cinema / 『ミーン・マシーン』

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ミーン・マシーン
原題:MEAN MACHINE / 監督:バリー・スコルニック / 製作:マシュー・ヴォーン / 製作総指揮:ガイ・リッチー、アルバート・S・ラディ、シンシア・ペット=ダンテ / 脚本:チャーリー・フレッチャー、クリス・ベイカー、アンドリュー・デイ / サッカー・コーディネーター:ウォーリー・ダウンズ / 音楽:ジョン・マーフィ / 出演:ヴィニー・ジョーンズ、ジェイソン・ステイサム、ヴァス・ブラックウッド、ダニー・ダイア、デヴィッド・ヘミングス、スティーヴン・ウォルターズ、デヴィッド・ケリー / 制作:SKA FILMS / 配給:UIP
2002年イギリス作品 / 上映時間:1時間39分 / 字幕:菊地浩司
2002年10月05日日本公開
公式サイト : http://www.uipjapan.com/meanmachine/
劇場にて初見(2002/10/12)

[粗筋]
“ミーン・マシーン”の2つ名で知られるダニー・ミーン(ヴィニー・ジョーンズ)は、かつてはイングランド国際チームの主将を務めたこともある名フットボール・プレイヤーだった。だが、数年前に重要な国際試合で八百長を働き追放された。酒に溺れる自堕落な暮らしを続け、ついには飲酒運転と公務執行妨害の現行犯で逮捕、懲役三年という重い刑を科せられた。
 ロングマーシュ刑務所に収監されたダニーは、結果的に更に惨めな思いを味わわされることとなる。数年前に彼が起こした八百長事件は国際試合に期待をかけていた囚人達に強い失望感を与えていた。そして、護送された直後に看守長のバートン(ラルフ・ブラウン)はダニーの耳許で釘を刺す。「所長からコーチの斡旋を受けても、断るんだ」
 所長(デヴィッド・ヘミングス)は私財を投じ、刑務所の看守達で構成されたセミプロ・サッカーチームを抱えていた。地区で二位の成績を収める実力はあるが、ノミ屋相手に借金が貯まりつつあった所長に必要だったのは、一位を獲得するチームだけ。既に釘を刺されていたダニーは辞退するが、所長は諦めなかった。
 一方、囚人達のあいだでもダニーの立場は微妙だった。最古参の囚人ドック(デヴィッド・ケリー)と調子のいいイカサマ師マッシヴ(ヴァス・ブラックウッド)のみがダニーの理解者だった。あるときダニーは他の囚人に絡まれ、自分から喧嘩を売ったと濡れ衣を被せられ独房に入れられる。いよいよ窮地に追い詰められたダニーに、マッシヴはひとつの提案をする。コーチを引き受ける代わりに、看守チームの技術向上を口実に囚人によるチームとの試合を組もう、と。
 この提案は所長に受け入れられ、ダニーとマッシヴは早速メンバーを募る。だが集まりは悪く、傍目に実力のありそうなものは刑務所の囚人達を牛耳る元マフィア・サイクス(ジョン・フォージハム)の配下ばかりで迂闊に誘えない。ひとりやる気を出して練習に励んでいたマッシヴだったが、それが看守のひとりに不興を買い、暴行を受ける。マッシヴを庇ったダニーは再び独房に押し込められた。
 だが、元の監房に戻されたダニーの立場は俄に好転していた。身を挺してマッシヴを庇ったことで、囚人達のダニーに対する評価が改まったのだ。ドリブルは巧みだがパスを出そうとしないトロージャン(ロビー・ジー)、意欲は人一倍だが技術がまるでついて来ないビリー(ダニー・ダイア)、センスは抜群だが切れやすくゴールキーパーという立場を忘れて暴走しがちなモンク(ジェイソン・ステイサム)などなど、まるで纏まりのないチームを指導していくうちに、ダニーは往年の情熱を取り戻しつつあった。
 だがその頃、気に食わない者を爆殺させる短気さが災いして囚人達からも看守達からも忌み嫌われ孤立しつつあったナイトロ(スティーヴン・ウォルターズ)は、取引と称して危険な行為に及ぼうとしていた――

[感想]
 痛快。
 監督はリドリー・スコットのスタジオに所属しCM制作でキャリアを積んできた人物で、本編が映画第一作だが、製作のマシュー・ヴォーンと製作総指揮のひとりガイ・リッチーは『Lock, Stock & Two Smoking Barrels』と『snatch』で一躍ブレイクしたスタッフであり、本編にも彼らの作風が随所に窺われる。とかいう以前に、主演のヴィニー・ジョーンズはじめジェイソン・ステイサムにロビー・ジーなど、彼らが見出したことで映画界に名前を売った役者が多く出演しているので、カラーが似通うのはまずその段階から自然なのだ。
 とは言え、ガイ・リッチー監督作品と較べると筋は非常にシンプルになっている。墜ちたヒーローを主役とした「再生」の物語として典型的なものであり、大筋では次に何が起こるから読めるのでその意味での意外性はない。そういう観点からしても、終盤のある人物の翻意はちょっと唐突に映り(ただ、現実では寧ろああいう心理的変節が普通に生じるものだろうと思う、個人的には。御都合主義ではあるが間違いではない)、また前後の脈絡が掴みにくい演出も多々見受けられて、混乱しながらもその混乱ぶりが板に付いていたガイ・リッチー作品と較べるとやや見劣りがする。
 が、様々な要素を標準的な尺に詰め込みながら、そこそこに複雑な人間関係をスピーディに描く手腕はなかなか巧み。キャラクターたちも造型はシンプルだが自分の立場をきっちり弁えているので、把握するのが容易なのだ。感情移入するところまでは行かなくても、すぐに作品世界に入りこむことが出来る。このキャラクターの濃さと分かり易さ、そのテンポを助けるBGM挿入の巧さは近年のイギリス映画特有のもので、特筆するほどではないが安心感に近いものがある。
 だが、やはり注目すべきはサッカー場面だろう。アオリ文句からはかなり無茶苦茶な展開を想像していたのだが、ラフプレーこそ大量に登場しかなり(道義的に)汚い遊びも随所に見られるものの、どこかの香港映画と違い(狙い撃ち)基本的なルールはきっちりと押さえており、意外にも本物のサッカーを見ているのと同じ興奮が味わえる。
 それもその筈、主演のヴィニー・ジョーンズはタレント業に入る前は本物のプロサッカー選手、しかもかなりダーティな試合ぶりで知られていたらしい人物であり、コーディネーターとしてスタッフに名前を連ねたウォーリー・ダウンズとともにこのサッカー場面の屋台骨となっている。他のキャストも、最優先条件としてまずボールテクニックを審査されたほどなのだ。
 そのサッカーに絡むドラマ部分にはやや「陳腐」という表現を添えてしまうが、演出・音楽などのクオリティは高く、結末には爽快感さえ漂う。楽しませていただきました。

 ちなみに、個人的にはヴィニー・ジョーンズの喋りと雰囲気が非常に好みだったりする。どっから見ても悪人面なのだが、笑ったときに愛嬌がある。たとえほんとに乱暴者でも(前に本当に刑務所入りするところだったそうな)知ったこっちゃないのだ。

(2002/10/12)


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