cinema / 『ライフ・オブ・デビッド・ゲイル』

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ライフ・オブ・デビッド・ゲイル
原題:“The Life of David Gale” / 監督:アラン・パーカー / 脚本:チャールズ・ランドルフ / 製作:アラン・パーカー、ニコラス・ケイジ / 撮影:マイケル・セレシン / プロダクション・デザイン:ジェフリー・カークランド / 衣装:レネ・アーリック・カルファス / 編集:ジェリー・ハンブリング、A.C.E. / 音楽:アレックス&ジェイク・パーカー / 出演:ケヴィン・スペイシー、ケイト・ウィンスレット、ローラ・リニー、ガブリエル・マン、マット・クレイヴン、レオン・リッピー、ローナ・ミトラ / 配給:UIP Japan
2003年アメリカ作品 / 上映時間:2時間11分 / 字幕:戸田奈津子
2003年07月26日日本公開
2003年11月28日DVD日本発売 [amazon]
公式サイト : http://www.uipjapan.com/davidgale/
日比谷シャンテ・シネにて初見(2003/07/26)

[粗筋]
 控訴請求が棄却されたことにより、自らの死刑執行が一週間後に決定したその日、デビッド・ゲイル(ケヴィン・スペイシー)は独占インタビューの申し出を受け入れた。その代わりに彼は50万ドルの報酬と、ある女性記者をインタビュアーとして派遣することを要求した。
 女性記者の名はビッツィー・ブルーム(ケイト・ウィンスレット)。客観性を重んじる一匹狼タイプの敏腕記者で、先頃幼児売春に関する記事の情報源について法廷での証言を拒んだことで七日間の拘置処分を受けた経緯がある。何故自分が指名されたのかに疑問を抱きながらも、ボスからの命令で渋々、見習いジャーナリストのザック(ガブリエル・マン)を帯同して、テキサス州のエリス刑務所へと向かう。
 インタビューの日程は火・水・木の三日間、二時間限り。録音機材の使用は厳禁。看守たちが見守る中、ガラス越しのインタビューが開始された。デビッド・ゲイルが語る、一連の出来事のきっかけは、彼の職場における他愛もない一幕だった……
 デビッド・ゲイルは哲学科の教授として二冊の著書を発表し、辣腕を振るっていた。講座の出席率も高く人気もあったが、目下の悩みは妻のあからさまな浮気。年四度もバルセロナに向かう妻に苛立ちを覚えながらも、ゲイルは息子と妻とを愛していた。
 ある日、単位不足に悩むバーリン(ローナ・ミトラ)という女子生徒が、ゲイルに取引を持ちかけてくる。単位をくれるなら、どんなことでもする――ゲイルはそれを軽くあしらった。その日のうちにバーリンには落第が言い渡された。ゲイルは気にも留めていなかったが、その晩のパーティーの席上、もう生徒ではないと理由をつけた彼女の誘惑に、ゲイルは乗ってしまう。明くる日、死刑廃止活動のために参加したテレビ討論の帰り、ゲイルはレイプ犯罪の容疑者として警察に逮捕された。バーリンの逆恨みによる告発であることは明白で、事実間もなく訴訟は取り下げられゲイルも自由の身となったが、彼の名誉も平穏な生活も、その僅か数日のうちに悉く奪いさられていた。
 妻と子供はバルセロナに去り、死刑廃止運動の同志でもある同僚のコンスタンス・ハラウェイ(ローラ・リニー)の努力も虚しくゲイルは休職処分を受け、どうにか電化製品販売店の支配人の職を得ることは出来たものの、死刑廃止運動組織の上層部から「ゲイルを排除しろ」という命令まで出され、いよいよゲイルは追い詰められていく……
 ゲイルの取材を続けながら、ビッツィーはザックと共に事件の追跡調査を行っていた。今は妙なカップルが買い取り、「デビッド・ゲイル死の家」と名付けて見世物にしているコンスタンスの家を訪れ、再検証を行う。現状が留められているとはお世辞にも言えない状態だったが、それでもビッツィーは幾つかの疑問を抱く。最たるものは、三脚とビデオカメラの存在だった。遺留品のリストに、ビデオテープの名はない――では、テープは何処にある?
 だが、謎のテープは二日目のインタビューが終了したその夜、思わぬ形で現れる。ビッツィーたちが投宿したモーテルの一室に、留守の間に何者かが侵入し、天井からぶら下げて立ち去っていったのだ。そこには見間違いようもない、コンスタンスの死の瞬間が撮されていた。

[感想]
 畜生、やられた。
 作品の狙い故にあまり細かいことは語れないが、とりあえず、このテーマと結末は物書きの端くれとして自分で書いてみたかった、ということはまず言わせてもらう。
 本編の重要なテーマに死刑廃止論がある。物語の方向性の問題で、全般に偏った扱いがされているのだが、それに賛同するか否かは観客各自が判断するべきことだろう。寧ろ、穿った見方をすれば、それさえミステリとしての興趣を深めるためのガジェットとして投入したと見られることに留意していただきたい。ベースとなった脚本家の着眼が優れていたためか、監督の深遠な企み故か、用意周到な伏線と巧妙なツイスト、そしてラストシーンの強烈な着地に至るまで、テーマが如何に社会派であっても、道程は完璧なミステリのそれである。
 惜しむらくは、主要な数人の登場人物を除くとキャラクターが凡庸であまり目立たなかったことと、やや音楽が騒々しかったこと(但し一部は劇場の音響設備に問題があったせいとも思えるのだけど)。それに、もう少し真相を隠し果せる努力が欲しかった、という注文は付け加えたい。普通の観客はどうだか知らないが、少なくとも私は冒頭一時間ぐらいで狙いを理解してしまった。しかも直感ではなく、ほぼ理詰めで解き明かせる。核となるアイディアの衝撃度だけで話を引っ張れる、という自信があったせいかもしれないが、流れがやや素直すぎる感も否めなかった。
 だが、そうした問題点を差し引いても、卓越した着想とその衝撃を存分に加速させる演出は、ミステリ・サスペンス映画として出色の出来映え。劇場公開時、リアルタイムでここを御覧になっていて、対象年齢の広い大作・話題作ばかりの映画街に辟易されている方は劇場に脚を運んでください。

 あーもう、ネタバレせずに書くのが難しすぎて辛いぞ。あまりに書けることが絞られているので、スタッフにもちと言及しておこう。
 プログラムで誰かが推測していたとおり、私の目当てはケヴィン・スペイシーの演技がいちばんだった。次第に追い詰められていく男を圧倒的な演技力で表現しきり、その点では一切裏切られなかった。
 だが一方で、ケイト・ウィンスレットも素晴らしかった。どうも『タイタニック』で、その役柄のみで評価されたという悪印象があり、彼女の名前を見ると腰が引けてしまった時期が長かったのだが、ふと見た映画で彼女の姿と出逢うたびに印象が改善されていく、というか、やられた、という気分にさせられる。何せ、見るたびに性格は無論のこと体格まで違うのである。『タイタニック』や『クイルズ』のときはあんなにぷくぷくしていたのに、『アイリス』では華奢な印象に、そして本編では立ち居振る舞いからシャープな雰囲気さえ醸し出している。性格から外見まで完璧に「独立独歩の敏腕女記者」に変貌した彼女の演技は見事の一言に尽きる。

 上で「音楽が騒々しかった」と難癖を付けたが、楽曲自体は非常にいい。R&Bにカントリー調の楽曲、フォーマルなオーケストラまで幅広い曲想が堪能でき、一曲一曲の完成度も高い。ただ、劇伴としてはちょっと煩いかな、と感じることがままあるのは否定できなかったのだ。
 姓を見てピンと来た方もあろうが、音楽担当のアレック&ジェイク・パーカーはアラン・パーカー監督の実子で、これまでも製作初期段階では共同作業を行うことがあったそうだが、本編が初めての本格起用となったようだ。決して身贔屓で登用したのでないことは、バラエティに富んだサウンドトラックを聴けば解る。予告編でも使われたエンディング・テーマ『Another Bleeding Heart』など、単体で聴いても、重い。

 最後にもうひとつ。アラン・パーカー監督はエージェントがストックしていた大量のシナリオを読み漁って本編と巡り会い、一目惚れして映像化にこぎつけたというが、実はその時点で既にニコラス・ケイジと彼のプロダクションが映画化権を取得していたため、監督自ら「作らせて欲しい」と説得に向かったそうだ。
 それだけ丁寧に作品を選んでいた監督にも頭が下がるが、そんな埋もれかかっていた作品に先に目をつけていたニコラス・ケイジと彼のスタッフもなかなかに侮れない。そういや彼は、近年の吸血鬼映画の名作『シャドウ・オブ・ヴァンパイア』のプロデュースも手掛けていたのだった。流石フランシス・F・コッポラ監督の甥……というのは違うか。違うね。

(2003/07/26・2003/11/27追記)


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