cinema / 『家宝』

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家宝
原題:“O Principio da Incerteza” / 原作:アグシティナ・ベッサ=ルイーシュ「Joia de Familia(家宝)」 / 監督・脚本・台詞:マノエル・ド・オリヴェイラ / 脚本協力:ジャック・パルジ、ジュリア・ビュイゼル、アントニオ・コスタ / 撮影:レナート・ベルタ / 美術:マリア・ジョゼ・ブランコ / 衣装:イザベル・ブランコ / 編集:マノエル・ド・オリヴェイラ、カトリーヌ・フラソフスキ / 製作:パウロ・ブランコ / 音楽:パガニーニ《24のカプリース》 / 演奏:シュロモ・ミンツ / 出演:レオノール・バルダック、レオノール・シルヴェイラ、イザベル・ルト、リカルド・トレパ、イヴォ・カネラシュ、ルイーシュ・ミゲル・シントラ、ジョゼ・マヌエル・メンゲシュ / 配給:alcine-terran
2002年ポルトガル・フランス合作 / 上映時間:2時間12分 / 字幕:寺尾次郎
2003年05月10日日本公開
日比谷シャンテ・シネにて初見(2003/05/31)

[粗筋]
 叔父から聖母マリア荘と資産を相続し、前途洋々たる若者アントニオ(イヴォ・カネラシュ)。だが、彼を幼い頃から見守ってきた女中のセルサ(イザベル・ルト)には気懸かりがあった。セルサの息子であり、アントニオと昵懇である通称“青い雄牛”ジョゼ(リカルド・トレパ)が、アントニオにひとりの女を紹介したことである。彼女の名はヴァネッサ(レオノール・シルヴェイラ)――ジョゼと共に娼館を経営し、裏の世界で様々な悪徳に手を染めた女だった。そんな彼女の素性を知ってか知らずか、アントニオはヴァネッサに対し、館を自由に使っていいと言ってしまう。
 このままでは悪女の思うようにされてしまう、と危惧したセルサは、親交のあるロペール家のダニエル(ルイーシュ・ミゲル・シントラ)とトルカート(ジョゼ・マヌエル・メンデシュ)に相談する。ロペール兄弟は、アントニオが良き配偶者を得ればふしだらな誘惑に弄ばれることもないだろうと考え、ジョゼの幼馴染みでありセルサにとっても旧知の女性カミーラ(レオノール・バルダック)を引き合わせることを提案する。カミーラの家は貧しいが血筋は確かであり、淑女としての心構えも出来ており女当主としての素養も充分に備わっているように思われた。
 話はセルサたちの思惑通りに運び、間もなくアントニオとカミーラは契りを交わす。だがその裏で、一家の行く末を見守る人々の運命が狂いはじめたことに、気づくものはまだいなかった……

[感想]
 業界現役最高齢、長老マノエル・ド・オリヴェイラ監督の『家路』に続く“家”シリーズ第2作。嘘。原題に関係性は見出せません。
 雅やかな題名とは裏腹に、本編の趣向は“ファム・ファタール”である。近年なら『バンディッツ』でケイト・ブランシェットが、『運命の女』でダイアン・レインが表現した、自覚の有無に拘わらず複数(場合によってはひとりでも可)の男の心を乱し、運命を翻弄させる女性のこと。
 性的なニュアンスが付きまとうこのテーマだが、本編はそうした艶めかしい局面を見せることなく、清潔かつシンプルな筆運びで描いている。それどころか、こういう形で予備知識を得ないままなら、“ファム・ファタール”という主題を理解するのも、また肝心のその人物が誰にあたるのかに気づくのもかなりあとのほうになってからだろう。
 だがしかし、一旦気づいてみて検証すると、本編に登場する“ファム・ファタール”は稀にみる影響力の強さである。ある者は死に、ある者は殺され、ある者は舞台から遠く隔たった場所へと離れていき……終わってみたらペンペン草も生えてないんじゃないかと訝しんでしまうくらいにみんな消え去っている。恐るべきは、その影響が彼女に性的な関心のある人々に限らず、ただ彼女の将来を気遣っていただけの人物、更には同性まで巻きこんでいることだ。当人にはほとんど悪意がないぶん余計にたちが悪い。
 そんな、よくよく検証すると史上最強と呼べそうな女性を、この経験豊かな監督は淡々と静かに、しかし瑞々しくいやらしさのない筆致で描いている。ひとつひとつのカットを、近年のハリウッド大作や若手の実験作に馴染んだ目には驚異的に感じるほどの長回しでじっくりと描いているため、主題の持つセンセーショナルな一面に反して少々退屈に感じさせてしまうことも事実なのだが、演出や映像表現に興味のある方ならばとっくりと吟味してみる価値のある作品だろう。
 物語の前半あたりで、登場人物のひとりがこんな台詞を口にする。
「家宝とは、自ずから輝きを増すものだ」
 どちらかと言えば野暮ったい印象のあった彼女が、ラストシーンでは無垢な印象を纏いながらも蠱惑的な貴婦人に変貌した様を見ると、さもありなん、と頷ける。そこへ導いてしまったオリヴェイラ監督の演出と出演者たちの演技力が素晴らしい。
 ……ただ、全体に間延びした雰囲気があるため、退屈に感じる人が多いだろうことも否定できない。気の長い人や静かな作品を好む人、演出や映像表現の肌理に興味を抱かれている方などにはお薦めしたいが、そうでない方はご注意ください。

 他に“ファム・ファタール”と呼べる女性が登場する映画があったか、と自分の感想一覧を眺めながら振り返ってみたところ、『暗い日曜日』、『ノー・グッド・シングス』、『僕たちのアナ・バナナ』、『メリーに首ったけ』あたりが該当するようだが、やはりいちばんはっきりしているのは前述の二作と本編だろうか。私感だが、個人の運命を狂わせる程度ではファム・ファタールと呼ぶべきではない。
 あと、日本映画では『竜馬の妻とその夫と愛人』がちょっと該当しそうな気がする。但しこの作品で登場人物の運命を翻弄しているのは、既に亡い“坂本竜馬”という傑物なので、やはり微妙に違う。並べてみると、“ファム・ファタール”という主題はけっこー捜しづらく、純粋な形では描くのも難しいものなのかも、と思う。

(2003/06/04)


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