cinema / 『フロム・ヘル』

『cinema』トップページに戻る
『若おやじの殿堂』トップページに戻る


フロム・ヘル
原作:アラン・ムーア&エディ・キャンベル / 監督:アレン&アルバート・ヒューズ / 脚本:テリー・ヘイズ、ラファエル・イグレシアス / 音楽:トレヴァー・ジョーンズ / 衣裳デザイナー:キム・パレット / 出演:ジョニー・デップ、ヘザー・グラハム、ロビー・コルトレーン、イアン・リチャードソン、イアン・ホルム / 配給:20世紀フォックス
2001年作品 / 上映時間:2時間4分 / 字幕:石田泰子
2002年1月19日公開
2002年06月19日DVD日本版発売 [amazon]
2003年08月29日DVD最新版発売 [amazon]
公式サイト : http://www.foxjapan.com/movies/fromhell/

[粗筋]
 1888年ロンドン、社会の澱を溜め込んだように下級労働者層と民族と犯罪とが入り乱れるホワイトチャペル。五人の娼婦仲間と暮らすメアリ・ケリー(ヘザー・グラハム)にとってそこは暮らしやすい場所ではなかった。幾ら身を売っても部屋代すら満足に払えず、一帯を仕切るギャングのマックイーンには所場代として5ポンドという法外な額を要求される。仲間たちと相談しているところへ、かつての娼婦仲間であり、いまはアルバート(マーク・デクスター)という裕福な画家と結婚しアリスという子も成したアン・クルーク(ジョアンナ・ペイジ)が訪れ、所場代をアルバートに工面してもらおう、と言い出す。頑強に拒むメアリらをよそに、アンはアリスを預けてアルバートに逢いに行ってしまった。子守りをするメアリたちは、だが間もなく、情事の最中に踏み込まれ裸のまま拉致されるアンとアルバートの姿を目撃するのだった。
 ――翌日、アヘン窟で幻覚と戯れるアバーライン警部(ジョニー・デップ)を、忠実な部下であるゴッドレイ巡査部長(ロビー・コルトレーン)が叩き起こした。程なくモルグに現れたアバーラインは、陰部を裂かれ喉を横に掻ききられた女性を確認する。検死医でさえ見ることを厭うその遺体を観察しながら、アバーラインは「違う」と呟く。彼が幻覚の中で見た屍体は、彼女ではなかった。事件を予知するという特異能力を備えたアバーラインにとって、それはこの猟奇犯罪がまだ繰り返されることを意味している。
 殺された女性――マーサは、メアリたちの仲間のひとりだった。悲しみと恐怖の癒える間もなく別の仲間・ポリー(アナベル・アブション)もまた何者かの凶手にかかる。再び現場に急行したアバーラインは、子宮を摘出する手際の良さと、屍体の手に握られていたブドウの茎とを手懸かりに、犯人が人体に精通し、学識も財産もある人物であると推測する。だが警視総監チャールズ・ウォーレン(イアン・リチャードソン)は知識層にこの様な猟奇犯罪に手を染めるものはいないと、屠畜業に携わるユダヤ人を重点的に調査するよう忠告した。
 警視総監の思惑を余所に、アバーラインは独自の推理に基づいた調査をゴッドレイと共に継続する。メアリたち娼婦に接触を図り、更に専門家の証言を得るためにロンドン王立病院のウィリアム・ガル卿(イアン・ホルム)を訪れた。各所で様々な妨害に遭いながらも、アバーラインは次第次第に核心へと近付いていく。刻一刻と迫るジャックの魔手から、メアリたちを守ることは出来るのだろうか――?

[感想]
 史実に添った形では初の、という冠が付くのがまず意外。そう言われてみれば、随分沢山あるような気がするが大半はホームズを絡めたりジキル氏が犯人だったり、という具合に別のフィクションを引き合いに出したり、また別時代のニューヨークに上陸させてみたりと小細工が施されているのだ。――そういう“切り裂きジャック”の物語である。
 とは言え、解る人には解るとおり、本編は史実と同じ人物を登場させながらも、定めた動機に矛盾を来さないようあちこちに潤色を施している。映画の中では仲間として描かれた五人の被害者は、実際に同じホワイトチャペル近辺を縄張りとする娼婦ばかりであったが、全員に面識があったことも確認されていない。また、最初の犯行では確か屍体の解剖は行っていない――はず。ミステリ業界でジャックといえばこの人が出てこないでどーする、と思った通りプログラムに登場された仁賀克雄氏の解説に依れば、実在するアバーラインと娼婦たちのあいだにも面識はなく、また映画のような結末(アバーライン個人のことね)は迎えていない。
 が、そこはそれ、僅か2時間程度のあいだに全ての謎を見せ回収し、それらを物語として見せるためなのだから非難するには当たらない。本編は事件間もない頃から囁かれていた仮説幾つかを融合して真相としているが、その解明に至る筋道を混乱させず観客に理解させるために一連の工夫は有効だったろう。史実通りに描けば牽強付会が目立つしなにより事件の細かなデータを知るはずもない殆どの観客には脈絡が掴みにくく釈然としない印象を残したに違いない。事件と当時の空気、それにこの結末の蓋然性を観客に感じさせる、という点においては無駄がなく、フィクションとして良質な仕上がりだった。――反面、現実同様に多くの人物が現れては消えていくため、最後まであれが誰でどーいう立場の人間なのか、理解できないとは言わないが漠然としか察知しないまま終わってしまう、という感覚も与えそうに思ったが。こちらが推理を組み立てるまでもなく滑り落ちるように真相に辿り着いてしまう心地がするわけで。
 しかしその「滑り落ちる」ような感覚は、やもすると納得しがたい筋をリズミカルに表現してみせた演出の巧みさの証明でもある。黒を基調とし、細かく転換する視点と特徴的なアングルを多用したスタイリッシュな画面が、余計なことを考える暇もなく作品世界にこちらを引きずり込んでくれる。ミステリ映画に自らも推理することで参加を望むような向きには物足りないだろうが、のめり込むことの出来るエンタテインメントとしては実に見事な演出だと思う。PG15指定ながら残虐シーンもさほど不快感を与えず、気の利いたサスペンス映画に仕上がっている。通常のサスペンスよりも知的だがあまり肩の凝るものは嫌い、という向きにはお薦めしておこう。2時間というやや長めの尺も全く苦痛にならない。

 今回、役者についてはあんまし言及する点なし。事件のインパクトが強すぎることもそうだが、主演のジョニー・デップは相変わらず陰も癖もある二枚目だったので。

(2002/01/19・2004/06/19追記)


『cinema』トップページに戻る
『若おやじの殿堂』トップページに戻る