cinema / 『ディボース・ショウ』

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ディボース・ショウ
原題:“INTOLERABLE CRUELTY” / 監督:ジョエル・コーエン / 脚本:ロバート・ラムゼイ、マシュー・ストーン、イーサン・コーエン、ジョエル・コーエン / 原案:ロバート・ラムゼイ、マシュー・ストーン、ジョン・ロマノ / 製作:イーサン・コーエン、ブライアン・グレイザー / 撮影:ロジャー・ディーキンズ / プロダクション・デザイン:レズリー・マクドナルド / 編集:ロドゥリック・ジャニス / 衣装:メアリー・ゾフレス / 音楽:カーター・バーウェル / 出演:ジョージ・クルーニー、キャサリン・ゼタ=ジョーンズ、ジェフリー・ラッシュ、セドリック・ジ・エンターテイナー、エドワード・ハーマン、ポール・アデルスタイン、リチャード・ジェンキンス、ビリー・ボブ・ソーントン / 配給:UIP Japan
2003年アメリカ作品 / 上映時間:1時間42分 / 日本語字幕:戸田奈津子
2004年04月10日日本公開
公式サイト : http://www.divorce-show.jp/
日劇PLEX1にて初見(2004/04/10)

[粗筋]
 昼間に放映されるメロドラマのプロデューサーとして財を築いたドノヴァン・ドナリー(ジェフリー・ラッシュ)が豪快に車を飛ばして帰宅すると、そこには知人の修理屋の車と、ベッドで気怠く身繕いをしている妻の姿。だらしない格好で現れた修理屋を見れば、だいたい事情は想像がつこうというものだ。怒りのあまり拳銃を取り出したドナリーだが、背後から妻に一撃を喰わされ、その間に妻も間男も一目散に逃げ出していった。ドナリーは逃げていく二人の後ろ姿と、ついでに妻の一撃で出来た傷も念入りに撮影しておいた。妻の裏切りは不幸だが、これだけ用意が調っていれば、妻を躰ひとつで追い出せるはずだった――妻が、あの弁護士のもとに駆けつけなかったら。
 あの弁護士ことマイルズ・マッシー(ジョージ・クルーニー)は、白い歯が命で離婚訴訟のエキスパートとして知られる人物だった。敗訴確実の案件を、相棒であるリグレー(ポール・アデルスタイン)と雑談しながらといういい加減な態度で臨んでも、或いは劇的な逆転材料を掴み、或いはまったく予想も出来ない物語を捏造して、反対に相手を無一文で追い出してしまう。ドナリーもまた妻の側に就いた彼によって、地位も名誉も無論財産も奪われてしまった。
 マイルズの新たな依頼人はレックス・レックスロス(エドワード・ハーマン)。不動産王である彼の趣味は愛人との汽車ポッポであったが、その現場を探偵のガス・ペッチ(セドリック・ジ・エンターテイナー)を抑えられ、お約束通り妻のマリリン(キャサリン・ゼタ=ジョーンズ)に離婚訴訟を起こされてしまった。お互いに浮気は自由という約束のつもりだったが、レックスロスは明確な書面で契約していない。ある程度の譲歩は覚悟の上で交渉を行うべきだ、と告げるマイルズであったが、大きな商談のために財産の殆どが担保に入っているレックスロスには、マリリンに分け与えるものがない。その難しい条件に却って闘争心を起こしたマイルズは、敢えて完全勝訴の道を探る。
 マイルズは早速マリリンと彼女の側に就いた旧知の弁護士フレディ(リチャード・ジェンキンス)との会談の席を設けた。初めて出会ったマリリンの美貌と性的魅力に興味をかき立てられ、こっそりと夕食に誘ったりしながらも、マイルズはちゃんと策略を張り巡らせていた。ガス・ペッチを逆に雇って住所録を撮影させ、そのなかから“不自然な人名”を捜し出させた。
 審判の日、迫真の演技で裁判官の心証を良くするマリリンであったが、マイルズは奥の手として、ある人物を証人として召喚する――彼はヨーロッパの没落貴族であり、マリリンの「リッチで経営手腕はあるが私生活の面ではお馬鹿な夫を斡旋して欲しい」という要請に応えてレックスロスを紹介した人物であった。
 斯くして悪女マリリンを無一文で追い出すことに成功したが、マイルズは内心で彼女の比類ない魅力に未練を感じていた。ややあって、唐突に事務所を訪れたマリリンと、喜びを押し隠して面会するマイルズだったが、マリリンが伴っていた、どうにも野暮ったい男の姿に、しばし言葉を失った……

[感想]
 どんな大資本を得て、どれほどビッグ・スターを集めて、どんなテーマで描こうとも、コーエン兄弟はコーエン兄弟なのである。
 舞台はロサンジェルスにラスベガス、主演はジョージ・クルーニーにキャサリン・ゼタ=ジョーンズ、脇にもジェフリー・ラッシュやビリー・ボブ・ソーントンとまさにハリウッド流の豪華キャストで、しかもテーマは「結婚」である。如何にもハリウッドのお約束に塗れそうな設定だが、無論このふたりが手がけてただの定石に陥るはずがない。
 結婚は結婚でもメインは離婚訴訟、そしてついでに日本では耳慣れない“婚前契約書”なる代物を用いているのが目新しい。これは離婚の際の財産分与目的による偽装結婚を防ぐために、例えば離婚時に財産分与なし、男女それぞれの固有資産が保護されること、また慰謝料の額などをあらかじめ設定した、訴訟大国アメリカならではとも言える“儀式”である。あるレベル以上の資産家が必要とするもので一般には無縁の代物だろうが、これを実に効果的に用いている。
 離婚訴訟をめぐって出会ったふたりの、ある意味腕を組んで地雷原を歩くようなロマンスを、洒脱というよりはブラックなユーモアに満ちた台詞と呼吸を弁えたカメラワークで彩っている。最初の頃こそクールに決めているクルーニーが、いつの間にやらなりふり構わなくなっていくさまが実に可笑しい。またコーエン兄弟の作品らしく、脇役がいずれもキャラ立ちして、作品の骨をより太くしていることにも注目したい。なぜか異様に涙もろい相棒のポール・アデルスタイン、中盤で登場してあっさりと姿を消してしまうビリー・ボブ・ソーントン、そして役者の名前は確認し損なったが、医療器具に繋がれながら仕事を続けクルーニーを怯えさせる事務所のボスなど、いずれも異様なインパクトがある。
 ひとつだけ、作中のいちばん重要な“罠”について、肝心の仕掛けを隠し続けるのは不可能なのではないか、と感じたものの、それを踏まえての終盤の大騒ぎがコントっぽくもちゃんと見どころとなっているので、さほど問題とはなるまい。いちおう収まるところに収めたうえで更にもう一ひねり加えたラストは、話が陳腐になる寸前で逆に諷刺にまで昇華してしまっている。
 ちなみにこの作品、いきなりオリジナルの楽曲をバックにジェフリー・ラッシュが『The Boxer』を熱唱する姿から始まり、結婚式では神父が『4月になれば彼女は』を歌い、また別の結婚式ではバグ・パイプで『明日に架ける橋』を演奏する、といった具合に、随所でサイモン&ガーファンクルの楽曲が使用されている。彼らの楽曲を世界に印象づけたのが、ダスティン・ホフマン主演の名画『卒業』であったことを思いながら鑑賞すれば、更に楽しめること請け合いです。

 作中登場する婚前契約書ですが、他ならぬキャサリン・ゼタ=ジョーンズも夫マイケル・ダグラスとの結婚に先駆けてこれに署名した旨がプログラムに記されてました。何でも、離婚の際には結婚年数X280万ドル(?!)の慰謝料の支払いが夫側に義務づけられているそうで……ああ、あるところにはあるんだねえ。しみじみ。

(2004/04/10)


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