cinema / 『ジェヴォーダンの獣』

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ジェヴォーダンの獣
原題:La Pacte Des Loups / 監督:クリストフ・ガンズ / 脚本:ステファン・ガベル / 編集:デイヴィッド・ウー / クリーチャー・デザイン:ジム・ヘンソン・クリーチャー・ショップ / 出演:サミュエル・ル・ピアン、ヴァンサン・カッセル、モニカ・ベルッチ、エミリエ・デュケンヌ、ジェレミー・レニエ、マーク・ダカスコス / 配給:GAGA-HUMAX
2001年フランス作品 / 上映時間:2時間18分 / 字幕:松浦美奈
2002年02月02日日本公開
2002年08月23日DVD日本版発売 [amazon|限定版:amazon]
公式サイト : http://www.france-no1.com/
劇場にて初見(2002/02/23)

[粗筋]
 1764年、フランスのジェヴォーダン地方を、未曾有の恐怖が襲った。岩肌を剥き出した峻険な山脈と苔生した広大な森とに囲まれた土地を、未知の野獣が徘徊し始めた。女子供を襲い、牙を立て貪り食う、その様は魔獣と呼ぶに相応しかった。被害は日増しに拡大し、いつしか国王までが憂慮する事態に発展した。1765年になって国王は各国を歴訪した博物学者グレゴワール・デ・フロンサック(サミュエル・ル・ピアン)に、ジェヴォーダンの獣の正体を探るよう命じる。
 新大陸で義兄弟の絆を結んだインディアンの青年マニ(マーク・ダカスコス)と共に、フロンサックはジェヴォーダンの地を訪れた。厳格なクリスチャンで溢れるこの土地にあって、無神論者に近いフロンサックと「野蛮な異教徒」と見られがちなマニとはあまり歓迎されなかったが、知性的な若き公爵マルキ・トマ・ダプシェ(ジェレミー・レニエ)だけは協力を申し出、ふたりと親交を結ぶようになる。
 フロンサックに先んじてジェヴォーダンに派遣されていた大尉と彼の率いる部隊は、繰り返される惨劇に業を煮やして大がかりな狩りを実施した。地元貴族のジャン=フランソワ・ド・モランジアス(ヴァンサン・カッセル)、その妹のマリアンヌ(エミリエ・デュケンヌ)らが参加し、乱闘騒ぎも発生するなかで多くの獣が狩られたが、フロンサックの見る限り惨劇の主人公となった“獣”が狩られた気配はない。
 そんな折、突如フロンサックにパリから帰還するよう命令が下る。それは、フロンサックとマリアンヌのあいだに芽生えた感情をジャン=フランソワがやっかみ画策したはての出来事だった。更にジャン=フランソワは、フロンサックがトマと共に密かに通っていた娼館で、フロンサックが描いた娼婦シルヴィア(モニカ・ベルッチ)の肖像をマリアンヌに見せ、感情の上でもふたりを引き離そうとした。為す術なく、フロンサックはパリへの帰投を余儀なくされる。
 数ヶ月後、パリのフロンサックの元をトマが訪れた。ジェヴォーダンの獣の蛮行は依然止まず、トマはフロンサックとマニの能力を借りて再び狩りを行いたいと請うた。難色を示すフロンサックに、トマはマリアンヌから託された手紙を差し出す――そうして再び、ふたりはジェヴォーダンの地に赴いた。

[感想]
 映画館通いが習慣化して約一年、その間に見たフランス映画はこれが(確か)六本目。私の選択が変わっている所為かも知れないが、所謂「らしい」フランス映画というものにはお目にかかった記憶がない。色彩感覚に溢れ演出のテンポも小気味よく、娯楽の要素に富んだものが大半なのだ――つまり私はその正反対のものをフランス映画のイメージとして抱いていたってえことなのだが、流石にそろそろその固定観念も覆されつつあった。今回、この作品によって遂にとどめを刺された気分である。
 先に傷を挙げておこう。登場人物それぞれのインパクトは強いのだが、行動理念にいまひとつ頷けない。後半でだいぶ結びつきが明確にはなるものの、前半では出来事ひとつひとつがばらばらでもたついた印象がある。事件の真相解明に舌足らずの箇所が多く、話が勝手に終わってしまった感覚がやや否めない。実際の事件に取材した物語ゆえにストレートな謎解きを期待してしまうが、真相として提示された事実のひとつひとつはガジェットとして有り体で、すれた身には凡庸に映る(ぶっちゃけた話、このテーマは『クリムゾン・リバー』と同根だとも言い切れるだろう)。
 が、そうした「細かいこと」に目を瞑れば、異常な迫力と牽引力の備わった娯楽大作に違いない。オーバーラップ、スローモーションにワンカットを細かく刻んだ独特の編集手法、水飛沫の一粒一粒までを明確に映し出すような精細で美麗な画面、幾分滑稽なくらいに強調された銃撃・打撃などの効果音、そうした演出面での技術が、殺戮シーンや格闘シーンに抜群のインパクトを添えている。しかも多くの残酷描写――こと女性達が“獣”に襲われるシーンは、物語の内容にも起因しているとは言え牙を立てたその場面を直接映していないのに、目を覆いたくなるほど迫力に満ちていた。そうした強力な場面を、緩急をつけながら挿入していくことで、やや難のあるプロットに疑問を抱かせる機会を与えず観客を引っ張っていく。格闘シーンも、東洋的な兵器や武術を違和感なく取り込み悽愴な美しさを称えており、ここだけでも一見の価値はある。時代はかなり隔たるが、歴史上のフランスを舞台に東洋風のアクションを盛り込んだ『ヤング・ブラッド』と比較してみても面白いだろう。『ヤング・ブラッド』は感想でも触れているとおりアクション場面での映像が雑然としており感情移入する対応を見失いがちだが、本編は基本的に一対一か一対たくさんという図式を守りつつ、画面的にも整頓されており入り込みやすい。
 ミステリ映画では無論ないし、単純なアクション映画でもない。史実に取材した幻想的冒険物語というのがいちばん間違いのない表現だろう。性格はかなり異なるが、フランス的な味わいを添えた『インディ・ジョーンズ』と喩えるのが分かり易いだろうか。娯楽作品を目指す明解な意志と、同時に美的感覚をも重視する意識とが作品に芯を通している。本国でのヒットも納得の、充実した一本。

 ――最後に、ちょっと映画の内容以外に難癖をつけておく。
 日本での公式サイトが採用したドメイン“http://www.france-no1.com/”は、やっぱりちょっと恥さらしでないかと思う。原題からも邦題からも分かり易いアドレスが作りづらい、という事実はあるにせよ。そして、スタッフ・キャストのプロフィールがごく一部の主要な人物しか記載されていないのもどーかと思う。データの採集が困難だったのかも知れないが、せめて音楽担当ぐらいは記載してくださいお願いします。

(2002/02/23・2004/06/21追記)


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