / 日本語字幕:戸田奈津子
2004年10月30日日本公開
公式サイト : http://www.collateral.jp/
VIRGIN TOHO CINEMAS 六本木ヒルズ(Art Screen)にて初見(2004/12/01)

[粗筋]
 ニューヨーク、ロサンゼルス、夕刻。マックス(ジェイミー・フォックス)の一日はここから始まる。降りるのが惜しくなるようなリムジン・タクシー会社のオーナーになる日を夢見ながら遥かに及ばず、目隠しの裏に収めたモルジブ諸島の絵葉書だけを慰めに12年間、一介のタクシードライバーとして働き続けてきた彼にとって、今夜もまたいつも通りに淡々と仕事をこなすだけの一日になるはずだった。
 まずいつもと違ったのは、夕方に乗せた女性客(ジェイダ・ピンケット=スミス)と、短時間で目的地に着くルートを巡って賭けをしたことだ。高速に入るのが早いか、地上経由で向かうのが早いか。運賃を賭けた勝負に勝ったのはマックスのほうだったが、彼は法律関係の仕事に疲れ果てているような彼女に免じてチャラにし、彼にとっての心の安らぎである絵葉書を進呈してしまった。代わりに彼女は目的地で降りたあといちど舞い戻って、アニーという名と検事という肩書きを記した名刺を渡す。いつか問題があったら連絡して、と。
 絵葉書の代わりに収まった名刺にしばし見蕩れていたマックスは、新しい客がやってきたことにすぐとは気づかなかった。白髪のどこか得体の知れない雰囲気を漂わせたその男は、一晩の貸し切り料として六百ドルを提示する。更に、朝の飛行機に間に合えば百ドルを上乗せする。マックスはしばし渋る素振りを見せたが、最後には頷いた。
 ヴィンセント(トム・クルーズ)と名乗った男は、一晩を費やして友人たちを訪ねる、とマックスに告げ、まずサウス・ユニオン452に向かうように言った。到着先でヴィンセントを降ろしたあと、二重駐車の摘発を避けるため路地裏に避難し、大きな収入に頬を緩ませていたマックスは、だが突如車の上に落ちてきた男の姿で我に返る。遅れてやって来たヴィンセントはこともなげに自分の銃弾が殺した、と打ち明けると、屋根から男を降ろし、トランクのなかに隠すようマックスに命じる。車ごと持っていっていい、というマックスの懇願は聞き入れられなかった。ヴィンセントはマックスを運転手に、次の標的のもとへと向かう。
 ふたりが立ち去るのと入れ替わりにサウス・ユニオン452を、ひとりの男が訪ねた。開けっ放しの鍵に点けっぱなしのテレビ、床に散らばった食事と派手に割られた窓ガラス、見下ろすと地上にはガラスの破片と奇妙な格好に拡がる血痕――異常事態と判断したその男、LAPDの麻薬取締官ファニング(マーク・ラファロ)はすぐさま職場に連絡し、鑑識らを動員する。荒らされた部屋にはさる麻薬組織の末端に属し、ファニングらに情報を横流ししていた男が暮らしていたのだ。駆けつけたFBI捜査官は屍体も存在しないため事件性があるというファニングの判断に懐疑的だったが、ファニングは殺人事件であることを確信する。
 一方その頃、マックスはヴィンセントに命じられるがまま次の目的地である7565ファウンテンに到着していた。路地裏に車を駐めさせると出がけにヴィンセントはマックスの両手をハンドルに縛り付け身動き出来ないようにしていくが、マックスは表通りに向かって叫び必死で助けを呼ぶ。だが悪いときには悪いことが重なるらしく、寄って来たのは縛り付けられたマックスの姿に同情するどころか拳銃を突きつけ、財布と後部座席に残されていたヴィンセントの荷物を奪っていくような輩だった。そこへ戻ってきたヴィンセントは、金品を奪った男ふたりを容赦なく射殺する……

[感想]
 題名“Collateral”は「巻き添え」の意。平穏な日常をその夜も過ごすはずだったタクシードライバーが、思いがけず殺し屋を乗せてしまったために彼の“ビジネス”に巻き込まれていく、という内容である。
 説明はほとんどせず、タクシードライバーであるマックスが車を出発させ、いつものように客を捌いていく姿をまず淡々と描く。日暮れ頃にアニーという検事とほのかなロマンスの気配を感じさせるが、その場でこれといった進展はない――それどころか、恐らくその後の出来事がなかったらマックスは彼女と再び連絡を取ることもなかったに違いない。偶然、その直後にヴィンセントが通りかかり、放心していたマックスが我に返ってヴィンセントを呼び止めたりしなければ、彼はふたたびもとの日常に戻っていったはずだ。まさしく、“巻き添え”になった姿を描くための映画であり、その直前の淡々とした描写も対比として添えられたものなのだ。
 ヴィンセントの正体が発覚してからも、決して展開は派手にはならない。ふたりの会話や表情はそれまでと同じようなアングルで描かれる。寧ろ序盤の空撮による、車の移動の捉え方のほうがよっぽど派手で、本題に入ってからは基本的にカメラはマックスとヴィンセントふたりの傍に寄り添い、その緊迫を伝えるのみだ。
 物語を張りつめたものにしていくのは、閉口して描かれる警察とFBIの捜査過程である。状況は突如狂ったタクシードライバーによる犯行と次第に捉えられていき、マックスは最重要容疑者となっていく。何かの罠である可能性を疑うファニングだけがひとり、別行動でマックスを救出しようと試みるが、マックスの予期せぬ行動やヴィンセントの決して表情には見せない焦りもあって包囲網はじわじわと狭まっていく。丹念に描かれていくタクシーと捜査陣の動向が、淡々としながらも実にサスペンスフルに物語を盛り上げていく。
 一方で、移動中に交わされるマックスとヴィンセントの会話は、生きるか死ぬかの緊張感を孕みながらも妙にユーモラスだ。お互いに移動中間を持たせるのが辛いのか、次第にふたりはそれぞれの生活背景や思想を口にしあうのだが、その食い違うやり取りが妙に可笑しい。なまじ命のやり取りに等しい状況におかれているだけに、却って笑ってしまうのである。しかもそうして飛び出した言葉がちゃんとのちのちの行動に繋がっていくのが巧い。
 基本的には一種の心理サスペンスなのだが、物語が佳境に入ると急激に動きが大きくなっていく。特に、クラブの大混雑のなかで繰り広げられるアクションと銃撃戦の緊迫感と熱気は凄まじい。ここからラスト、敵味方人数を最小限に絞っての追跡劇まで、派手ではないが独自のアイディアを無数に盛り込んでおり、序盤のビリビリ来るような心理戦とはまた異なる見応えを演出する。序盤から強烈なクライマックスまで2時間というやや長めの尺を、ほとんど一瞬たりとて飽きさせないテンポの良さが絶品だ。
 この骨太のストーリーを、本格的な悪役――というより一種のダーティ・ヒーローを初めて演じたトム・クルーズと、アメリカならどこにでもいそうな男が悪夢に見舞われたときの行動を説得力いっぱいに表現してみせたジェイミー・フォックスとががっしりと支えている。トム・クルーズの迫力は言うまでもないが、はじめただ臆病なだけだったタクシードライバーが次第に腹を括り、ヴィンセントの身代わりとして取引先と対峙した際には見事に偽物を演じきってしまうまでになる様を違和感なく魅せたジェイミー・フォックスも賞賛したい。
 すべてが終わったあとに、なんの教訓もなければ結論もない。ただ、“巻き添え”の果ての徒労感に満ちた夜明けが訪れるだけ。極めてストイックで、しかし娯楽映画であることへの矜持を守り抜いた渾身のサスペンス映画である。

(2004/12/04)


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